08. 通信終了後の携帯にキス




 文明の利器とはよく言ったもので、こんな小さな機械ひとつで遠くにいる相手と会話をすることができるとは、便利な世の中になったものだとカミュは二年ほど前に携帯電話を初めて手にしたときに思った。
 とはいえカミュほど鍛えた聖闘士ともなれば、わざわざこんな機械など使わずとも小宇宙を使えばある程度の会話はできる。毎月の通話料だって支払うこともない。
だが「小宇宙にも限度があるしそもそも聖闘士でない相手とは会話できない」と豪語する親友に付き添われて、無理やり携帯電話を一台購入させられたのだ。結局この二年、ほとんど使用したことはなかったが。

 そして、カミュはまた親友に引きずられて街の専門店に来ていた。携帯電話を新しいものに買い換えるためだ。

「ミロ・・・まだ今のが使えるのだが」
「あのな、カミュ。今どきそんな老人あるいは初心者向けの機種を使う二十代なんて、世界中探してもお前くらいだぞ」
「くだらん。何を使ったって同じだろう」
「違うな。いいから好きなものを選べ」

 今にも真紅の針が飛び出してきそうなミロの指先が、わけのわからない機械が陳列された棚を端から辿っていき、真ん中を少し過ぎたところでピタリと止まった。この範囲の中から選べということだろうとカミュは推測する。
 しかし、示された棚に並ぶ機械をざっと眺めてカミュは首を傾げた。

「おいミロ。ここのものはどれも画面があるばかりで、数字のボタンが無いではないか」
「最近の携帯はこれが普通だ」
「ではどうやって電話番号を押すのだ」

 カミュの携帯電話は、二つ折りを開いた上側に画面がはめ込まれており、下のほうに各種ボタンが並んでいる。目の前に並ぶ機械たちはどうやらその下の部分を省いてしまったようで、カミュには使い方の見当がつかないどころかもはやこれが本当に携帯電話であるのかすら疑わしい。

「これは全てタッチパネル式だ。指で画面に触れて操作するんだぞ」

 ミロは誇らしげな顔をして、謎の機械を一台手にとってみせた。片手に収まるほどの大きさで、カミュの携帯電話を閉じた状態よりも薄い。見本品らしいそれは試しに操作をすることが可能になっていて、ミロの指先が滑るのに合わせてくるくると画面が動いた。メニュー画面らしき場所にはよくわからない小さな絵が沢山並んでいて、どうやらカミュの携帯電話には無いような機能が山ほどあるようだ。ますます謎の機械である。

「で、どれにする?」
「どれと言われても・・・」

 結局、実際に操作しているところを見せられても、かえって謎が増えただけだった。それを選べと言われても、無理な話である。カミュはポケットの中で二つ折りの携帯電話をそっと握りしめた。あってもなくても困らないと思ってたこの携帯電話が、今は恋しい。
 だが無情な親友は、そんなカミュの手首を突如掴んでポケットから引っ張り出し、一緒に出てきた携帯電話を抜き取った。

「おい、ミロ」
「選べないのだろう?なら今まで使っていたものと同じ会社の製品にすればいい」



 結局、カミュに与えられた決定権は携帯電話本体のカラーリングだけだった。
といっても黒、白、ピンクという少なすぎる選択肢のなかからピンクを省き、残った二色の中からなんとなく白を選んだ。カウンターでの契約やらなんやらのよくわからない説明も、全てミロが受けた。

 そうして休日の午後を丸々無駄にして宝瓶宮へ持ち帰った新しい携帯電話は、カミュの手の中でルビーの瞳に睨み付けられていた。

「・・・意味のわからん機能ばかりではないか・・・爪で引っ掻いてしまいそうだし・・・」

 瞳と同じルビーの指先が画面をぎこちなく滑る。ミロのように上手くいかなくて、なかなか思うように動いてくれないが、なんとか電源の入れ方と切り方、電話のかけ方・とり方は覚えた。
そもそも今までだって使っても電話の機能くらいだったので、これだけ覚えればもう充分と判断したカミュは新しい携帯電話をそっとテーブルに置いた。買い換えたところで、使用頻度が高くなるわけでもなし。

 そう思っていたから、テーブルの上の携帯電話が突如奇妙な音を出しながら振動を始めたことにカミュは盛大に驚き、思わず身構えた。
 先程とは違う意味で震える携帯電話を睨み付けると、奇妙な音は携帯電話の振動がテーブルに響いているだけのようだ。画面を覗くと、真ん中に親友の名前が浮かび上がっている。
 自分からは進んで使わなくても、かかってきた電話には出なければなるまい。
カミュは震える携帯電話を掴んで、長い爪が当たらないようにそっと画面に触れた。

「やっと出たか、カミュ」
「・・・とても煩いぞ、この携帯は。なんとかしてほしい」
「音を出さずに振動だけするように、マナーモードに設定しておいてやっただろう。解除したのか?」
「その振動が煩い」
「・・・テーブルかなにか、硬いところに置いたか?」
「む。何故わかったのだ」

 電話の向こうで、ミロが小さく吹き出して笑うのが聞こえる。こんなに小さな機械なのに、よく音を拾うとカミュは笑われているのに感心してしまう。

「次からは布かなにかの上に置いたほうがいいぞ。それとも振動はやめて音が出るように設定してやろうか?」
「・・・頼む。明日これを持って天蠍宮へ行こう」
「ハハハッ!そんなに振動が嫌だったか!」

 またミロは笑って、それがミロの周りの空気を震わせているのまで伝わってきそうだとカミュは思った。小宇宙を飛ばし合うよりもミロを身近に感じるのは、声が耳元で聞こえるからだろうか。携帯電話も悪くないかもしれない。

「ところでミロ。何か用があったのではないのか」
「用?いや、特に無いな」
「では何の電話だ、これは」
「カミュにおやすみを言おうと思って」
「わざわざ?」
「ああ」
「・・・どうして、また」

 電話の向こうから、カタン、とランプの灯を消す音が聞こえる。

「挨拶くらいで小宇宙を使うとお前は怒るだろう」
「当たり前だ」
「本当は直接言ってやりたいところだが。むしろ今から言いに行ってやろうか?」
「・・・電話でいい」

 カミュも同じようにランプを消して、ベッドに潜り込んだ。二つの寝室に心地好い眠りの気配が訪れる。

「おやすみ、カミュ」
「ああ、おやすみ。ミロ」

 暗闇でも明るく光る画面に触れると、通話はあっけなく終わり画面にはデジタル時計が現れる。まだミロの気配が残っている気がして、カミュは画面を撫でた。くるりと変わった画面に、「着信履歴」の文字とミロの名前が表示されている。
 カミュはそこへ、そっと唇を当てた。ただの機械だと解ってはいるが、それでも、こうすればまだ彼のところに自分の気配が届くような気がして。

「流行に乗るのも、悪くないかもしれないな」

 枕元にそれを置いたまま、カミュは満足げに毛布に潜り込んだ。せっかく覚えた電源の切り方は、どうやら忘れてしまったようだ。



END




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