引きこもり | ナノ



初稿


 ――バサッ

 原稿用紙がひらひらと舞う。罫線の中に記された見慣れた文字が視界に飛び込み、一瞬、紙と文字だけの世界に飛び込んだ様な感覚を覚えた。まるで、小説の一部になったような。

 …――て、

「「ぇええっ!?」」

 叫び声がかぶる。もう一人は誰かなんて、考えるまでもない。この部屋の中で叫び声を上げるなんて、俺の他には京屋敷先輩くらいだ。神薙先輩も黄色い悲鳴なら上げるけど。
 ……いや、今はそんな事どうでもいい。
 部屋中から咎める様な視線を一心に集める美乃を、俺もまた、腹立ちのままに睨み付ける。
 それを鼻で笑った美乃は、にこやかに微笑み、艶然と言った。

「あんたこんな下手な文章しか書けないの? あぁ、そういや国語の成績最悪だったわね。違うか、国語の成績“も”最悪だったわね」
「だからって人がせっかく書いた原稿投げ捨てることないだろ!?」

 毒を織り混ぜ言葉を紡ぐ美乃とは反対に、俺の言葉は直情的で拙い。でも言ってる事は正論のはずだ。なのにどうして、既に敗色濃厚な気がするのだろうか。まぁ正論の“はず”だと言ってしまっている時点でそれは明らかなのだが。断言出来ないところに俺が美乃に対して強気に出れない事実が如実に表れている。

「流石に美乃さんのやり過ぎだと思いますよ」
「ですよねあげはさん!」

 天才あげはさんの擁護に、俄然力を得た。美乃はソフィストだが引き際は心得ている。あげはさんの参入に、やれやれといった様子であっさり引いた。むしろ引き際が潔過ぎて納得いかない。何で俺だけモヤモヤしないといけないんだ。

「聖志くん、イライラにはお菓子だよ!さぁさぁ食べるがいいよ!新発売イチゴ味!」
「ありがとうございます……って京屋敷先輩、このチョコレートの色流石に毒々しくないですか。何ですこのドキツいピンク」

 と言いつつも貰ってしまうのが俺だ。小動物には弱いのである。
 会った当初はあれだけ食い意地張ってたくせに、今はやたらとお菓子をくれる京屋敷先輩。まさか初めはこんなに懐かれるとは思いもしなかった。リスだったイメージは、今では勿論犬である。

 「相変わらずだねぇ」と呟き茶を啜る神薙先輩も、今は慣れたが初めは面倒臭かった。苦手ではなく面倒だった。
 キャピキャピしている時とのんびりしている時のギャップが激しいのである。初対面であんなにテンション高かった人が、実は趣味も嗜好も全部ババくさいと知った時のあの衝撃。見た目派手なチャラ系美女は、二度もギャップを見せてきたのである。二段構えとは敵ながらアッパレ。最強のギャップ萌を二度も頂けるなんて光栄です、と言うのは葉山の言葉だ。あいつも筋金入りのオタクである。

「緑華ちゃんもいる?いるっ?」
「あはごめーん。私着色料でコチニール使ってるのはちょっと」
「あら、自然着色料でいいじゃない。身体に害はないわよ」
「そうそう! そうだよ!」
「あげはちゃんは良くても私はパス。あと花ちゃんは適当に頷かない」

 ぶぅ、と不細工な顔、スミマセン、膨れっ面で神薙先輩から離れた京屋敷先輩は、あげはさんに駆け寄ってチョコレートをあげていた。お礼に頭を撫でてもらってとてもご満悦な様子である。
 神薙先輩に向かってベーッと舌を出す京屋敷先輩と、それをカラカラと笑いながら相手にしない神薙先輩とに視線を行き来させ、ため息をついた美乃は、お決まりの冷たい口調で言った。

「まぁ、どうでもいいですけど。聖志が私に対してかなり恐怖感抱いてるのは分かり切ってるから置いといて、京屋敷先輩も高倉見先輩も、聖志、かなり酷い事言ってるけどいいんですか?」

 神薙先輩なんてストーカーされてますけど。

 そう言って美乃は、あげはさんが集めてくれた原稿を、トントンと指で叩く。
 確かに、そこには悪口ととられても仕方ない事が書いてあるが――…、

「ちょ、待てよ美乃! それはしょうがねぇだろ! 誰だって初対面には多少厳しくなるし、この時はまだ先輩たちの事、よく知らなかったし。正直に書かないとどうなるか分かってんでしょうねっつったのは美乃じゃねぇか!」
「そうよねぇ、だからこの原稿の言葉は全て真実なのよねぇ。――ねぇ、京屋敷先輩」

 美乃が微笑んだまま悪意たっぷりに言った最後の名前に、グキリと嫌な音をたてた後、ギクシャクと首を先輩に向ける。

 絶望した。

「――…ちょ、泣かないで下さい先輩ぃい! 青丹(あおに)に見つかったら俺確実に殺(や)られますから! ちょ、ま、ホント泣き止んで! 今は好きですから!めっちゃ好きですから!」
「ペットとして」
「そうそうペットとして……――っざけんな美乃ぉ!! あ"、いや違います先輩違うんです。違うからお願い泣き止んでぇええ!!」

 しゃくり上げるでもなく、涙を堪えるでもなく、だばーっと滝の様にまん丸の目から涙を流す先輩を、必死であやす。
 滝の様に、は本来涙に使う言葉じゃないが、正にそうとしか言えない泣き方をするもんだから仕方ない。うん、とりあえず泣き止んで。青丹が来たらマジでシャレにならん。

 助けを求めて部屋中に視線を走らせたが、あげはさんは美乃と話し中だし、高倉見先輩と金佐賀はまだ来てないし、やけに静かだと思ったら倫子ちゃんは葉山の膝の上で寝ていた。葉山も言わずもがなである。
 他のメンバーもまだ来ていない。となると消去法で最後の砦は――

「やぁん聖志くんたら私のこと、ストーカーするくらい好きだったのね!」
「ちっげぇええええ!!」

 砦ではなく敵だった。いや分かってたけどね! 一ミクロンも期待してなかったけどね! しかもこの人の場合、分かってやってるだけにタチが悪い。俺があの時あの場にいたのは、もうだいぶ前にバラしたし、その時神薙先輩が「あちゃー、見られちゃってたかぁ。私もまだまだ修行が足りないわー」と苦笑していたのも憶えている。にも拘らずこの茶化しよう。本当ノリだけはいい先輩だ。

「――って、あれ」

 京屋敷先輩が泣き止んでいた。よくよく見ると、口をモゴモゴと動かしている。嬉しそうに握り締めるのは、ドロップ缶。

 ――あぁ、変わってねぇや。

「もう、美乃さんも緑華さんも、聖志くんを困らせないの」
「「ハァイ」」

 尊敬と感謝を込めてあげはさんを見つめる。
 京屋敷先輩を大人しくさせてくれてありがとうございます。美乃と神薙先輩が、適当とはいえいい子な返事をするのはあげはさんにだけです。あげはさんマジリスペクト。あげはさんの様に俺はなりたい。

「「あんたにゃ無理だ」」

 こんな時だけ意気投合しなくていいよ、お二人さん。




***


「じゃあね、バイバーイ!」

 俺と美乃を除いて最後の一人となった京屋敷先輩が、さっき泣いていた事なんてケロッと忘れた様な元気いっぱいな表情で、教室を出ていった。
 出る間際に、俺たちを見てムフフと含み笑いで「ごゆっくり」との言葉を残していったのだが、彼女はどこぞのオバチャンか。幼く見えがちな先輩が、いい歳したオバサンに見えた貴重な瞬間だった。
 結局、今日は金佐賀をはじめ、他のメンバーは来なかったのだが、まぁこんなものだろう。俺たちも駄弁ってただけなのは否めない。
 難しい顔で俺が書いた原稿を見る美乃に、若干気が滅入りながら、それでも覚悟を決めて言った。

「そんなに俺の書き方ってマズい? 下手? 今日ずっとそれ見てたよな。これでも頑張ってんだけどさ、やっぱ俺には無理かも、」
「一人称と三人称ぐちゃぐちゃ。あと筆が遅い。初日に起こった分も書き切れてないじゃない」
「ぐ」
「あとは……いや、でも、思ったより、悪くない。今までは三人称ばかりだったから分からなかったけど、一人称って状況説明と客観性と集団性がない分、“想い”は深く入りこんでる……。足りない要素は私が補えば、どうにか……? でも何よりは時間よ、時間。時間がない。倫子みたいに私が“映して”書く……いや、量が多過ぎて私が保たない。やっぱりこのままいくしか」
「美乃……?」

 途中、ぶつぶつ呟きだし、何を言っているか分からなくなったのでおそるおそる声を掛ける。そんなに俺って文才ないのか、とこっそり落ち込んだが、それにしても美乃の様子がおかしい。
 俺の声に反応した美乃は、一瞬、分からない程度に顔を顰め、いつもの人を小馬鹿にした様な笑みを口元に張り付け言った。

「――うん、いいよ。悪くない。もっと筆が早ければいいけど、書き方はそのままいって。細事は飛ばしていいから」
「お、おお」
「早く帰んな。私はまだやる事あるから」

 しっしっ、と追いやるように手を振る美乃を背に、教室を出る。
 後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、何故か、教室に戻る事は出来なかった。


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