短編 | ナノ




 こうして私たちは、男の家庭教師になったのだ。


***


「へー、召喚師なんですか! すげー、そんな職業あるんだ異世界。でも召喚師が召喚されるなんて笑っちゃいますね」
「召喚したのはきみだがな」
「あ、はいごめんな……すみません」

 説教の効果は早速出ているようだ。それは嬉しいがこの状況は腑に落ちない。
 同僚と男を友人にするための後押しをする。そう決めたはずなのに、これはどういう事だろう。同僚は先程から厳しい顔のままぼけっとしており、私が男を時に叱咤し時に気分転換にのり、同僚に務めさせるはずであったあれこれを一手に引き受けている。何度か水を向けたが同僚は応えなかった。普段から思っていたが、同僚は私と居る時に気を抜き過ぎである。他の同僚と居る時は、むしろ率先して動いて手早く物事を片付けるというのに。もしや私は舐められているのだろうか。しかし同僚の能力は突き抜けているため、怒りも湧かない。同僚に関しては諦めている。私も歳をとったものだ。

「あー分からんやりたくねー」
「分からないなら調べればいい。分からないと自覚する事は悪い事ではない。それからどう行動するかが人の価値を分ける」
「……すげ、ドラマの先生みてぇ」

 男は無駄口をよくたたく。それに一々反応して説教するから同僚たちに煙たがられてきた私だが、驚いた事に彼はそうは思わないようだ。真面目に受け止めるその姿には好感が持てる。その真面目さを勉強にも向けてくれれば何の問題もないのだが。

「召喚師ってたくさんいるんですか?」
「両手で数えられるくらいだな。召喚術を操る一族は一つの上、その中でも召喚師と成れる者は少ない」
「へぇ。て事はお二人は優秀なんですね」
「私は努力したよ。きみも努力しなさい」
「はい……」

 男は机に向かった。内容が分からない私には、彼がどの程度進んでいるのか分からないが、男はかなりの頻度で話し掛けてくる。それが勉強を嫌がるからなのか、それとも私たちの世界に興味を持っているからかは分からない。一言二言答えて、勉強を促す度に男は嫌々書物と向き合うから、おそらくただ勉強したくないだけだろうとは思うのだが。

「それにしても、なんでお二人が呼ばれたんでしょうね」
「私はついでだ。きみの方が理由を知っているだろうに」
「え!? 知りませんよ! つーか知ってたらこんな事になってねぇよ!」

 またおしゃべりが始まった。端的に返せばすっとんきょうな叫びが返ってくる。口調も崩れた。それほど心外だったらしい。

「適応性」

 いい加減、いきなり話題に加わる同僚には慣れたいものだ。男に向けていた視線を同僚に移すと、同僚は淡々と言葉を続けた。驚いた。今までとは一転、真面目に考えて話している。その証拠に眼光の鋭さが和らぎ、表情も無表情ではなくそれなりに人間らしい雰囲気が出ている。
 さて、それはともかくとして「適応性」とはどういう事であろうか。男も気になる様で「適応性って何ですか」と訊いている。完全に意識を勉強から切り離した様だが、同僚の言葉は私も気になるところである。注意はせずに言葉を待つと、同僚はすらすらと語った。

「世界を行き来するのは、力の強さも頭の良さも、容姿も人柄も潜在能力も家庭事情も関係ありません。必要なのは“呼び出された世界に身体が馴染むかどうか”。これだけです」
「なるほど、一理ある。呼び出された世界と身体の相性が悪ければ、目的を果たす前に衰弱するだろう。確かに過去の文献の事例では、歴代勇者の容姿性格その他はまちまちだが、身体が拒否反応を示したり、文化が肌に合わない事はなかったようだ」

 同じ世界でさえ、違う国へ滞在すれば疲れが溜まるものだ。文化の違いと一口に言っても、生活様式が異なるというのはかなり大きな違いを生み出す。それが更に世界も越えるとなると、当人が受ける負荷は計り知れないものだろう。
 そこまで考えてはっとした。他人事の様に納得していたが、今現実に自分がその状況に立っている事に気がついた。ああ、つまり私は、すぐにその事実に思い至らなかった程こちらの世界と相性がいいと言うことか。

「ですから召喚対象はまず前提条件として、世界に適応出来る体質である事が重要なのです」

 能力その他は二の次です、と続けた同僚に、「軟水も硬水も両方飲める胃が必要ってことか」と男が納得している。妙な納得の仕方であるが、間違ってはいない様な気がするので突っ込まないでおいた。話を掘り下げれば下げる程勉強から遠退いていくのだら仕方ない。納得出来たところで早く机に向き直りなさい。
 そんな意味を込めて男を見ると、男の方も私を見返してきた。意図せず数秒見つめ合い、男同士で何をやっているんだと我に返って言葉を紡ぐ。が、音が唇から発せられるかられないかというところで、男の疑問が零れ落ちた。

「じゃあ、俺が召喚したのはおじさんだとして、お兄さんは何で来たんですかね」

 彼は何を言っているのだろう。
 召喚されたのは同僚で、私の方がおまけのはずである。天才型の有能な同僚を差し置き私が中心に据え置かれるはずがない。……いや、だが同僚の推論が正しいならば、能力云々は関係ない。なら、本当に私が呼ばれたのだろうか。確かに男の尻を叩いているのは私であり、同僚は何もしていない。一歩引いて見れば驚く程簡単に納得出来る事実で埋め尽くされているが、私の感情が、優秀な同僚をただのおまけとして扱うのはおかしいと訴える。

 彼が意味もなく呼ばれたとは思えない。なら、彼が来た意味は何なのだろう。

 召喚師の任を受けて、もう三十年の年月が過ぎる。過去の召喚師たちの中には、一度も召喚術を行う事無く眠りについた者たちだって数多くいるが、それでも彼らは召喚術に対して膨大な知識と理解を示していたし、私自身もそう自負していた。しかしどうだ。実際は、分かったつもりになっていて、全く分かっていなかった。同僚のいう勇者の条件など思いもしなかったし、どんな仕組みで勇者が選ばれ、どんな理由で勇者が在るのか、私は何も知らないのだ。

 黙り込んだ私を不思議に思ったのだろう、男は私に声を掛ける。しかし自分が残念だが、それに応えてやる余裕が今の私にはない。これまで抱いていた召喚師としてのあらゆるものが、ぐらぐらと不安定な音をたてる。
 情けないことに、答えを求める様に同僚に目を向けると、彼は真実真剣な眼差しをしていた。この表情が私に向けられるのは初めてで、ひどく不安な気持ちに襲われる。ああまったく。だから同僚は嫌なのだ。人を落ち着かなくさせるから。

「分からない事は、調べればいいではないですか」

 瞠目した。感情を読み取るのに長けた同僚らしい言葉だった。しかし、まさかその言葉を選んでくるとは思わなかった。
 けれどそれが私を落ち着かせるために選んだ言葉なら、結果は上々だ。足場が崩れたのは確かだが、私は確かに立ち上がった。その通り。分からないなら調べればいい。知ろうとすればいいのだ。

 まったくこれだから同僚は嫌だ。一回りも歳が離れているなんて信じられない。頭の回転も、人の機微を読み取るのも、何より感情を理解して手助けするも、全てに抜きん出て優れているのだから。

 はらはらと私たちを見ていた男の目を、まっすぐ見つめる。ぱちくりと瞬く男に、緩やかに笑むと、ホッとした様に目尻が下がった。言い歳した大人が不甲斐ない姿を見せてしまった事を恥じ、「申し訳ない」と謝罪する。
 それに男は笑って言った。

「すみませんじゃなくていいんですか」
「申し訳ないはいいんです」

 男は声を上げて笑った。同僚も、僅かに柔らかな空気を纏っている。
 特に何かが変わったわけでも、解決策が見付かったわけでもないが、流れる空気は今までで一番穏やかだ。
 今なら勉強の進みもいいだろう。自然に思って男を促そうと口を開き――



「ただいま、義輝(よしてる)。今日の夕ご飯は何が――……」



 扉を開いて声を掛けた女の登場に、男と、そして女が固まった。

「あ、姉貴……」
「……え? よ、義輝、お客様がいらっしゃっていたの? ず、ずいぶん個性的な衣装を……?」
「あああ姉貴! いや! これはその!? うわああなんて説明すれば!?」

 どうやら私たちを召喚した事を、女に秘密にしておきたい様だ。面差しが似ているし、「姉貴」と呼んでいるのだから、彼らは姉弟なのだろう。
 召喚なんて大層なものを、どうやって男が誤魔化すのか気になるが、今一番気になるのは、隣の同僚の様子である。

 あれは彼が、何かに興味を引かれた顔だ。

 その対象が、慌てた男の身振り手振りの弁解を黙って聞き、困惑した表情を見せる「姉貴」である事が、非常に、非常に気に掛かる。

 新たな何かが始まる予兆をひしひしと感じながら、漠然と、同僚が呼ばれた理由を――こちらへ来た理由を予感した。


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