短編 | ナノ



前世の記憶がある彼女

 腕に山と抱えた一本十円のスナック棒菓子。占めて計五十とんで三本。値段に換算すると五百三十円。駄菓子としてはなかなか高額になったそれを、どさりとカウンターに置くと、山が崩れて転がった。バイトらしい店員は、ちらとも表情を変えずに馬鹿丁寧に一本一本バーコードを読み取る。ぴ、ぴ、と、意識しているのか偶然なのか、規則的に響くリズムが二十を越えた辺りで後ろの客が鼻を鳴らした。

「お次のお客様はこちらにどうぞー」

 どうやら隣のレジが空いたらしい。後ろに並んでいた、缶コーヒーを持ったスーツ姿の男が、大袈裟に腕を振って移動する。軽くぶつかったがわざとだろう。謝りもなしに去った男の器は体型に反して小さいに違いない。まぁ体型自体、大きいと言っても横にだが。
 ふと視界に入ったスラリとした女性。おそらく会計を終えたばかりであろう彼女は後ろ姿しか見えないが、かなりのスレンダー美人である。この肌寒い中惜し気もなく晒された生足が美しい。幅太スーツと足して二で割ったら丁度良さそうだ。いや、やや太めか。美脚女性がガリガリではなく健康的な細さだからなのか、幅太スーツが彼女の細さではカバー出来ないくらいでっぷりしているからなのか、判断に迷うところである。

 ベルがなり、自動ドアが開く。女性が一歩踏み出すのをなんとなしに見送ると、雨が斜めに地面に叩き付けられているのが分かった。夕立だ。どうやら傘を持っていけという妹の言葉は正しかったようだ。コンビニ前の傘立てに入れたビニール傘を思い出してひっそり妹に感謝する。
 ようやく会計が終わったらしい。悪びれない声で値段を告げる店員に小銭をぴったり五百三十円払い、レシートを断って袋を受け取った。隣のレジでは男がイライラと貧乏揺すりをしている。煙草がないらしい。「研修中」の文字を胸につけた店員が、棚を必死で探している。「先輩、セブンスターってどこでしたっけ」「んー」俺を担当した店員はのんびりしたスタンスを崩さない。性格なのかワザとなのか、どちらにしろ接客には向いてない。そんな事を考えながら自動ドアをくぐる。すると。


「……それ、俺のですけど」

 ついさっき、コンビニから出たはずの女性が、ビニール傘を手にして立っていた。






 美人は性格が悪い。そんな言葉を思い出した。不細工の僻みと言えばそれまでだが、成程、そうなのかもしれないと、俺のビニール傘を持ったまま突っ立っている女を見る。もっともこの場合、悪いのは性格じゃなくて性質かもしれないが。

「それ、俺のですけど」

 重ねて言えば、傘の柄を持つ白い手が、ぎゅっと握り締められた。固く、堅く。まるで手放す気はないと言わんばかりだ。
 案の定、女は厚顔無恥にもしゃあしゃあと嘘を吐いた。

「……勘違いじゃない? これ、私の傘なんだけど」

 美人は性格悪い、決定。ビニール傘だから証拠はないと高を括っているのか、その顔には焦りも罪悪感も浮かんでいない。
 あつかましいな、この女。
 コンビニにいた時とは一転、内心残念だと肩を落とす。いくら美人でもこういうのは頂けない。隠せないため息をひっそりと吐き、ゆっくりと腕を上げる。訝しげにこちらを見る女が持つ傘を指差し、告げた。

「その傘、帯のとこ。俺の名前書いてあります。奥山一樹(おくやまいつき)」

 ぎょっとしたように女が目を開いた。まさか名前が書いてあるとは思ってなかったのだろう。俺も今まで苦々しく思っていた。高三にもなって持ち物に名前を書くとかやってられない。クラスの奴には小学生かよと馬鹿にされていたが、初めて役立った。勝手に書くんじゃねぇよと怒鳴って兄妹戦争を引き起こした曰く付きの傘だが、今日はいい働きをしてくれた。帰ったら妹に礼を言おう。

 狼狽えたように何度も目をしばたく女は、それでも傘を手放さない。まったく往生際が悪い。それともそこまでして雨に濡れたくない理由があるのだろうか。
 初めてその理由にまで思索を伸ばすと、女の目からぽろりと涙が零れた。はらり、はらり。一度流れたそれは止まることなく零れ落ちる。激しい雨とは大違いの繊細なそれ。美人は泣いても美人だと、頭の片隅で思った。

 思ったが、それだけだ。大部分は、女への呆れの気持ちが占めている。軽蔑もあるが呆れが色濃い。幾度も瞬きをしていたのは泣くためか、よくやるな。思いはそのまま口に出ていたらしい。女の頬にサッと朱が走った。

 女は唇を戦慄(わなな)かせる。更に言い募ろうとした時、再びベルが鳴り、男が出てきた。機嫌は最悪のようで、眉間には深い皺が刻まれている。激しい雨足を見て、更に顔を顰めた。
 軽く舌打ちをしながら、男が首を振る。視線が揺れたと思うと、それはぴたりと女が持つ俺のビニール傘で止まった。

 ――冗談じゃない。

 女もそうだが男に対する印象も良くない。この男は譲歩や融通という言葉とは縁遠そうだ。一瞬でそこまで思いを馳せて、男の視線を断ち切るように、女が傘を持つ手をぐいっと引く。が、女は頑なに傘を手放さない。自分の眉間にも皺が刻まれるのを自覚しながら、傘を返せと口を開きかけた途端、今度は逆に、女が俺の手を引いた。

「やまなさそうだし、早く帰ろうか」
「え」

 驚いて力が抜けた俺の手から、女は手を放して傘を素早く開く。ぽかんと間抜けな顔をしているだろう俺を置いて、女は再び俺の腕を引いて隣に並ぶ。傘は十二分に大きいが、流石に二人で使うには狭かった。冷たくなる肩に心中軽く舌打ちして腕を引かれるままに歩を進める。後ろからは盛大な舌打ちが聞こえた。

「ほら、はやく」

 理解が追い付いていない俺の腕を、強く引く。足だけは前へ進むのをいい事に、女は足早にコンビニを離れ、住宅地の入り組んだ道へ突き進む。一つの住宅の、塀の上から公道へと生い茂る木の葉が雨避けの様に広がった下へ入ったところで足を止めた。
 この短距離で疲れたのか、女は肩で息をしている。その肩が自分以上に雨に濡れているのを見て、いい気味だとひっそり思う。

「いったい何ですか」

 女が呼吸を整えるのを見計らって、訊く。口調が刺々しくなったのは仕方ないだろう。それからまだ掴まれたままだった腕を見ると、気付いた女は手を離した。

「……ごめんなさい。どうしても濡れたくなくて」

 濡れる自分の肩を、ただじっと見つめていた女は、それからすっと目を伏せて、呟く。黙って見ていると、気まずげに顔を逸らした。
 さっきとは一転してしおらしい様子に、逆に不信感が募る。そのまま顔に出たらしい。ちらりとこちらを窺った女は、俺の表情を見て苦く笑った。

「とりあえず、傘、返せよ」

 敬語を取り払って女に言えば、女の顔が強張った。ためらいがちに視線をさまよわせ、一度自分の肩に目を留め、口を引き結ぶ。そして、まるで何かを振り切るように首を振り、訴える様に俺を見つめる。しかしすぐに恥じた様に面を伏せ、消え入る様に言葉を発した。

「……それ、貸してくれない……?」

 自分でも、図々しいと分かっているのだろう。女の頬はうっすら赤く染まっている。それは羞恥だろうが、さっきとは含まれる意味が違う。自分の言っている事が、恥ずべきことと理解して、それでも言わざるを得ない自分に向ける羞恥。何の心境の変化があったのか、コンビニ前でのふてぶてしさは見られない。

 その様子に、少しの興味がわいた。女が態度を変えた理由。女が濡れたくない理由。こうまでするわけは、ただ単に服を濡らしたくない、という理由だけではないのではないか。

「何でそこまでして傘が欲しいわけ?」

 そう問い掛けたのは、ただの好奇心で、女が答えなかったり、答えが月並みなものだったら、俺は女を放って帰るつもりだった。さっきは唐突なことに戸惑って流されたが、今なら女から傘を取り上げられるだろう。女を放ることについて、少しの罪悪感を抱くだろうが、全体を通せば俺は傘を奪われかけた被害者だ。後に引くことはないだろう。

 そう、聞く人によれば冷たいと感じられそうな事を考えていたのだが、俺は別に自分が悪人だとは思わない。善人でもないが、冷血漢ではないのだ。ボランティア精神や博愛精神に溢れているわけではない、ただの十八歳。基本的に他人に無関心で、野次馬精神と好奇心は人並みに持ち合わせている。
 そして好奇心は、あまり満たされずに終わるというのが、今までの俺の経験則だ。だから、女に訊ねる一方で、俺が納得するような答えは得られないだろう、いや、それ以前に答えてくれないだろうと、端から期待はしていなかった。
 だが。

「……そう、ね。フェアじゃないもの」

 濡れた自分の肩を見つめ、諦めたように空を見上げた女は、思いがけない返事を返した。

「あら、なぁに。目ぇ丸くしちゃって。意外だった? まあ、ねぇ。むしろ私も話したかったって言うか。誰かに言いたかったって言うか」

 俺の顔を見て、気安くそう続ける女の表情は、口調と反対に陰りがある。
 好奇心。そんな軽い気持ちで訊いたのは間違いだったと思わせるには、十分な表情。しかし、今更後には引けない。

 黙って女を見ることで、話を聞く意志を表せば、女はゆっくり口を開いた。

 私、ね――、

「前世の記憶があるの」



***


 前の人生は大学二年生。二十歳の誕生日にね、車でひかれてそのまま死んだの。なんでだろう。理由は分からないけど、私は前世の意識があるまま生まれてね。また女子大生やってるわ。あ、待って。とりあえず、最後まで聞いて。……うん、それでね。今の人生には幼なじみがいたの。二つ歳上で、男の子。小さい時は泣き虫で、いつも私の後ろについて回ってた。私も人生二回目で色々思う事はあったし混乱も大きかったんだけど、それでもその子があんまり頼りないものだから、いじめっ子は追い払ってあげたし、虫にぐずぐず泣いてたのを慰めてあげたりしたのよ。
 小学校、中学校は一緒で、高校は別だったけど、家が近所で親同士も仲が良かったから、交流は途切れなかったわ。高校生になってもやっぱり気弱で、否定的な事も言えなくて、「オレよりよっぽど大人だなぁ」って、私に言うような人なの。でも彼、頭は良かったみたいで、大学は他県の公立大学を受験したから、その間は会わなかったのね。こっちの女子大、ああ、私、今は三回生なんだけど、私は地元に進学したから。彼はね、就職はこっちでするからって、一昨年の冬から戻ってきてたの。久しぶりに会った彼は、やっぱり気弱で、変わってないなぁって思ったわ。
 就活もそうだったけど、就職してからはもっと忙しかったみたいで、家は近いのに去年から全然会えなくて。ただ、たまにね、たまたまお互い家を出てばったり会った時なんかに、少し、話すくらいだった。

 つっかえつっかえ、女は過去を口にする。口を挟もうとしたら制されたので、言葉を飲み込んだのに、女はなかなか核心に迫らない。焦れったい。そんな気持ちでもう一度口を開けば、気付いた女は再び口を開いた。

「一週間前、彼に会ったの」
「……」
「その時、……告白されたわ」
「だから、何なんだよ」

 思わず口を出してしまった。
 だが仕方ないだろう。俺だって想定外だった。“前世の記憶がある”――それから始まり幼なじみとの思い出話、ついには告白された報告なんて、いったいどうして聞かなくてはいけないのか。馬鹿馬鹿しい。苛出ちと共に零れた言葉を、後悔はしていない。
 しかし女は、この一言に怒るでもなく、ただ言葉を続けた。

「だから、ね。前世の記憶があるのよ」

 諦めたような、遣る瀬ないような、そんな口調。
 何が女をそうさせるのか分からなくて眉を寄せれば、察したように続けた。

「彼は新社会人。私の精神年齢は四十代。……一回りも、離れてるのよ」

 昔から、私にとって弟みたいな人だったの。うまくいくわけないじゃない。

 女の頬を、雫が伝う。雨じゃないのは一目瞭然で、さっきの嘘泣きとは違うのも、一目で分かることだった。


prev next

bkm

「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -