引きこもり | ナノ



桃宮倫子の独白

「…よろしく、倫子ちゃん」

私は、今でも覚えている。
深い深い闇の中から救ってくれたその人の。
戸惑った様な、照れた様な、その表情(かお)を。




私は、ただの人形。

藍染玩具(おもちゃやさん)には、人形(ドール)と兵士(ソルジャー)の二つの商品がある。闘える…否、使える商品は兵士となり、使えない商品は、お人形の様にご主人様の言う事を聞くだけ。感情はいらない、自我なんて邪魔。だって人形なのよ、自分で考えてしゃべったらおかしいじゃない。おかしいわ。

…でも、

気付いたら周りが真っ赤だったの。どうして?だって倫子はちゃんといい子にしてたのよ、いつも通り、いい子にしてたの。いつも通り、何も考えないで、何も感じないで、いい子にしてたのよ。なのにどうして真っ赤なの、真っ赤。おててもおかおもおようふくも『おとうさま』も『おかあさま』も『おにいさま』も『しつじちょうさん』もみんなみんなみんな。

まっか。

「あ…」

久し振りに"声"が出た。自分の声。あれ、どうして。倫子の声。何で出るの。だって、お人形なのに。イタイイタイイタイ…違うの、痛くないの。お人形だもん。イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ違う、イタイ、違う、イタイ、違うっっ!!
真っ黒。だって目を閉じてるから。開く?ううん、ダメ。どうして?だってほら、

まっかか

「…………………………っいやぁああああああッ!!!」

最後に見えたのは、大きく見開かれた、あか。



次に目が覚めたのは、藍染玩具の自分の部屋だった。ふと目に入った自分の手に、瞬間体に震えが走る。脳裏によぎるのは、あの、毒々しい、あか。でも、今の自分の手は、あんな色じゃなくて。普通の、普段の、いつも通りの肌の色。

「やぁ倫子ちゃん☆お目覚めかな?」

突然近くで聞こえた声に、勢いよく振り返る。
にこにこと、顔も雰囲気も何もかも柔らかい印象を受けるその男には、見覚えがあった。たった一度だけ、会った事がある。その時もこの男は終始優しく笑っていたが、倫子は何か底知れぬ恐怖を感じたものだった。生理的な嫌悪。無感情な、まだ壊れていない、正常な人形だった時ですら感じてしまった恐怖。コワイ、この人がコワイ。ヤダ、何でいるの、出ていって、倫子の近くにいないで。倫子をがらんどうなその目に映さないで。話したくない、見たくない、聞きたくない、同じ空間にいたくない、息が詰まりそう、呼吸ってどうやってするんだっけ、ああ、クルシイ、クルシイ、壊れてる、狂ってる、息が、イタイ、壊れて、まっか、どうして、

「…大丈夫、大丈夫だ。そう、吐いて…うん、肺の中を空っぽにして………大丈夫だから、はい、吸って…そう、上手。そのままゆっくり呼吸して…力を抜いて、はい、俺を見て」

息が出来るようになった。弛緩した体をゆるゆると動かして上向いた先にいたのは、自分よりもいくらか上の、だけど、まだ少年の域を出ない男の子。何故か、その闇の様に深い黒の瞳が、気を失う直前に見た赤と、重なった。



あの気持ち悪い人が出ていって、部屋に残ったのは、倫子とこの男の子の二人だけ。

「………………」
「………………」

気まずい。
…気まずい?…今日の倫子はどうかしてる。気まずい、だなんて。倫子の感情はないはずなのに。ああ、でも、倫子は壊れてたんだっけ。だったらおかしくないのかな。でも…、あれ、何だっけ、思考がぐるぐる、倫子、何考えてたの?…考え?ううん、倫子は人形。考えるなんておかしいわ。でも、…、でも?………ああ、もやもやする。頭の中が真っ白。


「…名前は」

ポツリと、呟くように発せられた言葉。理解できなくて、沈黙をもって答える。

「君の、名前」

私の名前…?

「俺は、唯里聖志。それで君は?」
「…倫子」

質問されるなんて、久々――ううん、もしかしたら、初めてかもしれない。それも名前。倫子の、倫子の唯一の持ち物。

「そっか。倫子ちゃん、だね。


――………おかえり、倫子ちゃん」



おかえり。

その言葉には、温かみがあって。

ぽっかり空いた倫子のこころに、ゆるゆると染み渡っていって。


「…うん、ただいま」


また意識を失う前に、感じたのは、倫子の体を包み込む、優しい温もり。



***


「聖兄」

月も星もない、真っ暗な夜空を見上げながら、大好きな人の名を呼ぶ。

「あらあら。倫子ちゃんったら、一丁前にオンナの顔しちゃって。罪なオトコね、唯里は」
「妹をからかうものじゃなくてよ、頼澤」
「ハイハイごめんあそばせ麗華さん。ワタシが悪うございました」
「いやー、倫子ちゃんも大人になってくんだなぁ」
「倫子ちゃんなら将来有望間違いない。…踏んでくれないかなぁ」
「黙れロリコン」
「守備範囲広いだけだし。将来って言ったし。早とちりは止めてくだせぇ」
「黙れドM」
「もっと罵って頼澤さん!美乃さんのごとく!」
「お黙り安西」
「はぁう!麗華様!!」
「馬鹿だな安西。雨傘さんの前で美乃さんの話題とか自殺行為だろ」
「うっせぇ久遠!オレはこれで幸せだからいいんだよ!」
「これだから男は…」
「「アンタもだろうが頼澤さん!」」


藍染の皆も好き。騒がしいのも嫌いじゃない。でも、やっぱり、一番会いたいのは…、


「よぉ麗華」
「雨傘」
「れい、」
「雨傘」
「…雨傘サン、今度白無地行く時、倫子も連れてってやったらどうだ」
「いきなり入ってきて開口一番がそれなのね。どんな耳をしているのかしら」
「さぁねぇ。で、いいだろ」
「…断る理由もないしね」
「さっすが麗華!」
「雨傘」
「はいはい」
「わたくし、あの女には会いたくなくてよ」
「相変わらずだな、おめぇもよぉ」


「…良かったな、倫子」

「子供に優しいとは知らなかったわ、犬飼」



あの頃は、いつもあなたが迎えに来てくれた。
私はいつもあなたを待っていた。
オシゴトだから、我が儘は言えない。

でも、会いに行くくらい、いいよね。




――聖兄。


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