流されながら自由に生きる、それが私のポリシーです。 | ナノ



つづき

 その言葉に少し目を丸くし、しばし固まった後、次いではぁっと大きく溜息をついた主任は、苦笑いで言った。

「成る程ねぇ。……鴻乃さん、お話ついでに酒呑まない? いい店知ってるからさ、オレ」


***

 週始めだからだろうか、他に客の見えない静かなバー。だが寂れた風ではなく、落ち着いた雰囲気が見て取れる。流れるレトロな音楽に心地よい明るさの照明。主任が推すだけあって、確かにいい店である。
 カウンター席に座りながら、出されたグラスに手をつけるでもなく、ぼんやりそんな感想を抱いていると、グラスを弄びながら、隣の男が呟いた。

「……まさかあの流れで断られるとは思わなかったわ」

 自意識過剰な男である。

「何言ってるんですか。むしろ私の反応は当然でしょう。明日も仕事あるんですよ、仕事」

 私の判断は至極まっとうなものだと自信を持って断じよう。

「あー、オレ、誘った女の子に断られるの初めての経験だった。結構ショック」

 なのに主任は、例の困ったような微笑みを浮かべ、私の意見をまるっと無視してここまで連れて来た。むしろ連れ込んだ。何処まで犯罪を重ねる気なのか。

 ……まったく。

「あら、失敗知らずの主任にショックを与えられたなんて光栄ですわ」

 おほほほーと笑う。こんな笑い方初めてしたわ。こうなりゃ自棄だ。高い酒ガンガン頼んでやる。嫌がる女の子無理に連れて来たんだから、それ相応の報いは受けてもらおう。高給取りだから大丈夫でしょう。

「いきなり車の中に連れ込んでも特に反抗しなかっただろ。だからオレに気があるんじゃねぇ? って思ってたん………いや、悪い。調子に乗った。スンマセン。心底嫌そうにされるとさすがに傷つく」

 私の表情を見て即座に謝ってきた。毒を多分に混ぜて反撃しようと思っていたのに出鼻を挫かれ、苛立ちが増す。主任てこんな人だったのか、残念だ。もっとスマートさを身に付けて欲しいものである。

「私だって何の対策もしてなかったワケじゃないですよ。車の中で、携帯の110番のボタン、ずっと確認してましたから」
「……マジ?」
「マジです」

 うわぁ…っという表情で頭を押さえる主任を冷たい目で一瞥し、グラスに口を付ける。喉を灼くようなそれに、どれだけ度の強い酒頼んだんだと、さらに冷たい視線をくれてやった。主任は気付いてないけれど。

「オレ、一人で勘違いしてめちゃくちゃ恥ずかしい奴じゃん」
「今頃気づいたんですか」
「そんないかにも驚きました、って口調止めてくんない? 傷口に塩だから」
「ご愁傷様です」
「うわー……」

 一通りの軽口の応酬の後、少しの沈黙がその場に落ちた。聞こえるのは、酒を注ぐ音と、流れる音楽だけ。
 頬杖をつき、もう一度グラスに口付け、どうでもよさそうに主任は切り出した。

「オレ、人事課の主任じゃん?」
「存じております」
「最近うちの会社、なんかきな臭いっていうか、不正が続いててー」

 酒を飲む手を止め、主任を見る。しかし彼は相変わらずこちらを見ずに、言葉を続ける。

「上から秘密裏に依頼があってさ。その不正に関わった人間をあぶり出せだと。しかも通常業務と併行で。こちとら大量の仕事抱えてるってのに無理難題ふっかけやがって」

 ありえねぇよなぁ。そう言って彼は一気に酒を飲み干す。

「課長も笑顔で頑張れとしか言わねぇし、口外無用な案件だし、縦社会の人間が上の奴に逆らえるわけねぇし」
「……今、口外しましたよね」

 私も立派に縦社会に組み込まれている人間なんだが。しかも最下層。寄りそうになる眉間の皺をなんとかほぐしながら言うと、主任はやはり目を合わせず、グラスに酒を注ぎながら呟く。

「色んな奴の経歴洗ってる内に、うちの会社じゃ珍しいタイプの奴を見つけまして。特にこれといって特筆すべき点はないのに、何故か並み居る高学歴求職者を蹴散らし起用された若い女。あまりにも不可思議な事態に、不正に関わってる上の奴とつながってるんじゃないかと一ヶ月程観察してみたところ、なんとその女性、不正の為に改竄された書類にいち早く気づき、被害が拡がる前にそれを一から作り直しているではありませんか。……不正に関わってたら、わざわざそんな事しないでしょう」

 そこで主任は一転、満面の笑みを浮かべて私を見た。

「鴻乃鈴(こうのれい)はシロだ。だが、何故彼女は起用されたのか。そこだけが引っかかる。だから強硬手段に出てみた。……結果、成る程、“あの人”が関わってんならどうしようもない。お前が我が社に入社できたのも納得だ。しかし、こんな優秀な人材をこのまま見過ごすのはどうだろう。……オレだって巻き込まれただけなんだ。だったら彼女も巻き込んでしまえばいいじゃないか! ――と、いうわけさ」

 そう、力強く言い切りにやっと笑った主任に、私は…――







「やっぱいきなり殴るのはどうなんだ?」
「一年前の事持ち出して何がしたいんですか」

 ――主任と初めて話してから一年後……の、数日前、大規模な人事異動があった。不正に関わった人間の一斉検挙。なんとまぁびっくり、その中には総務の課長も含まれていた。

「鴻乃って一年経っても変わんねぇよな」
「主任は更に図々しくなりましたけどね」
「ああ、やっぱ変わったわ。オレに対するアタリが酷くなった」
「あらそんな気のせいですわ」

 あはははうふふふと笑い合う私と主任。会社の人間が見たら、次の日には二人はデキてるという噂が広まっていそうだが、生憎当人達の間には甘い空気ではなくダイヤモンドダストが吹き荒れている。

「てかよー、課長も酷くね? オレめちゃくちゃ頑張ったじゃん。超ハードな毎日だったじゃん。何で昇進とか給料アップとかボーナスとかないわけ? タダ働きって分かってたら絶対引き受けなかったのに」
「途中から私が手伝ったからだそうですよ」
「……マジ? つーかそんな情報どこから…――ああ、会長か」
「ええ、一人で一斉検挙という華々しい成果を上げることができたら考えたそうですが、口外無用という条件を破り、私に協力させたことで評価が下がったとおっしゃってました」
「あんの狸ジジィ」

 乾いた笑い声をあげながら、目だけは笑っていない主任は、フォークで皿の上のマリネをグサグサと刺している。おそらく彼の中でマリネは狸会長(わたしのおんじん)なのだろう。哀れマリネ。

 ――私は、夜の仕事をしている時、好々爺然とした、一人の男性に出会った。彼はたいへん博識かつ合理的な思考をしており、無駄を嫌う私とはなかなか話があった。主任と同じ煙草を好み、よく仕事の話をしてくれたものだった。ときおり、思い出した様にうちの会社で働いてみないかと誘われていたが、冗談だろうと流して取り合わなかった。けれど、だんだん冗談の中で、本気で口説きにかかっているのが窺えるようになった事と、当時の仕事では生活が苦しくなってきた事が重なり、私はついにその人に是と答えたのだ。――彼の名前は、紫苑計(しおんけい)。我が社の会長である。

「残念でしたね、主任」
「あーあーホントに残念でしたよ。昇進したら絶対言おうと思ってた一言があったのに」
「……会長にですか?」
「いんや、お前に」


 目を丸くする。何だろう、言い淀むなんて珍しい。彼は無理矢理私を引き込んでくれてから、遠慮会釈なくビシバシ文句を言って馬車馬のように働かせていたのに。

「何ですか、別に今言ってくれて構いませんよ。直すかどうかは別ですが」
「んだよ。別に文句じゃねぇよ。ああ、ただいつまで主任って呼ぶんだよ、とは思うけどな」
「どう呼ぼうと私の勝手でしょうに。名前の一つや二つ、気にする程のことですか?」
「じゃあお前もオレの呼び方を主任に拘る必要は皆無だよな?」

 思わぬ切り返しに渋面する。何なんだ全く、この男は。

「……分かりましたよ、じゃあ、燕谷さん」
「あ、やっぱいいわ」
「何なんですか!?」

 頼んだくせに断るとはどういう神経だ。今の私は漫画だったらビシッと青筋が立っているだろう。

「なんか当分昇進させてくれなさそうだからさ、来週言うわ」
「だから今言えば、」
「ここじゃなくてさ、もっと違うところで言いたい。あ、呼び方もその時決めて。それまでは主任で譲歩しょう」
「いつもと変わらず偉そうですねぇ。たいたい言う場所だって別にここでも、」
「あー、ほら、雰囲気? ムードってあるじゃん」
「ここも十分ステキなレストランですけどね。それにあなたは一体小言に何の雰囲気を求めてるんですか」
「だから小言じゃないって……」

 何だよ、信用ないな、オレ。
 少し口を尖らせて拗ねる主任。この一年でよく分かったことだが、主任は結構子供っぽい。子供っぽくて偉そうなのに、別に俺様ではないのが不思議だ。主任だからこそ成り立つ絶妙な比率なのかもしれない。





 ――初めて存在を知ってから、主任が気になっていた。私と同じく、歳が若いという理由で。
 24歳で主任なんて信じられない。この人も絶対、会長……平たく言えば、コネ入社に違いないと。実際それは半分正しかったらしく、主任になったのは会長の鶴の一声だったらしい。一斉検挙も彼の実力が本物である事を見せ付けるための舞台だったに違いない。もっとも私と違って彼の実力は確かだから、私と同じ括りにいれるわけにはいかないけれど。

 羨望。憧憬。少しの嫉妬。
 気になってはいたけれど、一年前は全く接点のなかった主任。それが今では週一で一緒にご飯を食べる様になっている。



 ――そして、それが別に厭わしくもなんともなく、むしろ嬉しいと思う私は、もう、手遅れなのだろう。仕事の忙しさに、会社を辞めようと思いつつも辞められなかった存在(りゆう)も、それ以上に仕事が忙しくなったくせに、楽しいと感じてしまった存在(りゆう)も、同じ(かれ)なのだから。

 とりあえずは、来週言ってくれるという彼の言葉を、楽しみに過ごそうと思う。


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