「私が追いかけた時もこんな風に壁を登ったのね」

「まあね」

そびえ立つ家々の屋上が一望に見渡せて、そっと下を覗き込めば追いかけてきていた男達が右往左往しているのが見える。
アーシファは大きく伸びをしながらあくびをしているが二人がいる家の高さは優に5メートルはあるであろう壁を人一人を抱えて難なく登りきったのである。
まるで魔法使いだと感心したがからかわれるのが目に見えていたので口に出すのはやめておいた。

「下の状況を見つつ家に帰ろう」

「うん」

あっちだ、と見当違いの方向へ走っていく男たちを眺めているとアーシファがタルジュの
頭を優しくなでる。
自分の所為で迷惑がかかったことと、それでいて事情を説明する事ができない
後ろめたさが相まって後ろ髪を引かれる。
このまま置いていくと言われた方がよほど良いのかもしれないが
今はとにかく身の安全が大事なのだ。
迷惑が掛かってもかくまってもらわなければいけない事情がタルジュにはあった。

「…ねえ、あの…ソレはしなければいけないの…?」

「背負う方が動きづらいんだよ」

「だからって…」

「何気にしてるんだよ、それに女はみんなお姫様抱っこされるのが好きなんだろ?」

「ちっ…!?違うわよ!」

「フーン。まあ、いやでも下に降りるまで我慢してろよ。しょうがないんだから」

アーシファがそういうのだから仕様がない。
そう、仕様がないことなのだ。
だから別にされたくてしているわけではない。やむを得ない事なのだ。
とは言え女はみんなお姫様抱っこが好きなわけではないと否定した手前、
ちょっぴり胸がときめいているなどと口が裂けても言えない。
緊張しているのが伝わってしまうのではないかとタルジュは少し不安になっていたら
アーシファは落とさないから安心しろ、と見当違いな心配をしてくれる。
それで誤魔化せるならば良いと思ったタルジュはわかった、と素直にうなずいた。
タルジュを抱えたアーシファは時々下の様子をのぞいては追ってきた三人の男がいないか
どうか確かめつつ高さの低い家の屋根を移動する。
ひょいひょいと降りていくので母親猿に抱えられた子猿になった気分である。
やがて人気の少ない家の隙間を見つけ、ようやく地面へ降りられた二人は
何事もなかったかのようにすました顏で少し大きい道に出た。
行く人々誰もが二人が屋根から降りてきたなどとは想像しようもないだろう。
そうしてまた行ったり来たりする人の流れに紛れながらようやく家に帰ることができた。
この日は祭司が帰ってきたのもあって、客足は大通りに集中し、店は特に暇を持て余した。
毎日忙しかった頃を思い出してため息を吐いたタルジュにこういう日もあるものだと
アーシファの母は穏やかに諭し、
人気が引いて暫く経ったのを機に今日は早めに店じまいにしましょうと言った。
アーシファの父は休める時にはうんと休むのも仕事なのだと言いながらいつもよりも
少し多めに酒をあおってベッドへ入った。
二人の妹達もいつもは先に寝てしまうが珍しく父と一緒に眠る事ができて嬉しいようで
きゃっきゃとはしゃぎながら眠った。
アーシファ達もいつもより早めの就寝に目が冴えていたがそれでもベッドへ入ると不思議とまぶたが落ちていった。


夜も更けて寝息も安定したアーシファの家の周りが騒がしくなる。
物音はせず人が動き回る気配だけが漂っていた。
タルジュとアーシファの母親と、いつもならば妹二人が4人で寝ている部屋は今日は
妹達が父親と眠っている為二人だけである。
わずかにする衣擦れの音にさえも緊張して黒い影は移動していく。
影の一つが二人が眠っているベッドの周りにすり寄り、鋭い剣を取り出して構えた。
剣は月の光を反射してきらりと光る。
勢いよく影がその剣をベッドへ振りかざして布団もろとも突き刺した。
その瞬間眠っていたはずの女の手が勢いよく伸びて影の顔の辺りを殴りつける。
影は鼻を殴られた痛みに短くうめき声を上げて後ろへ飛び退いた。
引き抜いた剣の先には血が滴っている。
続けて女はよろめいた影に自分が被っていた布団を被せて目くらませし、
跳び蹴りをお見舞いしてやった。

「誰だ!」

アーシファの母親は叫んだが影はするすると部屋を出て行く。
他の部屋にも侵入していた影は同じように返り討ちにあってちりぢりに家から逃げていった。
どたどたと足音を立てて現れたアーシファの父親は娘を一人抱えてランプをかざしながら妻とタルジュが眠っていた部屋に入ってきた。

「大丈夫か?!」

「おかみさん!」

タルジュがアーシファの母親の腕を押さえている。
母親は少し表情をゆがめていたが不安そうに震えるタルジュを慰めようと笑顔を浮かべようと努力していた。

「大丈夫よ。ちょっと刃が当たっただけ。タルジュはケガはない?」

タルジュはなんと言っていいかわからなくて黙って首を横に振る。
寝ぼけ眼の娘を床に下ろしてアーシファの父親が手早く手当を始める。
送れて現れたアーシファはもう一人の妹を抱きながら神妙な面持ちで現れた。

「お前が連れてきたのね」

「抜かった」

「あれほど尾行には慎重になれと教えたはずだぞ」

「ごめん」

「タルジュに何かあったらどうするつもりだったの、お前」

アーシファは妹を抱きしめる腕を少し強めて表情を険しくする。
タルジュはどうしてアーシファが責められるのかが理解できなかった。
まだ頭が眠っているままなのか少しぼーっとする中必死でどうにか、
何か言わなければと心の中で叫ぶ。
どうしてアーシファが怒られるのか。

「…待って、アーシファじゃないの、アーシファが悪いんじゃないの
私がここにいるからなの…!」











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