彼らの恋愛事情 | ナノ



女性視点*三好雪乃の場合


 容赦ない力で私を抱き締める男に、諦めにも近い感情を抱きながら、彼の名前を呟く。

「…加賀さん」

「馬鹿だな雪乃。俺はお前しかいらないのに。確かに彼女は婚約者だが、それは親が勝手に決めたこと。俺の恋人も、妻も、相応しいのは雪乃だけだ。雪乃以外の女は欲しくない。俺が他の女といたのがそんなにショックだったのか?可愛いな、雪乃。安心しろ、俺は雪乃以外の女を女とは認めない。雪乃、雪乃。こんなに震えて、可哀想に。不安にさせたか?すまない、雪乃。雪乃の不安を取り除く為なら、俺は何でもする。ああ、離れているのがいけないのか。なら一緒に暮らすか。ずっと一緒にいれば、馬鹿な事は考えないだろう?なぁ雪乃。そうするか。お前が不安に思う事なんて、何もない。俺がずっと傍にいて、ずっと抱き締めて、ずっと愛を囁いて、ドロドロに甘やかしてやろう。同棲…いや、結婚するか。そうだな、それがいい。早く俺だけのモノになれ。なぁ雪乃。式場はどうしようか。雪乃には白無垢が似合うだろう。なに、ご両親の了承はとっている。今から入籍だけでもしてしまおうか。婚姻届けを書こう。あぁ雪乃。雪乃、雪乃。雪乃、雪乃、雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃雪乃」

 いつものことながら、人の話を聞かずに好き勝手妄想を口にする男、加賀芳弘。

 何をどう勘違いしてその結論に至ったのかさっぱりだ。……うそ、ホントは知ってる。こんだけアプローチかけられてスルーするのは、よっぽどの鈍感か馬鹿だけだ。生憎あたしは人並みに他人の感情の機敏に聡かった。それこそこの引く手数多な色男が、何故だかあたしに好意を寄せているらしいと気付く程度には。

 いつ彼が想いを自覚したのか、加賀さんがあたしをそういう目で見始めた時には、もう既に、あたしには春人がいた。――のに、加賀さんは気にせずアプローチをかけてきた。ホント止めてほしい。いくら春人の心が広くても、あれだけ二人の時間を邪魔されたらイラっとくるだろう。事実、いつもは穏やかな春人が、加賀さんに対して舌打ちしたのを見た。ちなみにその行動、いつもと違う春人の姿に、きゅんときて惚れ直す要因になったのだけど。

 春人がいるにもかかわらず、加賀さんがモーションをかけてくる。そんな日がどれくらい続いたのか、なんと加賀さんは、実力行使に打って出た。ホントに嫌だ、無駄に行動力のある人って。

 怖いくらいにあたしの行動を把握している加賀さんに、もうこのままじゃいられないと、春人に別れを切り出したのがその直後。
 あたしから言い出した事だけど、あっさり了承されたのは少し悲しかった。春人とは相思相愛だと思っていたから、尚更。
 その時春人は、「雪乃ちゃんもね、その内気付くよ」と言っていたけど、何に気付くってのよ!っと、キレて八つ当たりで春人に一発入れてしまったのはご愛敬だ。人によっては逆ギレだ何だと言うかもしれないが、あの時の憤り、分かってくれる人も多いだろう。

 春人と別れてから、加賀さんの中で、あたしと加賀さんは付き合ってる事になっていたらしい。思い込みって怖い。あたしが何度否定しても、「照れるなよ」で済ませるんだから。

 今回だってそうだ。

 一体誰が好き好んで勘違いストーカーと遭遇したがる?

 どう取り入ったんだか、両親と仲良くなって、無駄にあたしの家に入り浸る様になった加賀さんのせいで、あたしの安息の地はごっそり奪われてしまったのだ。

 偶然会いたくない男にあったら、見て見ぬふりをするのがベストだろう。それが思い込みの激しい自称恋人性犯罪者なら、即座に踵を返す事必然だ。まかり間違っても加賀さんが言うような、「見知らぬ女に嫉妬してショック受けて逃走」ではない。断言する。それはない。

 だと言うのに、この男は勘違いした挙げ句見当違いなフォローをして、プロポーズまでしてくるのだ。いや、プロポーズとは言わないのかもしれない。彼は確定事項を独白しているだけのようだから。――あぁ、なんて。なんて、あり得ない!

 どうしたらそんなおめでたい勘違いが出来る?冗談じゃない!あたしはあんたに会いたくなかったから逃げたんですと言えば、少しはスッキリするんだろうか。いや、どうせ「照れるなよ」と返されて終わりだ。同じ日本語を喋ってるはずなのに、どうしてこんなに噛み合わないの。ねぇ。

 この残念美形との初対面の感想が、「うわお父さんの会社の人超美人。現役女子高生より肌キレイってどーゆーコト。スキンケアやばー」と、好意的なものだったから、落差で残念感はひとしおだったりする。
 加賀さんに何があって今の残念美形にチェンジしたのかは分からないけど、ホントに、本っ当に迷惑だ。

 迷惑なんだ。

 …迷惑って言ったら、迷惑なんだ。

 ――…迷惑、なんだから。





 ――なら、どうして、あたしの手はこの男を、自然と抱き締め返しているのだろう。


***

 少し、我が家の話をしよう。

 わたしのお父さんは、あるIT企業の重役です。
 仕事はバリバリに出来て(父談)、職場の人間関係も良好(父談)。いい感じに脂の乗った男盛りのナイスミドル(父談)だから、一夜だけでもいいと、浮気をほのめかす女性が後を絶たない(父談)らしいです。

 うっそくせー。

 お父さんに対して思ったのはこれ。正直家で見るお父さんは、そんなにナイスミドルには見えない。悪いけど。

 そしてもう一つ。

 お父さんに一番強く思うのは、「何でそれを誇らしげに言うの」と、いうこと。

 お母さんがいるのに、嬉々として「部下に押し倒されちゃったよ」と報告するお父さんが信じられない。お母さんがそれを聞くたび、ちょっと悲しそうに眉を寄せて、「そう」と呟くのを知ってるくせに。それに更に嬉しそうな顔をして、お母さんと会社の女の人を比べてこき下ろすのがお父さんの最低な趣味だ。勿論こき下ろされるのはお母さんの方。逆だったら許せるものを。どうしてそんな酷い事をするんだろうか。

 だけど、お父さんが酷いのはそれだけなんだ。その、お母さんに対する態度の一点を除けば、多分、すごく理想のお父さんなんだろう。

 だからあたしは、非道なお父さんにも、それを甘んじて受けるお母さんにも、微妙な感情を抱かずにはいられない。


***

「――だから、あたしは、無条件にあたしをベタベタに甘やかしてくれる芳弘さんを、無意識に意識していたんだと思うわ。今思えばだけど、春人が言っていたのは、あたしでさえ気付いていなかった仄かな恋情の事だったのかもしれないし、芳弘さんが実力行使に出たのは、あたしがまだ気付いてなかった芳弘さんへの想いを、感じ取ったからじゃないかって」

 両想いなら、そういう行為に及んでもいいでしょう?

 左手の薬指に光る銀に触れながら、あたしと芳弘さんの事を語れば、買い物に行ったスーパーで仲良くなった和奏さんに、呆れたような口調でたしなめられた。

「それは考え過ぎじゃない?つまり加賀芳弘は最低男だった、これでいいじゃない」

 吐き出される内容は刺々しい。人の旦那でもお構いなしだ。もっとも、佐川さんに聞いた話から和奏さんの芳弘さんへの心証を押し量るに、納得せざるを得ないけれど。

「芳弘さんが最低なのは認めます。でも、でもね。きっとこの予想は間違ってないと思うのよ」
「加賀芳弘の良さ、分かんないわ。拓くんの方は何倍もいい」
「そりゃ和奏さんはそうでしょうけど」

 一呼吸おいて、膝の上で手を握る。不満げな顔の和奏さんへ向けて、笑顔で言った。

「あの人、確かに面倒だけど、なんでもかんでも束縛してくるわけじゃないのよ。それにあたし、確信してるわよ。あたしは一生、芳弘さんと幸せに生きていけるって、ね」

 カラン

 入店ベルの音に視線を向ければ、スーツ姿の芳弘さんと佐川さんの姿が見える。

 仕事の話なのか、一瞬あたしと目を合わせたのは確かなのに、それなりに距離のある席へ腰を下ろして何事か佐川さんと語りだす。

 ――ほら、やっぱり。

 なんだかんだ、あなたがあたしの意志を無視して事を進めてきた事なんて、何一つないのよ。あたしが自覚していなかっただけで、あなたが行動を起こす時は、既に気持ちはあなたに添っていたんだから。

 いつもベタベタ引っ付いて、甘やかしてくれるあなただけど。

 こんな風に、あたしのプライベートもちゃんとキープして、仕事と私事をきっちり分ける所に、惹かれたんだと思うのよ。


「………そう、ね」


 ――あたしの視線の先を辿って、二人の姿を認めたのち、やや間をあけて返ってきた相槌は、確かにそれを肯定するもので。

 ――どちらともなく顔を見合わせ、微笑した。


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