『四月三十日 宵』
『うるさいよ。ギャーギャー喚く暇があったら私の肩でも揉んでくれ。騒音で迷惑掛けることもなし、私からも感謝され、良いこと尽くしだ』
『はぁ?死にたい?勝手になさい。でも少年、君への貸し、全額利子つけて耳をそろえて私に返してからにしてくれよ』
『えーいぐだぐだ悩むな少年!なんか今が一番最悪とか思ってるかもしれないけど気のせいだ気のせい。その内なんか良いことあるさ』
怒っていた時も、迷惑そうにしていた時も。
いつも笑顔だった彼女が笑わなくなったのは、いつからだったのだろう。
***
オーナーからその話を聞いたときは、嘘だろうと思った。
そんな俺の顔を見て爆笑した、あの腐れ外道の目を見てそれが真実だと理解した。
だが、理解と納得は別物である。
「……なんで俺なんです」
「自分でも解ってるコト聞くなよ聖志クン☆」
俺の小さな抵抗は、語尾に星付き台詞のふざけた一撃であっさり撃沈した。
「…その依頼主頭おかしいんじゃないですか。世界ぶっ壊す気かよ」
「コラコラ駄目だゾ聖志クン♪ 依頼主じゃなくてお客サマだゾ。悪口厳禁☆」
でも正直それくらいボヤかせてくれても良いと思う。
こんな依頼、する方も受ける方も絶対変態だ。
生命活動に必要なRNAの一部が変質した生態の人間だ。いや人間ですらねぇ。
「失礼だなっ!私は変態じゃなくて変人だゾ★」
「自分で言ってりゃ世話ねぇな」
つか俺声に出してなかったぞ? というつっこみは、この人の前では今更だろう。
やっぱり変態である。
「聖兄(せいにい)」
オーナーの部屋を出て廊下を歩いていると、そんな呼び声と共にトテトテと足音が近づいてきた。
俺を聖兄と呼ぶのは一人しかいない。
「何?倫子(りんこ)ちゃん」
振り返った先には予想通りの姿。
金髪碧眼、フリルの付いた淡い赤のワンピースを着た少女――桃宮倫子(ももみやりんこ)は、俺から数歩離れた場所で立ち止まった。
沈黙。
……倫子ちゃん? 何故睨むのかな?
「聖兄と目と目で会話しようと試みていました」
「普通に無理だろ」
「倫子の愛が足りないのでしょうか」
「何でそうなんの!?」
つい突っ込んでしまった。
いや、でも愛って何だ。愛って何だ! 一体誰だよ倫子ちゃんに適当な事を吹き込んだの。
しゅんとして、「『お互いを想い合う男女は目だけで会話できるのよ!』と、頼沢お姉さまに言われたのですが」と呟く倫子ちゃんに、穏やかな笑顔を意識して作りながら、こんな小さい子に何吹き込んでんだ頼沢さんという怒りを押さえ、誤った認識を訂正する。
「倫子ちゃん、目は口ほどにものを言うって言葉は嘘なんだよ? そんな高等技能が人間に備わってたら、世の中もっと平和だよ? て言うかそしたらめり子さんの仕事なくなっちゃうよ?」
「そうですね。めり子お姉さまが職なしのゴクツブシになってしまいます」
いや、だから誰だよ倫子ちゃんに変な単語教えてんの。
ちゃんとした指導してもらうよう、雨傘さんに教育係頼むかな。いやでも雨傘さんの指導は色々半端ないから倫子ちゃんが可哀想かも。
「聖兄」
と、倫子ちゃんの将来設計(何の含みもないそのまんまの意味で)をたてていたのだが、俺を呼ぶ声に意識を戻し、声を発した彼女を見る。
一見すると西洋人形のような彼女の、いつもは曇りのない碧は、今はどこか緊張を孕んでいた。
何か、倫子ちゃんにとって、大切な話があるのだろう。
すぐよそごとを考えてしまいがちな己の思考を統制し、倫子ちゃんの次の言葉に集中する。しゃがんで目線を合わせれば、薄桃色の唇が、何度か躊躇う様に開閉し、一度ぎゅっと引き結んだ後、ついに言葉を放った。
「……受けるんですか? 依頼」「へ?」
ぽろり、間抜けな声が漏れる。
それに気を悪くしたのか、むすっと口を尖らせ眉を吊り上げた倫子ちゃんは、やや語調荒く繰り返した。
「だから、受けるんですか!って聞いてるんです!依頼!」
何をそんなに怒ってるんだ。あれか、乙女心と言うやつか。
倫子ちゃんの聞きたい事、と言うのは、俺にとっては拍子抜けするほど些細な事で、どう言葉を返していいものか悩む。最も端的に言うなら、「うん」の一言で済むんだが。
そして熟考した結果、俺がとった行動は。
「……情報速いね倫子ちゃん。俺さっき聞いたばっかなんだけど」
明確な返答を避け、会話を続けるというものだった。はいそこ逃げとか言わない。
しかし、本当に抱いた疑問でもある。この速さはさすがにおかしい。オーナーの部屋を盗聴していたかと思うほどだ。
「髪結さんにはバレてました」
……おお。
そうか、人様のお部屋に盗聴器仕掛ける様な子になっちゃったんだな倫子ちゃん。協力者はさしずめあるそっくんか。あいつも暇だな。つぅか倫子ちゃんはともかく、あるそっくんが髪結さん――オーナーに楯突くとは思えない。きっと使用対象は知らなかったんだろう。後で教えてやろ。て言うか倫子ちゃん……。うんやっぱり雨傘さんが必要かもしれない。
「で、どうなんですか」
そう言ってヒタと俺を見据える倫子ちゃん。
この話を逸らされないしっかりしたところは、久遠さんの教えによるものだろうか。あの人倫子ちゃん可愛がってるもんな。
逃避気味に違う事を考えるが、こうも直接的な言い方をされれば、答えはYesかNoかの二択しかない。どうして倫子ちゃんが怒っているか分からなかったから、これ以上火を注がないように明言を避けたと言うのに……。逆効果だった気がしなくもない。
どんな反応が返ってくるかさっぱりだが、ここは腹を括るしかないだろう。
「受けるよ」
倫子ちゃんは、俺を静かに見つめる。
「もう決めたことだからね。それに俺に拒否権はないし」
その顔が、クシャリと歪んだ。
「俺が留守の間、いい子にしてるんだよ」
「聖兄の、ばかっ」
叫んで駆け去る倫子ちゃん。うん、予想通り予想外な反応だね。俺どうすればいいんだろ。
だだっ広い空間に、小さなため息が一つ、零れた。
***
藍染玩具店。
それが彼の勤め先であり、同時に己の存在価値を自覚させてくれる、居場所でもある。
ここはただの玩具店ではない。
玩具(おもちゃ)と称し、人間を貸し出す店である。
もちろん、客も商品も”ただ者”ではない。
某大手メーカーがライバル会社を潰す為に”破壊魔(クラッシャー)”を買う。
政府の人間がある国の要人を始末する為に”暗殺者(アサシン)”を買う。
この店では そんな事が日常茶飯事で起こるのである。
そして、今回の客の指名は、”ハッカー”。
依頼内容は、一九族の一角、”薄墨”の次期宗主、薄墨(うすずみ)あげはの殺害だった。
bkm