「(………あ)」
ふと暗い空を見上げると、ぽつりぽつりと降りだした黒い雨。
今日に限って忘れた折り畳み傘の存在を悔やみながら、駆け込んだコンビニで購入したビニール傘は学生の財布には少し痛かった。
「(うう…明日からお弁当、ちゃんと作ろう…)」
ちょっとでも節約して、休みの日に彼に会いに行けるようにしなければ。
青い髪の彼はお嬢の家からきっと頼めば2駅ほど隣にある私の家まで迎えに来てくれるのだろうけれど、それでも迷惑をかけることはしたくなかった。
「………」
やむ気配を見せない空を見上げてため息を一つ。
大学帰りにお嬢の家に行こうと、駅とは反対側に位置する彼女の家を目指そうと思ったが、今日はやめておいた方がいいかもしれない。
帰ろうと買いたてのビニール傘を開き、ふと前を見据えると。
「(―――え…?)」
ちらりと視界の端を掠めた青。
それを無意識に追いかけるように視線を動かすと、傘を差しながら微笑む思い人、その隣には、隣には。
「――、―…―――」
「――!…――、――――!!」」
赤い、髪の、女性。
バッと前方を通ったトラックが楽しげに笑い会う彼らの姿隠した次の瞬間には、彼らの姿はもうそこにはおらず。
まるで幻のように彼らはそこから姿を消した。
「………」
少し雨音が大きくなった気がした。
***
「はぁ?クーさんと女の人が一緒に相合い傘してたぁ?」
こくん、と一つ頷くと只でさえ深く寄った眉が更に不快げに寄った。
目の前に座った弟は、クーさんの名前が出た途端毎回不愉快そうな顔をする。
さっきまで私が泣きじゃくっていた時はあんなにおろおろしてたと言うのに。
「こら、すみれ。そんな顔をするな」
背後から現れたディルムットさんがすみれの頭を小突きながら、冷たく冷えたタオルを此方に渡してくる。
ありがとうございます、と言う意味を込めて頭を下げれば、彼は優しく微笑んでくれた。
「なにするんですか、ディルムットさん」
「お前があんまりひどい顔をしているからだろう、まったく」
「別に、僕は…」
「ほら、ココア作ってきたから少し飲むといい。…それでこはく、失礼とは思ったがさっきの話は…」
そう、帰り道に見かけたクーさんは綺麗な女性を傘にいれて歩いていたのだ。
それがあまりに幸せそうで、お似合いのカップルだったから、すごくショックで。
泣きながら帰ってきた私は、先に帰っていたすみれとたまたま家に遊びにきていたディルムットさんに慰められて今に至ると言うわけだ。
「どーせ、あの変態色欲変態単細胞が姉さんというものがありながら違う女に手を出したんでしょう」
「こら、すみれ」
「だって、事実そうじゃないですか」
“クーさんのこと、悪く言わないであげて…?”
「姉さんまで…なんであいつの肩を持つんですか」
傷つけられたのに、と言外に伝わってくる弟の優しさに苦笑する。
例えクーさんの隣にいるのが私でなくても、やっぱりクーさんのことは悪く言いたくないし、聞きたくない。
だって、きっと悪いのは私なんだから。
「…こはく、」
“何でしょう、ディルムットさん”
「先輩に、きちんと聞いてみた方がいいんじゃないか?」
ディルムットさんが真っ直ぐ此方を見て、そう言った。
疑って疑念を残したまま彼の元を去るのはやめろ、と。
“…ディルムットさん”
「すみれの早とちりってこともあるだろう?しっかりしてるようで抜けてるから、すみれは」
「ちょっ、ディルムットさん!どういう意味ですか!?」
「…な?こはく」
“そう、ですね”
赤い彼女がクーさんの彼女でも、そうでなくても、彼は聞いたら答えてくれるだろうから。
逃げてるのは、きっと卑怯だから。
“私、行ってきます”
「頑張ってこい、こはく」
「…………いってらっしゃい」
ぶすくれたすみれと優しいディルムットさんに見送られながら、私は傘を掴んで家を飛び出した。
暗い空の中、雨はまだ降っている。