(ロンドー×剣) 



剣にとってロンドーという男は、何の価値もなかった。他者を圧倒し続ける力や名声に意味もなく、無情である様は孤独な化け物のようなものに思えていた。あえて何かしらの感情を伴ってその関係性に名前をつけるとするのなら、憎しみをもって仇と呼ぶことだけが出来た。命を奪われたジャックという兄弟犬だけが死んだのではない。あの日、あの瞬間にいくつもの死が訪れていた。目には見えないが、確かに。その最たるものは愛なのではないかと、剣は龍人の腕の中で目覚めながら、虚しさにまだ目を閉じたままでいた。
「……剣、起きてるのか?」
そこにふと聞こえたか細い声に耳を立て、剣は顔だけをあげて龍人を見る。青白い顔が痛ましく鼻を舐めてやると、表情が和らいで胸に温かさが広がり始めた。日に日に弱くなる腕の力でぐっと腹を抱かれるままになり、静かに伏せて待つ。
「また、俺は意識を失っていたんだな。すまない、心配をかけた」
大きな手の平が頭を撫でて心地がいい。剣はクゥーンと甘えたように鳴いて龍人が笑うのを見ていた。この人を守れると言うのなら剣は何を耐えてもいいと思っていた。ただ一人愛情を与えてくれる友ともいうべき人間を、ただ深く信頼している。
「眠ったら少し楽になったよ。ああ、腹がすいただろう。俺はもう少し後で食べるけれど…お前には、何か先にやらないとな」
剣は龍人が起きあがる際に少しだけふらつくのをフォローしながら、傍にぴたりと寄りそう。人と通ずる言葉を持たなくとも、伝わる。目の動き、温度や匂い、どれもが染み付いて今の剣にとっての全てだ。だからこそ、龍人を蝕む病の進行と残された時間を察することも出来る。二本の足が穏やかに歩きだし、剣は背後を振りかえった。青い草が敷きつめられただけの、野ざらしの寝床にはかすかに血の跡が残っている。ざあっと吹きあがった風が唸り声に聞こえ、鬱陶しくて尻尾を振った。

店の外で待つ剣が伏せている間に、龍人はまた発作を起こしたようだった。今度はしばらく治まらずに周囲の人間が騒ぎだし救急車がぐったりと力ない龍人を連れていく。剣は吠えて、後を追う。それが美談になり噂が広まるよりも早く、龍人の父の耳へと届くのは当然だ。しばらくすれば、やってくる。まるで温かみのない機械のような犬を連れて、大慌てでかけこんでくるに違いない。
そんなことをしても無駄だということを、剣は知っている。龍人は入院を言い渡されても抜けだしてしまうだろう。父を許せないだろう。最後の瞬間まで自分を選ぶだろう。自分よりも先に、愛しい家族だったジャックの傍へと行ってしまうだろう。何か目に見えないものだけを残していくだろうと。
そうして、目の前に大きな影が落ちてくることも、剣は知っていた。
「……………」
顔を上げて能面を見る。ロンドーが冷やかに剣を見る。首から垂れた太い鎖が揺れて、動けば耳障りな音を立てていた。途端開いた口には鋭い牙があり、それは皮膚に食い込んで嫌に痛んだ。剣が声を発しないのは闘犬としての意地でもなく、単純な抵抗でもあった。ロンドーの思考など理解したくもない。浮きあがった体は受け身をとる暇もなく地面にたたきつけられる。
「ロンドーがいないだと?馬鹿な、どこに行ったんだ」
「とにかく探しましょう」
「あれは賢いが、向かってくるものには非情だ。早く見つけなければ」
遠く運転手と舞原議員の焦った声が聞こえている。うめき声の一つもあげずに剣はただ横たわり、次に腹を押さえつける筋肉質な前脚を睨んだ。ギシ、と骨に負荷がかかる。内臓が圧迫されて呼吸は苦しくなったが、じっと耐えた。ロンドーが顔を近づけ、剣の顔をべろりと舐めあげても動じることはない。しかし器用に鼻を塞がれてしまえば口を開かざるを得なくなった。
「……っふ、ん、……ッグ!」
剣が酸素を求めて開いた口の中へとロンドーの長い舌が入りこむ。すぐさま反撃に転じて噛もうとあがいたが、深く食い込まれて上手く牙が届かない。強靭な顎が逆に剣の口を捕えてしまう。喉にまで達しそうなロンドーの舌が、唾液にまみれて絡んでくる。くちゃくちゃと音を立てながら交り合い、剣は目を細めてなんとか体を苦そうと動いた。
「ハッ、ゥグ…ンンッ……!」
ただ屈辱的な痺れだけが剣の体内に渦巻いた。ロンドーは全身をつかって小柄な剣を抑え込み、人間のようにむさぼるだけだ。なんの感情もなく、キスのような行為だけが続く。剣の脳裏には何者も存在しなかった。誰かへ助けを求めることもなく、怒ることもなく、怯えることもなく、罪悪感を覚えることもなく。ほんの一瞬だけ、何かが弾けただけだった。
「ああ!いました!先生!ロンドーが!他の犬と喧嘩してます!」
人間の声に遠のきかけた剣の意識が戻ってくる。ズイッとロンドーが巨体を退けて、ようやく剣は満足に呼吸することが出来た。強烈な吐き気が込み上げて何度も激しく咳き込む。
「ガフッ、ぅ…ハッ…ハッ……フ、……ヒュッ」
「…………」
その中で、剣はロンドーの相変わらずの鉄仮面を見ることが出来なかった。ほどなくして舞原議員がロンドーの鎖を取り、横たわった剣に気付くまで避けるように呼吸を整えることに専念した。
「剣?大丈夫か。怪我をしているなら手当を…」
龍人に似た手が伸びて、剣はびくりと跳ねて立ち上がる。本質的には似ている優しい人間が困った顔をして、ロンドーの非道を詫びる。ジャックが殺されたことに一端の責任があるとはいえ、剣は龍人の父であるこの男を憎むことは出来なかった。柔らかく膝を折り、一緒にこないかという誘いを腰を下ろすことで拒否する。
「……これからも龍人を頼むよ、剣。っと、ロンドー、こら引っ張るな」
剣が舞原議員に応えるようにクーンと鳴くと、ロンドーが突然駐車場の方へと歩きだす。瞬間交わされた視線は痛いほどの強さを持ち、剣の心を覗こうとばかりに無遠慮だ。ギラギラと輝いて見せるその目の意味を知りたくはない。見ようとしたところで、今の剣には何も分からなかった。
「またいつでも帰っておいで」
ロンドーに引きずられるように去っていく背中を見届けて、剣はふと溜息をつく。体の中に得体のしれないものが残っているような気がして、それから水を求めて歩きだした。理解に苦しむから忘れようと努力する。それでも何も持たない機械の化け物は、時々忘れたものだけを連れてくる。それが恐ろしいほど嫌いだった。



151019
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