彼らの恋愛事情 | ナノ



*三好雪奈

 娘の初めての彼氏を見た時、この子は私の男運の悪さを引き継がなかったのねと安心した。それから娘が彼氏と別れたと聞いて、嫌な予感が頭を過った。そして娘に新しい彼氏と夫の部下を紹介された時、この子は私の娘だわと、再認識した。

 娘も男運には恵まれなかったらしい。


***

「困ったよ。部下が食事だけでもと誘ってくるんだがね」

 夕食の食卓。ふきの煮物をつつきながら、夫は今日自分に迫ってきた部下の話を口にする。慣れたもので、娘は表情も変えずに味噌汁をすする。けれど内心穏やかではないだろう。母親として、娘の心情を推し量るのは難しい事ではない。

「……そうなの」

 一言返せば、夫は更に言葉を続ける。

「なかなか気立てが良くて仕事も出来る子でね。きみにはもっといい人がいるだろうと言っても“あなたがいいの”なんて返してくるんだ」

 娘の箸が一瞬止まる。そしてこころなし先ほどより早いスピードで口の中の物を消費する。
 煮付けに、ご飯、味噌汁と、淡々と消費していって。

「ごちそうさま」

 娘は手を合わせ、食器を持って席を立った。

 娘の気持ちは分かる。父親が母親に、自分が異性として会社の人間に慕われているのを嬉々と話すのを耳にして、不快に思わないはずがない。
 娘が幼い時から繰り返されたそれが、娘の中でトラウマになっているのも知っている。
 父親を、素直な尊敬の眼差しで見れないこと。母親を、不甲斐ないと思っていること。男女における恋愛を、信じられないこと。
 知っているけれど、私は娘に掛ける言葉が見つからない。

「……妬いた?」

 いい歳した大人がそれを知りたくてわざわざそんな事をしているなんて、恥ずかしくて言えやしない。
 夫の言動の幼稚さに悲しみを感じながら、お椀に手を伸ばした。




 夫と私はお見合い結婚だった。私は特に何かをした覚えはないが、夫はその席で私を見初めたらしい。それから夫は、よく言えば積極的に、悪く言えば粘着質に、私を射止めようと行動した。
 はっきり言って、私は夫を好きな気持ちより、戸惑いの方が大きかった。何をどう調べているのか、行く先々で夫と遭遇する。会う度「やあ偶然だね」と声を掛けてきた夫だが、顔見知りが平日に一日平均三回も会うのが何週間も続くのを偶然とは言わない。正直に言って、その時点で私の夫に対する心証は“付き纏うの止めて欲しい”というものでしかなかった。
 ある時、ついに耐えかねてそう言えば、きょとんとした顔をして、次には笑ってこう言った。「そうか。じゃあ結婚しよう」ああこの人、言葉が通じないひとだ。何が“じゃあ”なのか分からない。日本語喋って欲しい。呆然としている間に夫はあり得ない行動をとった。近くの公衆電話で私の父に連絡して、電話越しに「娘さんをください」と言ったのである。
 私はただただ、立ち尽くす他なかった。目の前の展開に頭がついていかなかったのだ。
 父とどう決着がついたのか、私は夫の家に連れ込まれる事になった。しかしそこでようやく思考を取り戻した私は、力一杯抵抗した。涙を流して嫌だ嫌だと叫び、全身で拒絶を表した。
 嫌悪感を顕にされて、やっと夫の暴走は止まった。今度は夫が呆然と私を見つめ、次には床に這いつくばって頭を下げた。「ごめん。どうかしてた。ごめん、本当にごめん」繰り返す夫に掛ける言葉はなく、私は無言で家を出た。夫は追い掛けて来なかった。
 そして何日か経った頃、夫は私の実家へやってきた。警戒して夫を睨み付ける私に、真摯に頭を下げた。「もう一度、考えて欲しい」何を馬鹿な事を。鼻で笑って相手にしなかった。けれど、夫は相変わらず訪ねてくる。初めと違い、きちんと連絡を入れてから、私が家に一人でいる時は避けて。
 それがどれくらい続いただろう。ある時、私は夫に迫る女性を見た。夫の会社の同僚らしい彼女が、夫に腕を絡めた途端、凄まじい衝撃を受けた。その腕を放しなさい! 彼は私の――、しかし夫が顔を顰めて腕を振り払ったのを見て、すっと気持ちが楽になった。良かった。彼は――、

 ――……え?

 その時私は、よほど呆気にとられた顔をしていただろう。自分が直前に思った言葉のその意味は。激しい感情のその理由は。まさかそんな。だってその感情は、――嫉妬。嫉妬を感じるなんて、私は夫の事が――。

 夫は私に気が付いて、すぐに走り寄ってきた。そして私がぴくりとも動かないのを、怪訝に思って眉を寄せた。夫が何か言葉を発しようとした時、夫の同僚が後ろから現れ、私を睨んだ。そして――そして、私は思わず言ってしまったのだ。夫の腕に抱き付いて、女に向かって挑発する様に。女と同じように振り払われなかった事に安堵しながら、驚いた様に目を丸くした夫にピタリとくっついて。

 ――この人は、私のよ。

 これがきっかけで、私は夫と結婚する事になる。けれど夫は、私が嫉妬する事に、妙な自信と安心を覚えた。それからだ。夫がたびたび自分が迫られた話をする様になったのは。
 なんてことはない。夫は私を嫉妬させて、自分が愛されている事を確認したいのだ。

 本当に、馬鹿なひと。
 そんな事をしなくても、私はちゃんと、あなたを愛しているのに。

 こんな幼稚で愚かしくて愛おしい、夫の発言の理由なんて、娘にはとても、言えないわ。


***

 娘の旦那は、それはもう、娘を溺愛している。初めて夫に紹介された時は、ただの好青年。その後娘を見る彼の瞳に危機感を覚え、娘がいない時に家を訪ねては「娘さんをください」という姿に昔の夫を思い出し、娘を伴って現れた時は「ああ、捕まったな」と思った。
 娘は私と同じで男運が悪いらしい。けれど、私と同じで男にとても愛されていて、男をとても愛している。
 だから雪乃、私は反対はしないわ。
 あなたは私によく似てる。なら、私と同じで、とても幸せになれるでしょう。


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