「アーチャーさん、上に行ってもいいですか?」
「…怪我をしても知らないぞ」
「大丈夫!」
月明かりに照らされた屋根の上に彼はいた。
自分の用心棒と同じ姿の――名前は違うけど――アーチャーさんはぶっきらぼうに答えた。
朝、目が覚めたら私の知らない士郎とアルトリア先輩がいた。
私は衛宮邸にある土蔵にいつの間にかいたらしい。
話を聞けば彼らは私のことは知らないようで、しかも魔術師であるという。
つまりなんというか、まだよく理解していないが私は違う世界…俗にいうパラレルワールドに来ているようだ。
他に分かったことはここには私はいないが凛にエミヤ、桜ちゃんにクーがいるようだ。
そして士郎に呼ばれ駆け付けた凛曰く「理由がわからない以上、あまり動くべきではない」ということらしい。
なので私はひとまず衛宮邸に泊まることになった。
といわれてもいろいろ頭の中をグルグル回って寝れそうにない。
ふと窓の外に目をやると赤い外套がはためいている。
彼のことは凛が教えてくれた。
英霊という存在であること、聖杯戦争という魔術師の戦争に参加していること、サーヴァントという戦う存在であること、なにより――自分の名前を思い出せないこと。
それが自分の中に引っかかり彼と話したい、そう強く思っていた。
「うわ!結構高い!」
「だから気をつけろと言っただろう」
「うん、気をつける!」
彼の立っている隣に腰掛ける。
どう話を切り出そう、と考えていた時だった。
「それでなんの用だね?」
「へ?」
「なにか用があるからわざわざこんな時間に来たのだろう」
――さすが、こういうところもそっくりだなんて。
「…アーチャーさん、本当の名前思いだせないんですよね?凛から聞きました」
違ったら申し訳ないんですけど、と一応断りを入れておく。
「名前、エミヤっていいませんか?」
「……さあ、思い出せないからな。なんとも言えない」
「そうですか、ごめんなさい」
「なぜそんなことを言ったのだね?」
「…なんだかほっとけないと思ったから」
「…?」
訝しげに眉をひそめるアーチャーさんに笑いかける。
「私も、記憶ないんです。おじいちゃんやおばあちゃんに会うまでの」
そう、私には小さいころの記憶がない。
小学校のころ型月組のおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られた。
両親はいないと言われていたが、高校に入るとき虐待をされていたから引き取ったと教えられた。今でも私の体にはいくつかの痣がある。
「おじいちゃんが言うには『辛い記憶を封じたんだろう』って」
「それで同じように記憶のない私に同情したと?」
「同情?そんなのしてませんよー」
だって私は記憶がないことを悲しんだり寂しく思っていないのだから。
「むしろ感謝してます。辛いことはあったかもしれないけど、今は幸せだもの。それに過去を悲しむより前を向けって怒られちゃう」
彼の横顔が用心棒と重なった。
「あなたと同じで不器用で分かりにくい優しい人に」
「私が優しいなど…よく言えたものだな」
「わかります。私、人を見る目はあるほうなんですから!」
立ち上がると体がポキポキと音を奏でる。
そんな私が万が一体勢を崩さないようにと彼は腕を伸ばしてくれた。
「ほら、優しい!」
「目の前で怪我をされたら寝覚めが悪いだけだ」
「…見つかりますよ。記憶も答えも全部。士郎も凛もセイバーさんもいるんです。あなたはもっと甘えてもいい」
「…」
「寄りかかっていいんですよ!あなたを支えられない彼らじゃないもの!」
「君は、」
「?」
「支えてくれないのかね?」
その言葉を紡いだ彼の表情に思わず息を飲んだ。
苦しそうな、その言葉を言う自分にイラついているような、どこか縋っているような…
「私はここにどれくらいいれるかわからない。けど!私は私のやり方であなたを支えるよ。たっぷり甘えさせてあげる!そう!魂ごとね!」
「…そうか、楽しみにしておこう」
「おうともさ!楽しみにしててよね!」
月夜の逢瀬はここで終えた。
さすがに寒くなってきたのと言いたいことを言ったからだ。
あとは、そう、彼の仕事をこれ以上邪魔しちゃいけないから。
布団にもぐりこみ目を閉じる。睡魔はあっという間にやってきた。
瞼に映るのは先ほどのアーチャーさんの表情。
そういえば、昔、エミヤもあんな顔をしたことがあったっけ。
その時、私はなんて言ったのだっただろう…
「お嬢、起きているか?お嬢」
「ふぁ…?」
ぼんやりとした頭、歪む視界に映るのは見慣れた天井。
ここは…私の部屋だ。
「戻ってきた…」
なんと短い旅行だったのだろう。
お礼もなにも言わずに帰ってきてしまった。
「お嬢入るぞ」ふすまが静かに開き、呆れ顔のエミヤが現れた。
「起きたのなら返事をしたまえ」
「うん…。ごめん、エミヤ…」
「寝ぼけているのかね?それとも具合が悪いのか?」
心配そうな顔でいまだ布団に潜る私に近づいてくるエミヤ。
違うよ、大丈夫、そう言いたかったのだが口からついた言葉は違っていた。
「甘えてね…エミヤ…」
「は?」
「あの人の分まで…ここで甘えてね…」
気づいたら彼を抱きしめていた。
あの時屋根で見た表情なんてもうさせない。絶対に。
彼とはもう会えないけど、エミヤを通じて少しでも彼に届くように。
力の限り抱きしめた。
「言いたいこと、聞きたいことは多々あるのだが…とりあえず離してくれないか」
耳まで赤くした彼はか細い声でつぶやいた。