短編 | ナノ



日々徒然

 人生とは、かくもままならないものである。夢は叶わないから夢なのであり、努力は必ずしも報われるわけではない。志し努力し夢を叶え成功する者が、この広い世界、一体どれほどいるというのだろう。輝かしい脚光を浴びた、そのほんの一握りの人間の下には、光の届かない沢山のなりそこないが折り重なっているというのに。所詮決まっているのだ。分相応不相応は始めから。過程の努力や目的地以前の成果など、何の意味もないのだと。最後に辿り着けなかった事にはかわりないのだから。

 ……最も、随分と前に挫折し諦めた私が今更こんな事を零しても、聞き苦しい負け惜しみにしか思われないのだろう。

 だが。

 ――全ての者は初めから、どんな運命を辿るのか決められている――

 ……それが、私の持論と言うにもおこがましい、ありふれた、心から賛同する、一般論だった。





 ――そう、決まっているはずだった。




 しがないコンビニ店員A。それが私である。BやCと称さなかったのは、捨てきれない微々たるプライドのせいか。微妙過ぎる。
 今日も今日とて若干交通の便が悪い――つまり立地条件が悪い――何でこんな場所に建てたんだというコンビニで、いたく真面目に働いている。

 そう、真面目に。

 もう一人の店員が全く使い物にならないので、一人で二人分の仕事をこなしているのだ。
 一体誰だ、このシフトを組んだのは。いやまあ店長ですけど。知ってはいるが、溜息を禁じ得ない。

 「キミうち長いんだし、バイトの子よろしくねっ」という言葉に素直に頷かなければ良かったと何回後悔しただろう。思えばあの時店長は何かとしきりに謝っていた気がする。どうしてその時疑問に思わなかったのか。過去に戻れるならあの日の自分にこう言いたい。苦労ばかりよ断りなさい、と。……まあでもお世話になってる店長に本気で頼み込まれたら、諾と言わざるを得なかったのだろうが。

「いらっしゃいませー」

 入店を知らせるブザーに、マニュアル通りの言葉をかける。接客用の笑顔や言葉なんて今の状況じゃ必要ないだろうが、大人として最低限の義務だろう。まあ、やはりというか、客は商品を一瞥もしないで彼女のもとに直行する。人壁に埋もれているもう一人の店員は、私の場所からは全く見えない。
 彼女の存在を私に認識させるのは、その人だかりと、彼女が好むヒプノティック・プワゾンの香水だけである。

 響くブザー。ああ、また増えた。もはや溜息も出ない。香水の香りと熱気に気持ち悪くなってくる。狭い空間に、何だってこんなに人がいるのか――理由は言わずもがな、この人だかりの中心で、苦笑を浮かべながらも内心自尊心を刺激させられているだろう彼女なのだが。

 ――そう、彼女こそ、AやBなんて、そんなその他大勢の称号とは無縁の、まさに、物語で言う『主人公』にふさわしい、選ばれた存在なのだ。




 飯田洋子(いいだようこ)。
 それがもう一人の店員の名前である。
 この付近の大学に通う、普通の女子大生だ。
 あくまでも、一見すれば、なのだが。
 顔は上の下。厳しい人が見れば中の上くらいか。人より少し可愛い程度の容姿だが、この歳の子にありがちな、派手で肌が荒れそうなメイクでなく、程良く元の顔をより良く見せる、なかなかポイントが高いメイクをしている。ケバい化粧や挑発的な服装なんかは一切無いが、お洒落に興味がないわけではなく、野暮ったいだとか、地味だとかではない。
 茶色に染めた髪も丁寧に巻かれていて、肌も化粧水や乳液でしっかり手入れしているのだろう。興味ないからと言い訳して、女として綺麗でいる為の努力を怠ったり、下手に顔に色々塗りたくって満足しているようなのよりよっぽど好感が持てる。
 同性の私でさえそうなのだ。年の割に落ち着いた雰囲気も相まって、彼女の周りには常に人が絶えない。

 なかなか近くにいないだろうタイプの彼女に夢中になる同年の大学生達。
 年上の可愛らしいお姉さんに憧れと好意を抱く高校生達。
 日々の仕事に疲れ、癒しと甘やかな至福の時を求める大人達。

 年甲斐もなく彼女の言動に一喜一憂する彼らを、一体どれほど見てきただろう。
 それは彼女の性格と性質が成す物で、私には関係ないものと割り切れればどれほど良かっただろう。

 異性に人気な者は、同性からは好かれないというのがセオリーだが、彼女にはたくさんのオトモダチがいる。共通すべき事は、皆一様に彼女のことが大好きで大好きでたまらないと言ったところか。
 派手な美人や、やり手な仕事人、可愛らしいお嬢様など、彼女の周囲は平凡とはかけ離れている。

 彼女のオトモダチと、彼女を『想う』者達同士での争いは、もはや日常茶飯事と化した。

 だから、今も。

「夏休みは何処に行きたい? 貴女が行きたい所なら、何処でもいいのよ?」
「洋子チャン、つれないわねぇ。アタシを振って、そこのお嬢サマを選ぶのかい?」
「洋子さん、今日もお可愛らしい」
「オレが買ってやったブレス、似合ってんじゃねぇか」
「はぁ? 俺がやったリングのが似合ってるだろ」
「洋子、手が腐る。買い直してやるからそんな物捨ててこい」
「……いや、みんな、あたし仕事中なんだけど」

 洋子、洋子、洋子、洋子、延々と木霊する言葉に、眉を寄せている姿が容易に想像出来る口調で彼女がぼやく。
 みんなに好かれ、みんなに愛され、みんなに大切にされている彼女は、けれども同じだけの愛を返すことはない。
 苦笑を浮かべながら、『大人として』『当然の』仕事のジャマという言葉で彼らをあしらうのだ。

 構われない事から、彼らがより彼女に付きまとうのを知りながら。
 本気で迷惑がっていれば、彼らは彼女のジャマをしないと知りながら。

 誰からも好かれるように仕組まれた彼女の言動。
 誰からも愛されるように努力された彼女の容姿。
 人に好かれたいと思う気持ちは誰にでもある。
 でも、その為にここまで計算された言動を繰り返す者はいない。
 しかもそれが、一年前まで高校生だった人間の行為だと思うと、何とも形容しがたい気持ちがわき上がる。
 拭えない違和感。
 ――果たして、大学生活一年目の女が、そんなに愛されることに執着するのだろうか。
 困った、迷惑気な顔をしながら、あなた達とは違う、と――内心で、肥大した自尊心と共に、見下した様な冷笑を浮かべている気がするのは、私の被害妄想なのか――




 今日も、彼女はシフト上がりに私に声を掛けるのだろう。

「いつもすみません、先輩」と。

 心底苦々しい表情で、全く、仕事の邪魔なんてあり得ないわ、と呟きながら。
 彼女からわざわざ話しかけてもらったという、身分不相応の栄誉を与えられた邪魔者として、彼らに冷え切った眼差しを向けられるのを承知の上で。



 ――正直、彼女と同じ空間にいるのが耐えられない時もある。
 シフトを変えて欲しいと思った事も数知れない。
 でも、店長に泣きつくことはない。
 彼女がいかに触れがたい、関わりがたい人間といっても、彼女のおかげでこの辺鄙な店の売り上げが伸びていることは事実だ。大切な客寄せをみすみす逃がしはしまい。

 それに――

 恩義ある店長(たいせつなひと)に、「助かるよ」と微笑んでもらえる仕事は、ここにしかないのだから。


「いらっしゃいませー」

 さあ、アナタの大切な者のもとへ、どうぞご勝手にお行き下さい。

 そんな気持ちを込め、お決まりの言葉を口にする。



 ――私はまだ知らなかった。

 一歩離れた場所で見ていたはずの、彼女を取り巻く男女の関係に、否応なしに巻き込まれる事を。
 定められた運命が、私なんかを『主人公』の彼女に関わらせるはずがないと、勝手に信じていたから。

 ――そんな無知な私を嘲笑うように、彼女を呼ぶ様々声が、大きく反響して私を貫いた。


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