短編 | ナノ




 美人は泣いても美人。訂正しよう。どんな人間だって泣き顔はぐちゃぐちゃだ。綺麗な涙なんて、作ったものじゃなければ流せない。

 顔は真っ赤で眉を寄せ、鼻水だって出てる。女子大生が、と言う以前に、赤の他人の前で見せる顔じゃない。

 ああもう、ったく。

「ほら」
「っあ、」

 財布と一緒に尻ポケットに突っ込んでいたティッシュを取り出し、女の前に突き出す。ちょっとコンビニ行くくらいでポケットティッシュなんていらねぇよと主張した俺に妹が無理やりねじ込んだ物だが、まさか本当に使う事になるとは。一緒にハンカチもねじ込まれたが、鼻噛むのにハンカチ渡すのは嫌だ。洗う洗わないの問答も、ティッシュならあっさり解決だ。

 押し付けられたティッシュを反射的に受け取った女は、俺とティッシュを交互に見る。ずび、と鼻を啜りながら、それでも使わない女に「顔、ひどい事になってるけど」と言えば、ようやく手を動かした。
 広げたティッシュを手に、女が顔を背ける。一応自分も視線を逸らして待てば、「ありがとう」とかぼそい声が耳に届いた。

 ああもう、ったく。
 さっきと同じことを内心吐き捨てる。“前世”なんて言い出した時からとっとと帰ろうという思いは消えていたが、別に好奇心が満たされたわけではない。結局傘には触れず、ただの恋愛相談になってるんだからそりゃそうだ。女主導で話を進めてたら、いつまでたっても先に進まない。それに、何をぐずぐずと躊躇っているんだろう。女が思い悩む理由が、俺にはさっぱり分からない。

「くっだらねぇ」
「……」
「何がうまくいくわけないんだよ。自分で言って泣くくらいだ。その幼なじみさんのこと、弟じゃなくて異性として好きなんだろ」

 そう言えば、女は勢いよくこちらを見た。しかし言葉が出ないのか、ぱくぱくと口だけ開閉させる。

「つーかさ、何がダメなんだよ。幼なじみさんはあんたが好き。あんたも幼なじみさんが好き。じゃーいいじゃん。何の問題もねぇじゃんよ」
「だから、私はもうオバサンで、私からしたら彼は子供みたいな年齢で、」
「それ。ぶっちゃけ俺は、あんたの方がガキっぽく見える」
「な、」
「あんた大学生だろ? んで、前世も大学生だったんだろ? 合計したら四十だろうが、幼なじみさんが社会人一年目だろうが、一回も社会人やってないあんたより、その幼なじみさんのが随分大人だと思うね」

 カサリ、とコンビニのビニール袋が音をたてる。中に入った菓子を意識すれば、脳裏に一人の姿が思い浮かぶ。

「『学生と社会人の間には、大きな大きな差がある。同い年だって会社勤めと大学院生は精神的にだいぶ違う。社会に出て、仕事をして、得るものは学生時代とは全く違うものだし、いくら学生の中では大人びてようがしっかりしてようが、社会人を経験した奴には適わない』……って、これ、俺の妹の言葉」

 三つ年下の妹は、お互い小学生の時から何かにつけて説教みたいに俺に言い聞かせてきた。耳にタコが出来るほど聞かされたせいで、簡単に諳じる事が出来る程だ。
 すらすらと口をついた妹の言葉を、黙って聞いていた女は、ぱちりと一つ瞬きして、訝しげに口にした。

「妹、さん? お姉さんじゃなくて?」

 妹と姉を間違えるなんてあると思っているんだろうか。俺はそんなドジじゃない。

「正真正銘、俺の妹。中学三年」

 可愛くない、憎ったらしい不敵な顔を思い浮かべながら、付け足す。

「あんた風に言うなら、『前世三十八年分の知識がある、精神年齢五十三歳の中学生』だな」

 沈黙は一瞬。そして女は、零れんばかりに目を見開いた。






「え、な、どういうこと?」
「どうもこうも、まんまなんだけど」

 驚きが過ぎたのか、女は唾を飛ばす勢いで疑問を投げ掛ける。今度は興奮にか、紅潮した頬を視界に留めながら言葉を返せば、不服そうに目を細める。

「ただあんたと違うのは、妹は前の人生で二十四年、前の前の人生で十四年過ごしたってことだな」
「さ、三回目ってこと……?」
「そうなんじゃねぇの? 少なくても俺が知ってんのは前二つだ。で、ついでにもう一つ。『前世の記憶があるから得だわって思ってたけど、大人って全然違った。社会人になったらみんなスタートラインは一緒よ。プラス十四年の経験値なんて、全然意味ない』だってさ、妹曰く」

 女は呆然とこちらを見る。それを見返しながら、淡々と返した。

「幼なじみさん、あんたが思ってるよりよっぽど大人なんじゃねぇの。少なくとも、学生謳歌してるあんたより、揉まれて打たれて経験値積んでるだろ。……つーか、さ。本当に興味ないならばっさり振って悩まないだろ。あんたがそんなぐだぐたしてるって事は、幼なじみさんに惹かれるとこがあんだろ? 精神年齢とか問題にもなんねぇよ。どうせあと五十年経ったらみんな一緒だし、歳の差婚なんてその辺にいくらでも転がってるだろ」

 そもそも、人の傘パクった挙げ句知らん顔したり、いきなりぼろぼろ泣く女を、俺は大人とは思えねぇ。

 最後に加えた言葉に、女はぽかんと口を明け、次にきゅっと唇を持ち上げた。
 泣き笑いのような、苦笑のような、そんな笑顔。

「……そう、そっか。あいつの方が大人か」
「だろうね」
「そっか。……そっか」

 数拍、のち。
 女はくっと顔を上げ、挑むように俺を見ながら、すっと傘を差し出した。

「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」
「まだ降ってるけど、いらねぇんだ」
「あら、貸す気もないくせに」

 勝ち気そうな眉を吊り上げ、女はくすりと笑う。そういえば、負の感情が含まれない笑顔は初めてだと思っていると、一転さっと自嘲するような表情で、女は続ける。

「今日はね、彼に返事をしに行くの。すぐに答えは出さなくていい、来週のこの曜日、返事が欲しいって。……先週は私の誕生日で、今週は彼の誕生日なのよ。ほんと、ロマンチストって言うか。……私、颯爽と振るつもりだったの。大人として。だから、雨に濡れてびしょびしょだったら、かっこつかないでしょ? それに、そうやって肩肘張らないと、颯爽と、振る、なんて、出来ない気がして」

 女の声が、一瞬震えた。そしてどうやら、これが傘を必要とした理由らしい。ああやっぱり。経験則に外れはなかった。つまり要は、女の自尊心のため。くだらない理由だと、一笑にふしてしまえる理由だが、彼女の葛藤を目にした今、口にするのは憚る。
 しかし彼女は、自分であっさり口にした。

「くだらないでしょう。奥山くん風に言うなら、『くっだらねぇ』かしら」

 そして彼女は笑みを浮かべ、

「でも、もういらない。雨の中だって、駆けてってやるわ」

 断言した声は、もう震えてはいなかった。



***


「一樹、遅い!」
「悪かったな。ほら、誕生日オメデトー」
「あ、コンポタ! やったーあたしこれが一番好き!」

 家に帰れば、妹が仁王立ちで玄関に立っていた。ビニール袋を差し出すと、飛び付くようにひったくられる。

「なんで五十三本なんだよ。十五本でいいじゃねぇか」
「少ないより多い方がいいもーん。それにねぇ、スレてる一樹お兄ちゃんには、ちょいちょい歳の差意識させないと付け上がるでしょ。言っとくけど、スレてるのと大人びてるのは違うんだからね? まぁーったく一樹お兄ちゃんは」
「ハイハイハイハイ」

 説教くさい言葉の最後に、「だから大人(あたし)の言うこと聞きなさい」と決まって口にする妹。この菓子だって同じことを言って買わせに走らせた妹様だ。

 しかし頬をパンパンにして物を咀嚼しながら説教されても、何も怖くない。これで精神年齢五十三とか堂々と言うんだから笑ってしまう。
 妹の言葉が嘘だとは思わない。けど、肉体年齢に精神が引っ張られるという事もあるのだろう。


 前世の記憶がある彼女。いや、彼女“たち”。
 要るはずもなかった記憶(モノ)を引き摺って、悩む必要はない。

 前世は前世で、今は今。

 容易に割り切れるものではないのだろう。しかし、固執したところで生まれるものは何もない。



「あれ、晴れた」

 妹の声に窓に目を向けると、いつのまにか激しい雨は上がっていて、暖かい日射しが射し込んでいた。


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bkm

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