静かだなぁと扇はあたりを見渡す。
そこが静かであって当たり前なのだが扇はそれでも静かだと感じずにはいられなかった。
そもそも誰もいないのである。
受付にぽつりと、受付嬢がいるのみであとの来館者と言えば扇だけである。
扇はこの静けさと空気が好きだ。
この図書館は穴場だし、変に人気が出て利用者が増えても困る。
かと言ってこのまま誰も人がこなくなればいずれは消えゆく運命が待つのみの
さみしい図書館だ。

「お願いします」

「はい、返却日は来週の流星曜日になります」

受付嬢は淡々とした口調で業務をこなす。
その際、扇とは一度も目を合わせようとはしない。
扇もまた「目を見て話してください」だなんて無粋なことは言わなかった。
その関係性だけで十分だからだ。
けれどその日はふとどこか違っていたように思える。

「あ」

「?」

「すみません、少々お待ちいただけますか。ここ、ほころびてますので」

「え?あ、うん、ハイ」

受付嬢はいつもの淡々とした機械のような口調ではなくどこか
色のさした声で本を指さしながら言った。
指の先には確かにほころんでいて、本をつなぎとめている紐が切れかかっている。
扇はどこか有無を言わさない雰囲気の物言いに少々怖気づいて大人しく本を渡した。
受付嬢は本を受け取ると殆ど向かわない後ろの作業机に本を置いて修理を始める。
背中越しにちらりと見える程度であったが、受付嬢の手際はかなりてきぱきとしていて
扇は思わず感心しておお、と声を漏らす。
それはまるで魔法のようで糸と針で本を縫い上げ、その上に薄い紙を糊付けし、
そして新しく印字された本の背表紙を張り合わせてみるみるうちに新品同様にしあげていくのだ。
不思議と本のまわりに星がチカチカと飛び交っているように見えるのだから見ていて面白い。
受付嬢は出来上がった本を手にすると表紙に手を添えて目をそっと閉じた。
そして何事か呟いて本をまた扇へと手渡した。

「いつも大切に扱ってくれてありがとうございます。よい時間をお過ごしください」

「あの、宇佐さん」

扇は思わず名前を呼んだ。
先ほどまで名前も知らなかった受付嬢の名前を呼んだ扇だが、それを知ったのはほんの数秒前である。
なぜなら今日初めて、この受付嬢の名札へ視線を移したからだ。
呼ばれた受付嬢、もとい、宇佐ははい?と小首をかしげる。
いつもは分厚く視界の歪みそうなメガネをかけている彼女だが、
今はその野暮ったいメガネをはずしている。
本を修理する際にうっとうしくなったのか、作業机におきっぱなしだったのだ。





宇佐はいつも、その来館者がくればドキドキした。
図書館の受付嬢は日によって一人制と二人制がある。
二人制の時はよくもう一人の受付嬢と話をしているが一人の時は比較的無口だ。
そりゃあ、一人ごとをぶつぶつと言う趣味はないので当たり前と言うべきだが、
特に扇が来たときはひっそりと、息を潜めるように仕事に専念する。
扇はよく中庭に面した窓側の読書スペースを陣取る。
持参した暖かそうな紅茶の入ったポットを取り出し、コップに注いで机へ準備する。
それからあらかじめ選んだ一冊の本を開いて読書に没頭していた。
時々、鳥の鳴き声に反応して顔をあげることもあるが大抵そんな時は
時間を忘れて読みふけっていた為、時間の確認をするときなのだ。
宇佐は扇の横顔が日の光になぞられるところも、くたびれたように首を回すしぐさも好きだった。
どうして彼がこんなさびれた図書館にあしげく通うのかまでは謎だが
宇佐にとっては好都合だった。
扇を毎日眺めていられるのならそれでよかったのだ。
けれども宇佐は今日初めて彼に名前を呼ばれた。
宇佐は心の中で天災が起きるのだろうかと不安で目が泳いでしまったが
扇はそんな宇佐の動揺に気がついてはいないらしい。

「ええと、その」

「どうしました?扇さん」

「?あれ、どうして俺の名前?」

「え!?あ、あの、登録カードに名前が…」

「ああ、そうですよね、そうでした…」

などと答えたが宇佐は扇以外の登録者の名前など一切覚えてはいない。
一緒になるほかの受付嬢だっておそらく図書館の登録者の名前など知りはしないだろう。
普通はそんなことは気にしない。
ただ本を借りに来た人へ本を手渡し、貸出期限を守ってもらうだけなのだ。

「えーと、その宇佐さんは、その、本の修理はどこで覚えたんですか?」

「えっ、修理ですか?…ここに入る前に研修を受けるんです。それで覚えます」

「そうですか。とても手際がよくて感心してしまったもので、気になりました。
ぶしつけにすみません」

「いいえ。仕事ですので。もし他にも壊れそうな本があれば教えていただけますか?
私たちも毎日チェックはしているんですけれども、それだけだと
確認が追い付かないので」

図書館の本は小さな空間であってもその量は膨大である。
それを最大二人で管理維持をするのはなかなか骨の折れるものであった。
毎日一冊一冊調べていくのが一番良いのだが、そんなことをしていては修繕作業だけで
一日が終わってしまう。
だから来館者からの申告や貸し出す時に本の痛みをチェックして修繕を行う方法を
もうずっと前からとっている。

「大変ですよね。わかりました。見つけたらなるべくお教えします」

「ありがとうございます」

「それでですね、えーとその、お、おすすめの本とかありませんか!?」

「おすすめですか?」

「はい、受付嬢の宇佐さんなら詳しいかと思って」

「毎日館内を歩いてらっしゃる扇さんの方がきっと詳しいですよ」

「そうですか?」

「そうです」

扇はにっこりとほほ笑みかけてくる宇佐とどうにか会話を続けようと努力したが
これ以上は無理だった。
なにせもともと口べたな扇である。
これだけでも十分よくやったとほめられそうなくらいだ。

「だから、もしよかったら私にもお勧めの本を教えてください、もし、
扇さんが良ければ、その、この図書館以外のものでも」

「えっ?」

普段は抑揚のない声の宇佐が今日はやけにリズミカルに会話をしてくれる。
不意に恥ずかしくなって扇はさっきまで本の表紙を撫でていた宇佐のその細い指に視線を送っていた。


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