流されながら自由に生きる、それが私のポリシーです。 | ナノ



01

「先生! 『モモ太郎』の重版についてですが……」
「ごめん今ムリ手ぇ放せない適当によろしく」
「ちょ、せんせぇえええッ!?」

 悲痛な声を上げる新人編集者ににっこり笑う。絶望的な表情だが私にはどうしようもない。両手はキーボードを打ち、足は資料を広げ、サイドとついでに背後には鬼の形相の編集者たちが控えている。しかもお互いライバル会社だからビチバチと火花も飛び散っている。そのまま発火して全部燃えてくれないかしら。もう書くの疲れたよパトラッシュ。そんな私は犬派ではなく猫派でもなくパンダ派である。



 忘れもしない、あの気付いたら着衣で温泉ぽちゃん。お菓子の家では変態に遭遇してしまった事件略して初めまして異世界事件の日から三年。

 何をどう間違えたのか、元の世界の時と同様かそれ以上に忙しい毎日を送る日々。
 楽しめと言われた異世界ライフを仕事で忙殺され、楽しむ余裕がないに等しい小説家。

 現在の私の事情である。


***

 三年前、あの時の事は今でも明確に思い出せる。一緒に苦い記憶の数々も付随してくるが、今となれば笑い話で済むことだ。いや、若干笑い話で済まない犯罪まがいな事象もあるのだが。

 ともあれあの後、爆弾発言の後あっさり去っていったルメザニアン=ロストの後ろ姿を見つめ、私はしばらく呆けていた。ヒールで危なげなく砂利道を歩く彼女にひっそり尊敬の念を抱きつつ、あっちには温泉とマッサージチェアしかないけど何処に行くんだろうと新たに疑問を生じさせながらも、唯一の道しるべであるガイドブックを開いた。
 何故か今までと違い英語オンリーで書かれたその本の冒頭は、こんな言葉から始まっていた。

『まずは仕事を見付けましょう』

 異世界ライフエンジョイしてねって言っといてそれ?

 続いて多様な雇用条件や高倍率の就職口の説明がつらつらと続く。シビアな就活になりそうだ。世界は違えど氷河期はどこでも起こるものらしいと戦慄した。しかし同時に日本との共通点を見つけてホッとしたのも事実である。それが仕事というのがなんとも遣る瀬ないのだが。

 そのままお菓子の家でガイドブックを一度読み(速読は社会人の必須条件である)、もう一度読み(繰り返し確認も必須条件である)、不安だったのでもう一度読み込んだ頃には日は高く上っていた。ガイドブックによるこの世界の概要はさておき(と言うか当時はファンタジー小説でも読んでる気分で全然実感なかった)、当面する事は定まったのだ。相変わらずのヒールと浴衣というアンバランスな格好で、まずはスーツを買おうと私は行動した。

 ガイドにあった通りに床板(ウエハース。やはり雑な菓子の家だ)をひっぺがし、現れた階段(普通に石段だった)を下って進んで登って進んでを繰り返した。ここに突っ込みは不要である。そんな怪しい階段使うなよなんて後々自分でも頭抱えたわ。
 そして体感時間にしておよそ五分(腕時計では三分だった)後、私は街の入り口に立っていたのである。

 ガイドにあった通りだったが、ぽかんと口を開いたものだった。街の入り口――私の周囲にはお菓子の家もなければ森もなかったのだ。徒歩三分の距離なのに、影も形も見えないなんておかしい。特に森は。
 と、一時考え込みそうになったが「まぁ異世界だし」で誤魔化した。魔法が存在するこの世界ならきっとあり得ちゃったりするのだろう。きっと。

 それからスーツを買う(ガイドブックによると換金制度があるらしい。身に付けていた装飾品で事足りると考えた)(他部署の上司からの贈り物だが惜しくはない。それにイヤリングもネックレスもかなり、いや大分高価な品である)ために道を行き交う人に店を訊こうとした時に事件は起こった。しかしここでは省略しよう。その事件後何がどうなったのか小説家なんてものになっている。食い扶持には困らないけどとてもハードな仕事だ。

 持ち前の笑顔(会社勤めの性)と話術(年の功)を駆使してご近所付き合いは完璧だが、編集者たちには早々に本性を表した。それ故の現状だが後悔はない。締め切りに追われているのに周囲を気遣うなんて私には無理だ。
 もっとも私は小説家と言っても童話作家。そして童話はありがとう地球の絵本たちな内容である。それなのに何で締め切りに追われるか? 大人の事情である。罪悪感? 著作権切れてるし大丈夫。あと著者名は作品に合わせて変えてるから許してくれないかしら。作者分かんないのは私の名前使っちゃうけど。

 日々の仕事が忙しく、地球を懐かしむ余裕すらない。トリップ当初から日本に帰りたいという強い想いは何故か持ち合わせなかったため、特にホームシックや鬱になることなく、来てしまったものは仕方ないと、開き直って仕事に追われるエンジョイできない生活を送っている。あれこれ元の世界にいた時と変わらないぞ。
 自分の状況に思うところがないと言えば嘘になるが、考えたところでどうにもならない事も確かである。だから。

 ――過去は振り返らない。大切なのは現在(いま)。戻れない過去や不確かな未来なんかじゃなくて、現在を生きよ、青少年たち!

「先生! 『美女と珍獣』の装丁が文体と合わないと編集部が!」
「『青い靴』を読んだ靴屋が一斉に抗議の電話を!」
「『ツンデレラ』の世界観が分 かりにくい! 子供向けなんですからもっとシンプルに……」


 ……訂正しよう。現在(いま)からの逃避も、時には重要だよね!


***

 この世界は、私がいた世界と、似ているようで似ていない微妙なラインを行く場所だ。町並みだけ見れば正直グローバルなだけで(人の色彩がカラフルだから)都市部の様子と変わらない。
 文化も発達していて、科学の産物は、現代日本と比べても何ら遜色はない。トリップ小説でありがちな、呪文やギルドといった類もない。が、異能者や勇者や聖女や魔王はいる。え、そんな。

 ……うん、三年もいるのに未だ実感出来ない。それ以外は日本と似てるから尚更。まさか異世界でもビル街が立ち並んでいるなんて誰が思うのか。
 まあ、あれだ。現代日本に超能力者と勇者と魔王が闊歩する世界だと思えばいいのだ。間違ってはいない、はず。


 ――何はともあれ、私は今、それなりに充実した生活を送っている。


「先生、三徹は覚悟してくださいね」
「すみませんすみませんすみません」


 ……充実、してるかしら。


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