短編 | ナノ



二年二組に先生の居場所はありません

「郁美(いくみ)先生、今日もお綺麗ですね」

 最近の子供たちは早熟だと聞きますが、それにしてもちょっと大人すぎやしないでしょうか。


***

 げんなり。まさしくそんな心境だけど、それを顔に出すことはない。というか慣れた。毎日聞いてるんだからそりゃ慣れる。だから今も「ありがとう、鈴木くん」とにっこり笑顔で返すことが出来る。ついでにそっと握られていた手を放す。フニフニプニプニの紅葉みたいな手が惜しいけど、この子相手じゃプリティハンドを愛でるのにはリスクが高過ぎる。ほら、名残惜しそうに私の手の甲をすーっと撫でる鈴木くんの目は小学校二年生のものではない。これは捕食者のそれである。弟が自分の彼女を見る目と変わらない。いやぁ、忘れ物を取りに戻った家のリビングで女の子が組み敷かれてるの見た時はびびったなぁ。女の子の上に乗ってた弟が何故だかホイップクリームを持ってた気がしたんだけど怖いからこれ以上思い出さないようにしよう。勿論静かにその場を去った。一昨日の事である。それから何か言いたげな弟が、例の話を持ち出そうとするたびBダッシュ一択な私である。あの子エロゲーやり過ぎて遂に三次元にも持ち込み始めたのかな……。

「郁美先生」

 明後日の方へ行きかけた思考を呼び戻したのは佐伯さん。二組の佐伯さんは双子の次女だ。クリクリした目とふわふわの髪が可愛らしい。

「スズーリュ……じゃない、鈴木くんがカミュ……上山さんを厭らしい目で見てるのでこの世から消し去って下さい」

 思想は甚だ過激である。

「佐伯さん、そんな事を言ってはダメよ」
「じゃあ先生、ジョ……城島くんとシラー……白井くんのあれはダメじゃないんですか」

 そしてよく噛む。舌ったらずが可愛い、プリティトング。ちょっと意味合いが違う。
 って城島くんと白井くん?

「やっぱテメェとは合わねぇな! 何回生まれ変わったってそれだけは変わんねぇ。ちょっとでもテメェに歩み寄ろうとしたオレが馬鹿だったわ」
「ふ、馬鹿馬鹿しくて話にならん。勝手に吠えていろ、愚図が」
「ああん? テメェなんつった? あ? 相変わらず陰気な野郎だなぁ、おい。負け犬魔王さんよぉ」
「勇者に敗れた貴様の言えた事ではないな、近衛隊長」
「っ! 死ね糞が!」

 広がるのは見慣れた光景。いやでもあれはヤバイ。クラス一犬猿の仲の城島くんと白井くん。どっちも耽美系とやんちゃ系の可愛い子なのに口を開けば罵詈雑言。しかもよく分からないことで言い争う。対戦ゲームでもやってるのかな。小学校二年生にしてはバイオレンスかつえげつない二人の諍いは実力行使だけに留まらない。初めて配ったクラス通信「みんななかよし」を手にした途端、お互い顔も合わせず鼻で笑った過去を持つプリティ生意気ボーイズだ。これには私の心が折れた。ちなみに二回号から「みんななかよし、だといいね」に変えた。どうしてか保護者から苦情はなかった。覚悟していたのに一体どうして。

 いやいや脱線している場合じゃない。城島くんと白井くんだ。
 イスを持ち上げ振りかざす白井くんに、同じくイスを振り上げ防戦する城島くん。そのまま投げ飛ばし始めた。え、冗談じゃない、怪我でもしたらどうするんだこの子たちは。
 慣れたもので、二人の周囲にいた他の子供たちは無言で教室の反対側に避難する。たいへん賢い行動だけど、なんかこう、もうちょっと反応はないのだろうか。『こら! ケンカはだめなんだよ!』とか。

「こら! ケンカはだめなんだよ!」

 山口さん……!

「ケンカなんて生温いことじゃなくて相手の息の根止める気でいきなさい!」

 山口さん……。
 彼女に期待した私が馬鹿だった。無邪気な微笑みを浮かべる山口さんのプリティボイスが紡ぐのは、邪気に塗れた一言だ。私は見た目清らかな彼女から優しい言葉を聞いたことがない。まったく一度もない。そして城島くんと白井くんは山口さんのアドバイスを受け入れたのか、イスから机に持ちかえた。力持ちだな小学二年生、だなんてそんな呑気な感想抱いてる場合じゃない。

「城島くん、白井くん、止めなさい!」

 ギロリ。邪魔すんなとばかりに向けられた四つの瞳に震えたのは過去の話だ。もう慣れた。「クソババァ」と吐き捨てられたのには手が出そうになったがなんとか堪える。体罰ダメ、絶対。引きつる口元を抑え、諭す。

「ケンカはダメよ、二人とも」
「黙れ、愚図」
「女が男同士の喧嘩に口挟むんじゃねぇよ」

 学習しないプリティ糞ガキどもですこと。プリティつけてもフォロー出来なくなってきた所にこの子たちの糞ガキ加減が窺える。二組で一番頭がいいプリティ膝小僧渡辺くんの「こいつら馬鹿ですね」という呟きが聞こえないのだろうか。私はやる時はやる先生ですよ。一年前ならいざ知らず、だってもう慣れたもの。

「佐伯さん、お姉さん呼んできてくれないかな」
「な、卑怯だぞテメェ!」
「チィッ」

 一組の佐伯さん。双子の長女を呼ぶように頼めば犬猿二人は噛み付いてきた。プリティ犬猿ボーイズは一組の佐伯さんを何故かとても恐れている。キラキラした目の緩いウェーブが美しいプリティ少女のどこが怖いんだろう。

「城島くんと白井くんに会わせたくありません」

 佐伯次女にすげなく断られた。途端に元気になるんだから犬猿ボーイズには困ったものである。ところでそこまでの何かが佐伯長女にはあると言うのか。今度一組の担任に聞いてみよう。
 ぎゃーすか再び争い始めたプリティお馬鹿さん二人。私の堪忍袋の緒はとっくに切れている。この流れに覚えはあるだろうに、どうして同じ事を繰り返すのか。本当に、学習しない。

「ケンカは、だーめーよー?」
「っ、く、放せ!」
「はっ。これだから童貞は」

 二人を抱き上げると、無理矢理胸に顔を押しつける様な形になった。それに白井くんが真っ赤な顔で上擦った声を上げた。馬鹿にする城島くんの言葉はきっと空耳に違いない。違いないったら違いない。
 何を考えているのか羨ましそうな目を向けてくる山西くんと、微妙に引きつった顔で見上げてくる石田さんを見なかった事にして視線を逸らすと、佐伯さんが冷えた眼差しを腕の中の二人に送っていた。冷気を通り越して吹雪いている絶対零度な視線を注がれているにも関わらず、件の二人は腕の中でも暴れ回っている。たまに私の胸を鷲掴みにするのはわざとなのか……偶然だと言う事にしておこう。私の平和の為にも。

「郁美先生、あいつ殺します」

 既に宣言になっている佐伯さん。明言するだけマシなのか。氷の視線を私の腕から教室の隅にスライドさせた佐伯さんの目線を追うと、鈴木くんが震える上山さんを膝の上に乗せ、首筋をねっとりと舐めていた。

 ……ん?

「いやそれはアウトでしょ!」

 涙目でふるふる震える上山さんはたいへん可愛らしい。実家が神社の上山さんは、綺麗に切り揃った真っ直ぐな黒髪がチャームポイントのプリティガールだけど、今日はプリティエロガキ鈴木くんによって乱されている。ああ、真っ白な項(うなじ)に赤い舌がよく栄える――ってそんな場合じゃない!

「止めなさい鈴木くん!」

 周囲もどうして止めないの! そもそも照れる素振りすらないってどういうこと。嘆息して呆れてるかニヤニヤ見物してるかの二択は絶対おかしい! あ、また山西くん羨ましそうな顔を。石田さんは? 葛城くんに目を押さえられてる。ナイス葛城くん。二年二組唯一の純情ガールにこの姿は見せられない。葛城くんはがっつり二人を見てるけど。

「巫女も王子も相変わらずだな」「ほんと、当てられちゃうわ」「お、葛城ナイスアシスト」「おいこら白井ー、お前いい加減センセーから離れとけー」「ううううるせー!」「おい愚図、お前胸痩せたか?」「あら、松山さんごきげんよう。重役出勤ですわね」「はよー。ちょっと事件に巻き込まれてた」

 ………。
 ……慣れた、慣れたわ、ええ。

「あれ、先生ピクピクしてるけどアレ大丈夫か」「メンタル弱いな。あんなんじゃ魔王どころか雑兵にもやられるぞ」「大丈夫でしょう。今の魔王はあの状態ですし」「命拾いしたよね。先生ごときじゃヤられて殺られて終わりだよ」「つーか王子も巫女もその辺にしとけ。侍女抑えられんのも限界だぞ」


 慣れた。
 ……慣れた、けれど、も。
 ――、っ、このプリティガキども……!! 好き勝手言ってくれちゃっていい度胸じゃない。先生ごときぃ? 魔王ぉ? ヤられるぅ? ゲームと現実の区別ついてんのこの子たち。『お、仲間』。そんなセリフと一緒にぱっと脳裏を過るクリーム持った弟。ええい出てくるな弟。あんたはもう手遅れよ。それに佐伯さんの事は「次女」じゃなくて名前で呼びなさいって何度も言ってるのに……。あぁまた松山さん分団登校無視したのね。まったく諸々含めて二組には一発ガツンと怒って――

「あ、チャイム」

 いつも穏やかプリティ吉川くんが一言。
 子供たちは波が引くように大人しくなって席に着いた。
 腕を振りほどいた白井くんが飛び降りざまに胸を鷲掴んだのはきっと偶然だろう。重役出勤の松山さんは堂々と無断遅刻した挙げ句淡々と席に着きおもむろに取り出したクロスワードを着々と解き始めた。TOEICで900点をとった、留学経験のある伯母が「難しいです」と匙を投げた英語版クロスワードである。そして松山さんは帰国子女ではない。お姫様抱っこで席まで上山さんを運んだ鈴木くんは、その隣の自分の席に移動する。席替え当初あの席は横井くんのものだったけど、穏やかに微笑んだ鈴木くんに、横井くんは無言で席を交換した。空気を読むのに長けた小学生だ。横井くんの隣の席は石田さん。なんだか泣きそうになっている。先生も泣きそうよ石田さん。


「郁美先生、授業です」

 何事もなかったように、礼儀正しく言われた言葉。
 生徒たちの目は「早く始めてよ」という色がありありと浮かんでいる。

 ほんとに泣いていいかしら。






「……今日の日直は上山(かみやま)みことさんと鈴木(すずき)大慈(おおじ)くんです。じゃあ二人とも、朝の挨拶をお願いします」







 授業が終わり、廊下に出る。通り過ぎた二年一組では、元気いっぱいに手を挙げて発言する佐伯長女がきゃっきゃっと楽しそうに笑っていた。教室の前には「みんな元気な二年一組」の張り紙が。

 いいなぁ。



 二年二組を振り返る。
 慣れた感情に蓋をして、遠くを見つめて胸の内を小さく音にのせてみる。



「二年二組に先生の居場所はありません」



 ちょうど教室から出てきた一組の先生に、同情の視線を頂いた。


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