流されながら自由に生きる、それが私のポリシーです。 | ナノ



01


「ヒューちゃんあり得ないマジないわ」
「ごめーんね」
「かわいくねえ」

 思わず吐き捨て「あら失礼」と口を押さえる。元来口の悪い私だが、社会人生活で封じたと思っていた荒い口調がつい飛び出てしまった。ついでに車内の温度が三度ほど下がった気がする。こころなしマイハニーもふるふるしている。黒いの、お前は悪くない。諸悪の根元は目の前で小首を傾げ、わざわざ身を屈めて上目づかいで私を見つめてくるおっさんである。ジャメラ氏そんなキャラじゃなかったでしょう。

「そんなに怒んなよ。小皺が増えるぞー」

 「そろそろお肌の曲がり角だろ、レイちゃん」と続けられた言葉に、更に氷点下まで到達した車内温度。斜め前の座席に座っていたおじさんがそそくさと別の車両に移動し、通路を挟んで横に座っている可愛らしいおばさまは上着を羽織って膝掛けまで広げ始めた。季節はまだ初夏である。となれば当然物理的な気温は原因ではない。突き詰めればジャメラ氏のせいだ。ええ、私悪くない。

「ほら、もう二ヶ月も経ってんじゃん。怒り続けるのって疲れるだろ? 水に流そうぜ? しつこい女って俺嫌い」

 ジャメラ氏の好みなんて知りませんしどうでもいい。
 腹立たしい事に、仕方ないなぁこれだからお子様はとでも言いたげな顔でやれやれと首を振られている事の方がよっぽど重要だ。おかしい、これでも会社では人使い荒い人事課主任(上司)と仕事の出来る二面性ブリ子(後輩)とド天然無自覚逆ハー子(後輩)とウザい取り巻き(先輩同輩後輩)に耐えに耐え続け、常識人の職場仲間(ホロリ)にはあんたの心の広さ世界一もう涙が出るくらいと言われる程なんだが。

 ぴくっ

 私の荒んだ心を敏感に感じ取ったらしいマイハニーが、慰める様にもさもさと動いた。いい子ね黒いの。一時は真剣に別居を考えたが、慣れればどうって事ないあれくらい。どうして私はあの時あんなに取り乱したのだろう。こんなに可愛い子なのに。ジャメラ氏と比べて月とスッポン。むしろジャメラ氏残念過ぎる黒いの最高。ああ、ブログのアイミリ無理発言訂正しないと。それにしてもほんとムカツクわジャメラ。氏なんてつけるかこの野郎。

 びくびくぅっ
 もさもさもさもさもさもさもさもさもさ
 もさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさもさ

「ねぇコーノちゃん。手に力込めすぎてミシミシいってる。軋んでる。アイミリ凄い勢いで脱出しようと体捻ってるけど」
「あら」

 今まで静観していた(我関せずを貫いていたともいう)ルメニアさんが、面倒くさそうに、心底どうでも良さそうに見える無表情で(三年付き合った経験から心情を予測した)、そうのたまった。予想外のタイミングでの登場と内容に、思わず手を緩めた拍子にスルリと黒いのが両手からすり抜ける。ぴょいこらぴょいこらぴょっとんぴょこんと行き着いた先はルメニアさんの頭の上。勇気あるな黒いの。

 逃げた事実は気に入らないが、ぴょっとんの部分でジャメラに蹴り(……体当たり?)を食らわせたのは高評価だ。分かってるじゃない黒いの。さすがマイハニー。

 地味に痛かったのか、頭を抱えて静かに悶絶していたジャメラは(それでいいのか元勇者)、凶悪極まりないその強面と三白眼を活かし、キッと(涙目で)黒いのを睨んだ。

 一瞬の攻防。

 先に目を逸らしたのはジャメラだった。

 ――弱い。弱過ぎる。
 元勇者でも迫力(?)負けするアイミリ。今更ながら、最強の切り札(カード)を手にした気がした。



 ひょいっとルメニアさんの頭の上から黒いのを取り、今度は優しく撫でてやる。何だかんだで、少しも反省する気のないジャメラに私の代わりに復讐してくれる、可愛いやつである。逃げたことは見逃して褒めてやろうと思っての行動だ。頭の異物の感触に不快気に眉を寄せたルメニアさんが怖かったからとかではない、断じて違う。違うってば。

 ともかく、二ヶ月前は心が折れかけるきっかけとなったマイミリという存在は、癒しという意味でも、癒しという意味でも、癒しという意味でも(つっこみは不要だ)、私の中でたいへん重要なものになっていた。ビバ癒し。ヒーリング効果最高。始まりの森との相乗効果で欲しかった。

 きょときょとぱちくり

 癒しっていいわ。

 きょときょときょときょときょときょと

 ……可愛いわ。

 きょときょときょときょときょときょときょときょときょときょときょときょとぱちくりくり

 ……分かった、分かったわよ。

 なんとなく黒いのの目から、彼の言いたいことを察し(二ヶ月も一緒にいたもの)、ふっと溜息を吐く。気づいていないふりをして誤魔化そうとしたのだが、あっさり看破されたようで、ジト目で見つめられてしまった。完敗である。さっきジャメラが根負け(一瞬だったけど)したのも(分かりたくなかったけど)分かる。

「………ヒューちゃん」
「……なんだ」
「許してあげるわ」
「上からだな」
「素直に許してくれてありがとうと言えないんですか貴方は」

 かなり後悔した。
 ほんとに、全く、どういう神経してるんだ。
 私が二ヶ月必死に本を書いたのも、今この列車に乗っているのも、面倒極まりない『魔王退治』に行かないといけないのも、聖女と巫女姫と神官長に脅迫されたのも、元を辿れば全てこの男のせいなのに。

「許してくれてアリガトウ」

 凄く後悔した。





 魔王討伐。

 普通に日々を暮らす一般人なら縁もゆかりもないこの旅に、私が巻き込まれたのにはワケがある。

 それは遡ること二ヶ月前――


「コーノちゃん、少しいいかしら」

 変なクスリを飲んで元勇者と出会って原稿終わらせてフェロモン放出生物と再会した翌日。
 珍しく(というか初めて)ルメニアさんが我が家にやってきた。

 相も変わらず無感動な表情と口調で告げられたそれには、しかし有無を言わせぬ響きがあった。

 原稿終わらせたと言っても、次の仕事がすぐに舞い込んでくるので(ふ、売れっ子作家って辛いわね)、今の私は珍しく絶賛仕事中である。
 ――仕事。そう、仕事中なのだ。社会人として何よりも優先すべきは仕事。プライベート? 有給? サービス残業は当たり前。制度はあるけどピリピリした空気の中有給を申請出来る猛者がいるだろうか。いやいない。日本は給料の三倍働いてやっと認められる社会である。ここは日本じゃないが日本人ではある私にとって、仕事を投げ出しルメニアさんの用に付き合うなんてとても出来ない事である。

「仕事放棄が常の駄目な大人の言葉とは思えないわ」

 無表情ながら白けた雰囲気を見せるルメニアさん。目が半眼である。
 確かにルメニアさんはある意味仕事人間だけど、あくまで“ある意味”である。変態趣味が仕事な人に、生きていく糧を得るために仕方なく始めた仕事でヒーヒー言ってる私を責める資格なんてない。はずだ。

「失礼ですね。私がいつ社会人としてあるまじき仕事放棄なんてしたと言うんです」
「――本気でそうおっしゃってるんですか?」
「ごめんなさいすいません失礼しました嘘ですどう考えてもルメニアさんの話に嫌な予感しかしないから大嘘こきました申し訳ございません」

 すっと音もなく背後から近づいてきた人物に、一気に顔面蒼白になる。素直に謝罪すればルメニアさんが無表情の中にも馬鹿にしたような色を見せる(←言いがかり)。そろっと顔を上げれば、穏やかに微笑むクロークさんが、「それで?」と促した。

 ……え、それで……?

「ええっと、締め切り守らず編集者の皆々様に迷惑をお掛けしているのは私でございます」
「うん。それで?」
「出版社の皆々様に鋭い視線を浴びせられるのも私もとい編集者たちでございます」
「うん。それで?」
「ファンの方々に語尾に草生やされながらブログで新刊促されてるのも私でございます」
「うん。それで?」
「もう勘弁してください」

 延々と続く問答が地獄のようだ。あくまでも笑顔を崩さないクロークさんが恐ろしい。思えば出会ってから今に至るまでクロークさんにはたいそうお世話になっているが(だから今も頭が上がらない)、同時にその三年で彼の恐ろしさは重々身に染みている。
 例えば四十そこそこにしか見えないのに五十代後半な外見とか。
 恰幅の良い外見に見合う寛大な心をお持ちなのにとてもとても厳しいところとか。
 罵声を浴びせられても門前払いされても水掛けられても笑顔で敬語を崩さないところとか(←後輩編集者談)。

「クローク様がいらっしゃってたんですか。道理でコーノさんが朝から仕事していたんですね」
「失礼だわルメニアさん」

 だが事実である。

 ……く、でもどうして来たのクロークさん。編集長で忙しい身でしょうに、一作家のところにわざわざ足を運ぶ暇なんてあるのだろうか。もしやほんとに何処かからタレコミが? ジャメラ氏との出会いはやっぱり良くない事だったのか。ああ、あの時の懸念が現実になるなんて。

「アイミリを見に来ただけですよ」

 これで私のお気楽作家生活は終わりを迎えた。他の編集勢ならいざ知らず、クロークさんに急かされたなら仕事しないわけにはいかない。それにしても、私が元勇者との対面で気付いてしまった圧迫執筆法をチクったのは何処のどいつ……は?

「黒いの?」
「はい?」

 え、クロークさん黒いの見に来ただけだったの? そんな用件で朝から訪問しますか普通。ドア開けたらクロークさんの爽やかな笑顔があって思わず閉めて扉の前で放心したのよ私。締め切りまだ先だし編集関係の人間なわけないって楽観視してた自分を殴りたくなったのよ。夜遅くにうら若き女性を訪ねるのもアレだけど、早朝もどうかと思うわ。私がうら若いかは置いといて、内容は間違っていないはず。私良いこと言った。

「クローク様はどこからそれを?」
「ハイマーに聞きまして。アイミリがコーノ先生の後をぴょいこら飛び跳ねて着いて来ていたと。ところで黒いのとは」
「アイミリの名前ですね」
「……ほお」

 クロークさんが意外である。まさか黒いのみたいな小動物に興味がある人だとは。ああ、でもアイミリって珍しい生き物らしいから、好奇心を刺激されたのかもしれない。指定動物保護管理基本法とかいう法律のせいで、ウィルアーロには動物園(水族館や昆虫館も)がないから珍獣を目にする機会はとても少ない。たまにペガサスがスズメと一緒に空を飛んでるが、あれは私には珍しいだけでこちらではごく一般的な光景だ。

「アイミリに唆されて更に仕事が滞ったら困りますからね。さすがに夜分遅くに妙齢の女性を訪ねるのは遠慮しましたが、朝一番でお邪魔させてもらいました。杞憂だったようで何よりです」
「理由は分かりませんが、アイミリは自分の意志でコーノさんを追い掛けてきたようですから」
「ああ、ハイマーにも言われたんですがね、心配ないと。操られている様子もないし害意も感じられなかったからと」
「ご自身の目で確かめた方が安心でしょうし、無駄足ではないでしょう。良かったのではないですか」

 そうですかねぇ。そうですよ。

 穏やかに笑い合う(ルメニアさんが笑っているのがポイントである。最近ぽこぽこルメニアさんが無表情以外の顔を見せるのだが、これはどういうことだ)二人を見て、私はルメニアさんへの驚愕とともに、当然と言えば当然の疑問を抱いた。

 この二人、どういう関係?

 我が道を行く苦労人のくせに傍若無人(これが矛盾しないのがルメニアさんである)なルメニアさんが様付けに敬語。そして親しげ。クロークさんも可愛い教え子でも見るような目でルメニアさんに接している。

 私の疑問は当たり前だろう。


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