流されながら自由に生きる、それが私のポリシーです。 | ナノ



03

 ルメザニアン=ロスト。そう名乗った綺麗系美女は、人食い婆ではなかった。

「頭開かせて下さい」

 かなり末期の変態だった。


***

 看板に従いたどり着いたお菓子の家。お菓子の家に相応しくない、濃紺のスーツに白衣を着た、いかにもデキル女性感満載の、なんとなく会社の先輩を思い出す美女。そんな彼女は開口一番問題発言をかましてからも、淡々とした口調と表情を崩さない。

「頭開かせて下さい」

 これで三度目だ。
 この言葉以外に彼女が言った言葉と言えば、「ルメザニアン=ロスト」という彼女の名前らしきものだけである。私も答えあぐね、「鴻乃鈴(こうのれい)です」と返したきり何も言うことが出来ない。繰り返された質問というか請願には全て無言を突き通している。無言の抵抗というやつだ。だって頭開かれるなんて嫌だけど、そう答えて追い出されたら困るもの。

 じりじりと焦燥感に悩まされながらルメザニアン=ロストと目を合わせる。会社勤めで鍛えてきた私の目をもってしても彼女の感情は読み取れない。あえて言うなら彼女の目は分かりやすく私の顔上半分――頭部をただただ見つめているので、彼女が口にした「頭開かせて下さい」という言葉はポーズでもなんでもなく本音なのではと思わせる。本音とか余計に質(タチ)が悪い。どうしようもないじゃないの。

「頭開かせて」

 四度目。心なし目がキラキラと輝いているように見えるのは気のせいか。とりあえず語尾の下さいが無くなり疑問文でも無かった事は確かである。
 しかもじわじわと身体をこちらへ近付けてくるので私もじりじりと後退する。あれ、どうしよう不味くないかこの状況。やっと本格的に危機感を持ち出した自分は鈍いとしか言い様がない。

「頭」
「嫌」

 五度目。ついに単語になったそれに、反射的に否定の言葉を口にした。






 結論から言えば、ルメザニアン=ロストは変態だったが常識人だった。
 顔面蒼白でなんとか口にした精一杯の否定に、「そう」と一言呟くと、特に残念そうな素振りも見せずに身を引いた。終始淡々としているせいで先程のやりとりは夢か幻かと勘違いしそうだ。もっとも、おもむろに彼女が白衣からホルマリン漬けの目玉を取り出した事でその疑いは霧散したが。

 ……え、何それどんな反応すればいいんだろう。

 目の前に目玉が入った瓶をかざされても困る。相変わらず彼女の表情は読めず、困惑は募るばかりだ。
 何も口にせずじっと見つめてくる彼女に、沈黙に耐えかねどう考えても社交辞令としかとれない一言を口にした。

「個性的なインテリアですね」
「大丈夫ですか。悪趣味ですよ」

 オーケー、把握。彼女は普通の感性の持ち主のようだ。

 ……じゃあ何でそんな物持ってるのよ。


***

 ルメザニアン=ロストは変態で常識人だが傍若無人である。並べてみると両立するのか甚だ疑問な単語の羅列だ。しかしこれを兼ね備えるのがルメザニアン=ロストなのだ。どれか一つでも抜け落ちてはならない。彼女が彼女たる所以なのである。
 この短時間でしっかりと脳内に刻み込まれた彼女の人柄は、私に新鮮さとやりにくさの両方を与えた。ほぼ聞き役に徹していたので彼女を観察する時間はたっぷりあった。にも関わらず得られた情報が『やりにくい』というのは私にとってたいへん遺憾なことである。縁があって頻繁に話す仲になっていた他部署の上司の言葉を思い出す。『相手の人柄を見極めて対策を立てる。営業の基本だ』そう言った彼は人事課の主任で私は総務の下っ端。どこに営業が絡む要素があるんだと思いながらも心に留めておいたその言葉。すみません主任、私に営業の才能はないようです。対策どころか人柄の見極めさえ危ういルメザニアン=ロストへの考察を終えながら一人ごちる。

「というわけです。理解して頂けましたか」

 抑揚なく結ばれた最後の言葉に、疑問は尽きないものの、「はい」と返してうなだれた。



 彼女を観察する傍ら、もちろん話も聞いていた。抑揚なく棒読みで表情も変えずに話す彼女の言葉は聞き取りにくいことこの上なかったが、要旨はまとめてあったので及第点といったところだ。そんな偉そうな事をちらりと思った。

 目玉の瓶を出した時と同じようにおもむろに仕舞いながら、彼女は淡々と述べる。

「理解しました。転送完了です」

 一体どういうことですか。当然の疑問を言葉にする前に、彼女は立て板に水の如く、とうとうとよどみなく言葉を続けた。

「これが貴方の記憶を読み取りました。転送先は貴方がこの世界に来る要因となった人です。悪用はしませんのでご安心を。それでは鴻乃鈴さん、貴方にとっては異世界となる、ウィルアーロ大陸への上陸おめでとうございます。鴻乃さんには招待者よりひとつ特典を預かっておりますのでお受け取り下さい。返品は受け付けておりません。また、招待者よりウィルアーロ大陸ガイドブックも預かっております。これには貴方がこの世界で生きていくためのルールが記載されておりますので、必ず目を通してからこの世界をお楽しみ下さい」

 どこから突っ込めばいいのか分からない。安心出来る要素なんて何一つない。しかし長考したって何も変わらないだろう。いくつも感じる疑問は後回しにして、流されるままに頷いた。


 そして、仕事は終わったとばかりに一礼してお菓子の家を出ようとする彼女。あれ、おかしくない? 何で彼女が出ていくんだろう。

 そもそも後回しにした疑問が残っている。慌ててその背中に声をかけると、バレッタで無造作に一つに纏めた艶のある黒髪がゆっくり舞い、彼女が振り向いた。
 そのまま身体ごと完全に振り返った彼女は、逆光も相まって無表情が恐ろしい。しかし質問には素直に答えてくれるらしく、「なんでしょう」と応えてくれた。

「どうして私はここに来る事になったの?」
「招待者の一存です」
「その招待者って誰?」
「ウィルアーロ大陸きっての伝説の賢者です」
「誰よ賢者って」
「答えかねます」

 素直かどうかには疑問が残った。とりあえず私の満足のいく答えではない。
 じっとり彼女を見ると、特に焦りも見せず「答える事は禁止されています」と返される。どういうことだ。随分と不親切じゃないの。

 方向性を変えてみよう。尽きない疑問を言葉に乗せればやはり答えは一様で。

「温泉とマッサージチェアは?」
「仕様です」
「一本道と看板は?」
「仕様です」
「お菓子の家は?」
「仕様です」

 ちょっと禁止事項多くない? 何も分からないんだけど。
 思わず額に血管が浮きそうになる。たいした答えもくれないままこの世界をお楽しみ下さいとかどんな無茶ぶりだ。

「……貴方と招待者の関係は?」

 一拍。今まですらすらと答えていた彼女の呼吸が止まった。それが質問のせいなのか、それとも本当に呼吸のためだったのかは分からない。けれど。

「私にとって、恩人であり研究材料であり弟子であり師匠であり好敵手であり積極的に関わりたくない人です」

 この答えを聞く限り、なんとも面倒そうな関係なのだろうと知れた。
 ……積極的に関わりたくない人という事は、彼女は招待者を好いてはいないのか?
 まったく分からない。謎がさらなる謎を呼ぶ。ミステリー小説なら大作だが現実に起こると鬱陶しい。そもそもこれ本当に現実? お菓子の家らしく甘い香りがするから現実なんだろうな。五感が働くという事は。

「あと、特典って何」

 最後の最後でふってわいた疑問。預かったというガイドブックは受け取ったが、特典の方は貰っていない。
 なんだろう。これまでの流れからいって、絶対ロクなものじゃない気がする。

 おそるおそる訊く私に、彼女はにこりと微笑んだ。あまりにも自然に笑うので、それが初めて彼女が見せた表情だということも忘れてその笑顔に身惚れた。

 そして、柔らかい、美しい微笑を浮かべたまま――、

「私です」

 抑揚どころか温度もない声音で言い捨てた。


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