君を見ていた 1/2



「花村さん、あちらお知り合いですか?」
彼女のその一言から、俺は意識せざるを得なくなった。気のせいだと信じ込もうとしていたことが、気持ちの悪い熱を帯びて現実を侵食し始める。あちら、へは目も向けずに俺は否定した。男が見ていた。野暮ったい格好で明らかに周囲と浮いていて、下手すれば浮浪者だ。あんなのと知り合いだなんて冗談じゃない。アレは、俺のストーカーだ。

正確にいつからかは分からない。けれどある日を境に男はその存在を主張し始めた。結婚を前提にして付き合いを始めた彼女が、恐らくはその原因になっている。男は露骨だった。ふと視線の端に映り込むと、ニヤと笑ったり、手をあげて見せたりした。そのくせ一定の距離を保ち、直接的に関わったことはない。危害はないから、と言って無視はできない。家を出れば男は俺をずっと見ている。そうして男の行為は徐々にエスカレートしていった。

「それで眠れてないわけだ。大変だなあ」
「笑い事じゃないんですよ義間さん」
俺は遂に耐えかねて、職場の先輩である義間さんに相談をした。男が男につけまわされて困ってるなんて、恥ずべきことだ。でも、事態は思っていたよりも深刻なものになった。
「家にまで入ってるんですよ。それにたぶん盗聴とか、か、カメラとかもあるかもしれなくて」
「それは……考えすぎじゃないのか?」
「だって、帰るとドアにその日の俺の行動が書いてあるんですよ。前日に見たDVDに何か…かかってたりして、もう冷蔵庫の中身とか、家にあるものも怖くて口に出来なくて」
「不法侵入ではあるんだし、いっそ警察に」
「いや。物盗られたとかでもないし、女ならまだしも」
俺は男だから、きっとろくに対応してもらえないだろう。何よりも知られたくないという気持ちもある。騒いだ分だけ彼女の耳にも入るし、義間さんにこうして話すのも相当悩んだ。他には誰にも言えない。新入社員の頃から教育係としてお世話になってる義間さんだけが頼りだった。
「うーん…落ち着くまで暫くうち来るか?」
「義間さんとこ、奥さん今大事な時期でしょう。それに変に逃げ回ったら逆に怖いような気もしません?」
「まあ、そうだなあ。俺は構わんが、そうか…」
義間さんにだって家族がある。しかも奥さんは二人目を妊娠中とめでたい時だ。俺がいるだけで迷惑になる。他に解決策がないか、俺たちは二人で唸った。
「どうしたらいいですかね…」
ふと時計を見ると、もうそろそろ昼休憩が終わりそうな時間だ。折角の時間をこんなことに使わせて申し訳ない。そう思った瞬間、義間さんは温んだ缶コーヒーを飲みきって、よし!と立ち上がる。
「今夜、一旦帰ったらお前ん家行ってやるよ。一日くらいよく寝てすっきりした方がいざって時動けるだろ?」
「うっ……嫌な言い方しないで下さいよ」
「すまんすまん」
「でも、いいんですか?本当に?」
「遠慮すんなよ。俺とお前の仲だろ、な?」
ニカッと白い歯を見せて、義間さんは俺の肩を少し強い力で叩いた。義間さんの申し出は素直に嬉しかった。奥さんには悪いけれど、一日だけ付き合ってもらえるなら少しは気が楽になるに違いない。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「おう任せとけ」
毎日行って彼氏のフリでもしてやろうかなんて冗談を、俺は笑って断った。

ほんの少しの残業をして、会社を出た。いつもなら辺りを警戒していたのだが、義間さんと会うと思うと気が緩んでしまっていた。後悔してももう戻れない。いつも時間通りにくるはずのバスが少し遅れ、何気なく時計を確認したところを話かけてきた男は、明らかに可笑しかったのに。見覚えがないというだけの理由で、俺は油断したのだ。

バス停で居合わせたのは、感じのいい若い男だった。爽やかな見た目、気さくな喋り方や表情の柔らかさに騙されない人間はいないだろう。俺は気付けば一番後ろの座席の窓際に追い込まれ、息を詰まらせた。隣の男が、豹変する。グニャリと顔が歪んで、男は笑って言った。
「なんだ、随分あっさり捕まっちゃったな」
「な、に……何を、言って……?」
「警戒心の強い猫みたいとか聞いてたのに、チョロすぎ」
男は俺の膝を掴み、肩を軽く震わせている。突然のことに反応の鈍った俺は、間抜けなことにその男の顔を見るしかできなかった。そして次に耳元でぞっとするほど優しい声音で、前を見ろと言われて、全身に鳥肌が立った。見覚えのある、ストーカーの男の目があった。じぃっと俺を見て、にんまりと笑うのが気持ち悪い。
「この人さ、あんたのこと気になってるのに手出せないんだって。だから俺が頼まれたわけよ」
隣の若い男は言いながら、手を太ももから胸元まで這いあがらせ、ぐっと体を押さえつけてくる。恐怖でまともな声もあげられなくなった俺は、ただ込み上がってくるだけの涙をどうにも出来ずにいた。目の前で、ストーカー男が銀色に光った刃物を見せつけて、血の気が失せる。
「言うこと聞いてよ。この人が満足したら解放してあげられるし、全然、痛いこととかないから」
ポケットの中で携帯がメールの受信を知らせる。きっと義間さんだ。内容はなんだろう。どうして俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ。助けて、と、もっと早くに誰にでもいいから早く言っておけばよかった。


 


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