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ルシフェルはげっそりしながら真っ黒になった羽根を見つめた。
あーあヤッチャッタと心の中で溜息をついていると足元には一人の男が顎の辺りで手を組み、
輝かしいまでに目をきらきらさせてこちらを見上げている。
「て、天使様!神様は僕を見放したりしてなかったんですね、ありがとうございます!」
「え?ちょっと…」
「天使様、どうか僕のお願いを聞いて下さい!」
「いや、俺天使じゃねーから…」
ルシフェルは足にまとわりつく男に無気力のまま答える。
天使というのは鳥のような真っ白い羽根を背中に生やして、金色の髪を風に揺らし、
この世には存在しえないほどの美貌を持ちながら、自分の事ではなく、
人々の幸せのみを願うなんともけなげな生き物である。
「だって羽根があるじゃないですか、天使様そのもの…!」
男は食い下がってルシフェルの真っ黒に染まった羽根を指さした。
「うるせーな…だいたいこんなとこで神なんかに祈ってねーで自分でなんとかしろよ…」
「あ?」
「えっ、あ、スイマセン」
興味なさげに返すとひやりとした視線とドスの利いた声が地面から響いて
ルシフェルは反射的に謝った。
すると男は先ほどまでと同じように人の良さそうな善人そうな表情にけろりと変わる。
なんだこの人間は。
「はーよかった、天使様が助けに来てくれたならもう大丈夫だ…天使様、僕お金が欲しいんです!借金を返したくて!」
「はあ?そんなもんどっかから盗んでこいよ、それで解決だろーが」
「あ、それもうやったんですよ」
「あぁ?!」
「あっスイマセン」
今度はルシフェルがドスの利いた声を上げたが男はひるむ様子を見せない。
軽い調子でただ頭を傾げさせただけだった。
どうして人間の男の方が優位に立っているのかがルシフェルには理解できなかったが
この男が言っていることも理解できない。
「借金できちゃってどうにもならなくなって、仕方ないから強盗したらうっかり
そこの家族殺しちゃって。そしたら遺族から慰謝料なんて請求されちゃったものだから
もうこれは神様にお願いするほかにないなと」
「お前さわやかな顔してクズでとんでもねぇ悪人だな〜」
会話をしているとこの男ならなんとなくやっていそうだなと言う気持ちになってくる。
つまり胡散臭いのである。
ルシフェルはずばずばと言い放つが男は何故か頬を染めて頭をかいている。
どうしてそこで照れているのか全く分からない。
「そんな、照れます」
「褒めてねーんだよ」
「あ?」
「スイマセン言い過ぎました。…いや今のは言い過ぎてねえだろお前ちょっとわかんない」
「スイマセン。それでお金ください」
少しも悪びれる様子もなしに男が手のひらをルシフェルに見せる。
今すぐここに金を持ってきて渡せの意味らしいがルシフェルにはそんなことをしてやる義理など無い。
腕組み、足を組んでふんぞり返って面倒くさそうに顔を逸らす。
「巫山戯んなクズてめーでどうにかしろボケ」
「酷い…天使様ひどい…」
「だあから、俺は天使じゃなくて堕天使。堕ろされたの!」
見ろ、真っ黒だろ!と烏のように真っ黒い羽根を指さしてやると男はふむ、ときょとんとした表情を浮かべている。
真っ白に塗りたくられた教会の壁にはふさわしくない闇色の黒である。
「へー、落ちこぼれですか」
「てめぇ言葉に気をつけろよ殺すぞ」
「スイマセン〜」
「軽いな…まあいいや。じゃあ別のやつから盗めよ…殺さないように最初から拘束しときゃいいだろ」
「!あー、なるほど、その手がありましたね!」
世紀の大発明だと言わんばかりにルシフェルの言葉にひらめいた表情をして男が頷く。
ルシフェルはあきれ果てて言葉もろくに出なくなってしまった。
「お前馬鹿だなほんと…」
「あ?いい加減にしろよてめぇ堕とされたくせに調子のってんじゃねーぞ?」
「お前悪魔かよ」
「よっぽど悪魔の方が可愛かったんじゃないですかね〜僕もそう思います」
この落差が人間らしいのかと言われればそんな気もしたがそれでもルシフェルは
ルンルンと鼻歌を歌いながら教会を出て行く強盗殺人男の背中をぼーっと眺めながら、
自分の今後について考えるのだった。
「天使様、盗んできました!借金も返せました!天使様のおかげです!」
「あっそ。よかったな」
洗濯してきました!みたいな報告をされても、とルシフェルは教会の木の枝に座りながら声を掛けてきた男にそっけなく返す。
初めて男と会った日から一週間が経っていたがルシフェルはどこへ行く当てもなかったのでこの教会に住み着くことにしたのだ。
教会の神父はそこそこにもう良い年月を生きており、自分が姿を現しても堕天使だからと邪険にしない。
住み着きたかったら勝手に住み着けば良いと(実際はもう少し柔らかい物言いだった)ルシフェルに告げてからは特に干渉もしてこない。
ルシフェルはこの木の枝から見える町並みがなんとなく好きで日がなここでぼーっとしている。
「天使様良い人ですね〜こんなに良い人なのになんで堕とされたんですかね?」
「…神様の彼女寝取ったから」
こんな事を言って何になるわけでもなかったがふとルシフェルは言葉が滑った。
男は暫く無言だったが首を傾げて不思議そうな表情を浮かべる。
「神様もわりと器が小さいんですねそんなくらいで」
「だろ、お前もそう思う?」
ルシフェルが寝取った女は神様の一番のお気に入りなだけあってとても美人でとてもいい女だった。
ただとても頭が悪いらしく下級天使だったルシフェルの甘言にあっさり引っかかって
ルシフェルの下敷きになったわけだ。
いや、実際は上だったけれど。
「はい。女の一人や二人神様なんだしなんとかしろって話ですよね大体彼女とか
言っている時点で処女云々気にしてないみたいだしなんだっていいじゃないですか雌犬でも」
「や、雌犬はさすがに…ねーわ」
「そうですか?結構雌犬もいいもんですよ」
「おま、マジかよ…」
ルシフェルは思わず食いつき木の枝からするりと地面に降りる。
羽根が黒くなったからと言って飛べないわけじゃないので上昇や下降はお手の物だ。
「冗談ですよ。実際にやったのは同姓です」
「ほー」
「あれっ。天使様的には怒らないんですか?人道なんとかで…」
「別に。堕天使にそんなこと言われてもな。好きにしたらいいんじゃね?」
「じゃあ天使様掘っていいです?」
「巫山戯んな天使は掘るな!お前悪魔堕ちさせられるぞ?」
「僕みたいなのはいっそ悪魔堕ちした方がいいんじゃないですかね〜」
「ああ、まあ、言われれば」
「あ?」
「あ?」
お互いにばちりと視線だけで火花をちらしたが先に目を伏せたのは男だった。
ルシフェルはこっそり勝った!と誇ったがなんだか子供みたいですぐに負けた気分になった。
「とりあえず腹減りません?おごりますよ」
「盗んだ金でか」
「そりゃあまあ。あと遺族の女がお金くれました」
「まじ…まじか…ええ…なにそれ…どう言う展開で…?」
「まあ詳しくはメシ屋で」
「おっおう」
街中はさすがに目につくだろうからごそごそと羽根を背中に収納する。
器用ですね、と笑った男はユダって呼んで下さい、と続けた。
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