きゃっきゃっと、娘の笑い声が部屋中に響く。吹きこぼれた鍋に火を止め、シンクを拭こうと台拭きへ手を伸ばしながら娘の方を見ると、海外土産の民芸品の人形を手にとって遊んでいる姿が目に写った。人形の両腕を掴んで、ブランコの様に体を揺らしてにこにこ笑う娘は、たいそうその人形をお気に召したらしい。娘が振り回す度にゆらめく人形のドレスが特にお気に入りらしく、ぱたぱたと無意味に上下させる。お絵かきはもう止めたらしい。虹色に染まる画用紙が散らばり、ところどころ折れたクレヨンは床を転がっていた。
――遊び終えたらちゃんとお片付けしなさいって言ったのに。
そのまま視線をずらせば、ひっくり返されたおもちゃ箱が目に入る。耳から綿がとびだしたくまのぬいぐるみが、うつ伏せに放り出され、積み木はバラバラに散らばっている。今朝掃除機をかけたばかりだというのに、既にすごい散らかりようだ。
――お昼ご飯より、片付けが先かしら。
伸ばしかけていた腕を降ろし、台所から出て一続きになっているリビングへ足を向ける。こっちまで転がっていたクレヨンを拾い拾い進めば、娘は満面の笑みをそのままに、人形に向かって語りかけていた。
「しゃんぷーはしますかー? まぁ、きれいなかみですね。はい。じゃあかみのけちょっきんしますねー」
――美容師ごっこかしら。
昨日の散髪で随分すっきりした娘の髪を見ながら、推測する。今までは私が切っていたのを、初めて美容院に頼んだからか、娘はそこでの散髪に大いに満足したようだった。きらきらと目を輝かせ、「おおきくなったらびよーしさんになる!」と宣言してくれた。ちょっと前までお花屋さんになるって言っていたのにな。好奇心旺盛で色々なことに関心を抱く娘が、微笑ましく愛しい。……――じょきり。
――え。
じょきり。じょきり。
娘が、人形の髪を片手で掴み、大胆にその金髪の巻き毛を切っていた。
――あぁ、そういえば私も、娘の年頃は美容師気分で人形の髪を切っていたわ。切ったばかりの時は達成感に溢れたけれど、成長するにつれ、不恰好な人形で遊ぶのが嫌で、だんだんと触れる機会が減っていったんだっけ。
じょきり。
数秒の回想が途切れた。同時にふっと現実に引き戻され、慌てて娘の手を押さえる。
「ママー?」
「ハサミは危ないから、だーめ」
どうやって手に入れたのか、娘には届かない場所にしまっていたはずのハサミを取り上げ、子供用に加工してある、アニメのキャラクターがデザインされた、切れ味の悪い方を渡す。
それににぱっと、「あんぱんまん!」と笑んだ娘は、音の外れたあんぱんまんマーチを歌いながら、再び髪を切ろうとした。
もちろん、切れない。
何度かハサミを当て、どうやっても切れないと判断したのか、ぷぅと膨れた娘はハサミと人形を投げ出した。今度はくまを掴んで、その耳をがじがじと噛む。そろそろ耳がとれそうだ。噛みぐせはどうすれば治るのかしら。
「お人形はもういいの?」
「いーの!」
「じゃあ、お片付けしようね」
「うんっ」
元気な返事に笑い返し、散らばる髪の毛を集めて捨てた。
***
娘は、相変わらずとっかえひっかえ、好きなおもちゃを好きなように遊んでいた。なかでも人形は好んで遊び、ざっくばらんな髪の毛をくしけずり、着せ替えをして、幸せそうに笑って。
「 」
……何か呟いたのだろうか。聞き取れず、声を上げる。
「どうしたの?」
娘は、楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、言った。
「もういらない」
***
人形を取り上げる。不揃いな髪に、落書きされた体、ボタンが引きちぎられたドレス。
娘がいらないと言っておもちゃ箱に押し込んだ人形は、改めて見るとボロボロだった。
今、娘は外で遊ぶのに夢中だった。遊具がたいへん気に入ったらしい。おもちゃ箱には見向きもしないで、公園に連れていってとせがむ。雨が降ったらお絵描きに絵本。このボロボロのおもちゃはもう必要ないのかもしれない。
娘に相談しようかしら。人形を箱に戻そうとすると、何故か手が滑った。
あ、落ちる――、
ぐしゃり。
「――っ」
声にならない悲鳴が喉を詰まらせる。
可愛らしい人形は、手足を投げ出して地に伏しながら、微笑みを浮かべている。
いつもならすぐに戻して気にもとめないのに、何かが引っ掛かって、行動に移せない。
何が、いったい、何が。どうして。
――あ。
――ものが落ちる音とは、もっと、無機質なものじゃ、
『ぐ しゃ り』
――あぁ。
――あぁ、ああ。
「気味が悪い」
人形を、ゴミ袋へ、棄てた。
***
いたい、いたい。かみ、ひっぱらないで。いたい、いたい。うで、ひっぱらないで。あれ、どうして。あれ、なんで。××がいるの。××は××なのに。いたい、いたい。あし、ひっぱらないで。あ、ママ。待って。なんで、××はここにいるよ。ママ、なんで、おにんぎょうといっしょなの。あ、ママ。やっときてくれた。ねぇママ、からだいたいの。いたいの。ねぇママ、ねぇ、ママ、ねぇ、マ
ぐしゃり