03. 目を逸らした隙にキス




 ミロは夢を見ていた。
 小高い丘の芝生に寝転んでいる。隣に手を伸ばすとカミュの冷たい手とぶつかり、甲と甲を摺り合わせてからそっと握る。そのまま横を向いてカミュの鼻の頭を見つめていたらカミュが「わたしより空を見ろ」と叱るので、顔をまっすぐに戻して空を見る。満天の星空。南東に赤い星がぼんやりと見える。「アンタレスだ。カミュ」「ああ。あと一月もすればもっと綺麗に見える」「でもカミュの方が綺麗だ」「ミロ・・・」握った手がじわりと汗をかく。長い睫に縁取られたカミュの赤い星が瞼の下に隠れる。柔らかそうなその唇に、自らの唇を押し付け―

「寝るのなら寝室へ行け、ミロ」

「んがっ・・・」

 枕にしていた本を勢いよく引っこ抜かれ、ミロはいびきになり損ねた微妙な声を出しながら机に額をぶつけた。

 額をさすりながら顔を上げると、そこは星のよく見える丘でもなんでもなく、そびえ立った本棚から今にも本の山が流星よろしく頭上に降り注いできそうな息の詰まる書斎だった。もっとも、ここを“息の詰まる場所”だと思っているのはミロだけで、ここの主にとっては先代から受け継いだ大切な場所なのだそうだ。

 ミロはぐ、と背中を伸ばして大あくびをした。退屈すぎたのだ。たまにはカミュに倣って読書でもしてやろうと思いここへ来たのだが、やはり読書など性に合わんと認識したと同時にミロは夢の世界へ旅立っていた。小指の爪より小さい文字を何千だか何万も読むなんて、冥闘士と殴り合うよりも面倒くさい。

 どうしてカミュはこんなに面倒くさいことが好きなのかは知らないが、本を読みながら細い爪で落ちてくる髪をかき上げる仕草や伏せた睫毛が頬に作る影を横で眺める時間が好きだ。だから本を読むカミュは好きだ。というかカミュが好きだ。でも自分で本を読むのはどうにも苦手だ。

「しかしだなミロ。お前はもう少し本を読んだほうが良いと思う。教養も身に付くし・・・」

「しかしだねカミュ。俺はやっぱりこういうのは苦手だな。外で動いてるほうが性に合ってる」

 書斎の窓は、明かりをとるために大きめに作られている。そこからちらりと見た空は今日は生憎の曇り空だ。カミュもミロにつられたように外を見て、肩をすくめた。

「残念だなミロ。今にも雨が降りそうではないか」

「ということはだねカミュ。雨が降ってきたら俺は今日は天蠍宮に帰れないわけだ」

「泊まっていくのは構わないが。わたしはもう少し本を読みたいのでここにいる。先に部屋に戻っているか?」

「それは嫌だ。一人で戻ってもすることないし」

「ここにいても無いだろう。それとも大人しく本を読むのか」

「うーん・・・。まあ、適当に。だからカミュ、気にせず読書を続けろ」

 ミロは読んでいた本をそっと閉じて本棚の隙間にねじ込んだ。背表紙に箔押しされた金色の題名をなぞる。星座の神話と恋の物語を絡めたらしいその本を読んだせいであんな夢を見たんだきっと。四ページくらいしか読んでないけど。

 そっとカミュのほうを見ると、カミュは既に読書に没頭していた。試しに手を振ってみるが気付かない。先程まで話していたのになんて集中力なのだろうかとミロは感心すると同時に、ひとつの悪戯を思いついて口角を吊り上げた。

 本棚から離れて静かにカミュの隣へ移動。念のためもう一度手を振ってみる。カミュは見向きもしない。細い爪が髪を持ち上げて耳に引っ掛けた。ミロは思いきり上体を伸ばした。

「・・・っう、わ。何をする!」

「さっきキスし損ねたから」

「なんのことだ」

 カミュは吸い付かれて赤くなった頬をおさえてミロを睨みつけた。頬をおさえた拍子に、勢い余って読んでいた本を栞も挟まずに閉じてしまった。ミロは柔らかい頬に触れた自らの唇を満足そうに撫でた。

「カミュ。本、閉じてるぞ」

「え?・・・あ」

「油断大敵、ってね。本ばっか見てるカミュが悪い」

「お前が“気にせず本を読め”と言ったのではないか。まったく・・・」

 カミュはうっかり閉じてしまった本を持って立ち上がった。怒られるかとミロは小さく身構える。だが本を棚に戻して振り返ったカミュは穏やかな表情を浮かべていた。

「それではミロ。今日一日わたしはお前から目を逸らさないことにしよう」

「は?」

 ミロを見つめる一等星よりも赤い瞳の奥に炎が揺らめいた。誰がクールだ、誰が。こんなに情熱的な瞳をミロは他に知らない。今度からキスをするときは絶対に目を閉じようと、ミロは心の中で誓った。



END




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