02. 言葉を封じるキス




 夜明けの時間がだいぶ早くなり、聖域の春も佳境に入っていた。
 日中にもなるとかなり気温は上がり、シベリア仕込みのカミュには少々過ごしづらい季節がすぐそこまで迫っている。



 宝瓶宮のつるりとした壁は小さな音も残さず拾い上げて響かせる。薄明るい宮の隅で響いたのは無数の水音。音の主は白い足の赤い爪先で、それが水面を叩く度にぱしゃんぱしゃんと澄んだ音がそこから生まれていた。そしてその足を持つのはこの宮の主のカミュであり、つまるところカミュは宝瓶宮のよく磨かれた床から足を降ろして水遊びの真っ最中である。

 この時期、与えられた居住スペースよりもこうして宮の中にいたほうが涼しいのだ。水は流れているし、鏡のような床も冷たくて気持ち良い。
 魚座の麗人を訪ねようと連れ立っていく蟹座と山羊座や、山のような書類とさながら銀河戦争を繰り広げて濃い隈を作った双子座なんかがしょっちゅう脇を通り過ぎていくが、通行人たちもカミュも、慣れた光景であるので誰も気に留めない。そして、もっと暑くなるとカミュの隣にはいかにも暑苦しそうな豊かな金髪を頭のてっぺんでひとつにまとめた蠍が増えることも皆知っている。

 ふと、カミュは頭上に影がさしたことに気がついて顔を上げた。
 金髪のカーテンに遮られた太陽光の代わりに覗き込むのは空色の瞳で、それはすぐに楽しげに細められる。

「・・・ミロ」
「暇そうだな。カミュ」

 履いていた靴を脱いでカミュの隣を陣取ったミロも、冷たい水に足を下ろした。水の跳ねる音がふたつに増える。無言で足元の水を掻く二人に代わってその音は大きく響いた。
 無言の空間は、二人にとって居心地の悪いものではなかった。むしろなんとなく安心できるような、気が楽になれるというか。そんなことをぼんやり考えながらカミュは身体を後ろに倒して足を水に浸けたまま寝転んだ。

「・・・・何をしている」

 無言だった宝瓶宮に僅かに低くなったカミュの声が響いた。仰向けに晒されたカミュの腹を無遠慮な手のひらが撫でたからだ。
 服の上からでもわかるほどにミロの手のひらは熱を持っていた。熱い。不機嫌なままカミュは呟く。それでもミロは黙ったまま、腹を撫でる手をするりと捲り上げた服の下へ侵入させた。

「っ・・・・、やめろ。ミロ」

 くすぐったさだけではない、奇妙な感触にカミュが身を捩ると、足元の水面が揺れて大きな音を立てる。
 指先が臍をくすぐり胸を掠め、その熱さにカミュはつられるように熱い息を吐いた。
 そういえば一体この蠍はここへ何をしにきたのか。まさかこのセクハラが目的だったわけではあるまいなとカミュはぼんやり考えるが、じわじわと弱いところを攻め立てられる指先にすぐに思考を奪われてしまった。

「・・・う、あ・・・・」

 力では適わないことはわかっているが、それでもカミュは精いっぱい腕を突っ張って抵抗をしようとする。だがベルトを外して遂に下着の中へ侵入した手によって阻まれてしまう。

「カミュ。たってる」
「あっ・・・!」

 僅かに先走りを漏らす性器をやんわりと握られ、これ以上の抵抗は無駄だと悟ったカミュの全身から力が抜けた。

「・・・あ・・・う、んんっ」

 抵抗することを止めたカミュの口からはひっきりなしに熱い吐息が漏れる。ミロはそれに満足げに目を細め、絡みつく先走りを塗り込むように後孔に指先を突き立てた。

「あっ・・・!や・・・あ、あ!」

 足元から響く水音に共鳴するようにカミュの艶やかな叫びが混じる。静かだった宝瓶宮がカミュの奏でる音で満たされる。それをもっと聴こうとミロは重く垂れる髪を耳にかけ、ゆっくりとカミュに覆い被さった。


「カミュ、通るぞ」

 突然。本当に突然に、宝瓶宮に誰かの声が響いた。続いて床と革靴が擦れる足音が二つ。鋭く研ぎ澄まされた几帳面な小宇宙と、微かに薔薇の香りを含んだ小宇宙が足元と共にゆっくりと近付いてくる。

「カミュはいないのかな?」
「今朝通ったときにはいたんだが・・・」
「ミロのところにでも行ったんじゃないの」

 宮を満たしていた淫靡な音をかき消すように、穏やかな話し声が聞こえる。カミュは息を飲んだ。二人のいる場所は通路からは少し離れているので、まっすぐ通過してくれれば恐らく気付かれはしない。
 だが、相手は黄金聖闘士だ。それも、カミュやミロより少し年上の。彼らの穏やかな小宇宙を二人が感じたということは、彼らも色めき立ちざわめく二人の小宇宙に感づかないわけがない。

「・・・・シュラとアフロディーテか」

 ミロが小さく呟いて、カミュの収縮する後孔から指を引き抜いた。このまま黙っていれば気付かれずに済むだろうか。カミュは少しだけ安堵して肩の力を抜いた。

「ひ!?う、あっ・・・!」
「声がでかいぞ。カミュ」

 ミロが指を抜いたのは、行為を中断するためではなかった。
 力の抜けたカミュの身体にのしかかりながら、解れた後孔を熱い性器で一息に貫いた。カミュは驚愕に目を見開き、声を潜めることも忘れ短い叫び声を上げる。宮を歩いていく小宇宙が訝しげに揺れて立ち止まった。

「っは・・・!ふ、うっ・・・」

 これは完全に彼らに気付かれてしまったのではないか。カミュは咄嗟に口を両手でおさえるが、弱いところばかり狙って突かれ上がる声を抑えきれない。
 ミロは焦り嫌がるカミュのその手首を掴んで持ち上げてしまうと、至極楽しそうに口の端を釣り上げ開きっぱなしのカミュの口を塞いだ。

「んんっ!う・・・・」

 何か言おうとするカミュの吐息がミロの中に流れ込んでいく。それを少しでも漏らすまいとカミュの細腰をきつく抱き寄せ深く深くキスをした。
 宝瓶宮に静寂が訪れる。 立ち止まっていたふたつの小宇宙がゆっくりと宮の外へ出ていった。

「ん・・・・ふは、」

 そっと唇を離すと混じり合った唾液が絹糸のように光りながら二人を名残惜しげに繋いでふつりと切れた。それとほぼ同時にカミュの中でミロが弾け、迸る熱がカミュを満たしていく。その熱を感じたカミュもまた、密着する腹と腹の間に同じ熱を吐き出した。

「う。・・・・・カミュ?」

 汗で張り付く前髪を掻き上げてミロはゆっくりと身体を離した。その下で胸を大きく上下させるカミュも汗ばんだ腕でしっとりと艶を含んだ髪を払う。その双眸は閉じられたままであり、ミロはハの字に顰められた眉に唇を落とした。
 ぱちりと深紅の瞳が開く。

「・・・・ミロ」

 じんわりと地を這うような声で名前を呼ばれミロは硬直した。そういえば宮の温度が心なしか下がっているような気もする。ぞわ、と粟立った腕を摩るミロを真っ直ぐに見据えてカミュの口が開く。

「お前は。まさかこんなことをする為に宝瓶宮へ来たのではあるまいな。なにか用事があったのだろう?あるなら言ってみるがいい。内容によっては聞いてやらないこともない」
「カ・・・カミュ、」

 絶対零度の視線と言葉がぐさりと容赦無く突き刺さる。
 ミロは思わず耳を塞ぎたくなったが、そんなことをすれば火に油…いや、どちらかというと火というよりは氷だが。
 とにかくカミュの怒りを鎮めなければ。ミロは甘美な余韻がいまだ燻る頭で必死に考えを巡らした。

「・・・というかさっきのはなんだ。シュラとアフロディーテに気付かれたらどうする・・・というか確実に気付かれてしまったな・・・ああ・・・明日からどんな顔をして二人に会えばいいのか・・・大体ミロ、お前はいつもいつも」

 カミュの説教はそこで途絶えた。ペラペラとよく動く口をミロが自らのそれで塞いだからだ。

(この唇を離したら、カリツォーかな・・・)

 苦しそうに逃げ回る舌を追いかけながらミロは数秒後の氷の輪の中で動けなくなっている自分を想像して、内心でガクリと項垂れた。

 だがその40秒後には、フリージングコフィンによって半裸で微妙なポーズのまま宝瓶宮のオブジェにされたとかされていないとか。



END




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