町の麓にある川は、ちょっとやそっとの嵐や雨で氾濫するような川ではなく、
それが人に害をなすまでに増水していると聞いてアガタは腑に落ちなかった。
なによりちょっとやそっとの嵐や雨すら降っておらず、空を見上げれば
闇の中に星が満点に輝いているのだ。
この川はアガタの家の近くを流れている川なので山のどこかでわき水があふれ出したのだとしたら理解できるがそれもない。
本当に、この町の付近一帯だけがまるで暴れているように水があふれている。

(よくもまあ俺相手に水属性を差し向けたな…)

「さっきからこの状態なんだ、なんとかしてくれ!」

「はいはい…」

「こんな急になる事なんてないんだ…お前がなにかしたんじゃないだろうな!?」

「くだらない」

吐き捨てるように言うとアガタは川の上に浮かぶ透き通る人型の精霊を見上げた。
精霊は、暫く少年を睨みつけていたがやがて少年の威圧に負けて視線を泳がせはじめる。
アガタは何もしていない。
攻撃的に睨んだわけでも、精霊を牽制していたわけでもないが精霊の方が
アガタの魔力を感じ取ってその力の差に屈したのだった。

「お前の主が何をしようとしていたのか知らないけど、やめてくれない?このままじゃ死人が出る」

突然空に向かって話し出す少年に町の大人達は目を丸くしてその方を向いたが
どんなに目を凝らしても瞬く星の光以外になにも見えない。
精霊は魔術のない人間には見えないのでその見えない力に対して対等の立場に立てる魔術師は、重宝されるのが常識だった。
このアガタと、アガタの師匠である翁以外は。

「主の契約を破棄させようとは思わないけど、これ以上被害を増やそうとしているのなら無理矢理にでも引っぺがす。生命の潤滑をよくする為にいるお前達がそれを阻もうと言うなら」

不意に森の方から山羊の鳴き声が聞こえた。
アガタが驚いてそちらを振り向くともう一声、山羊が鳴く。
背中に冷えたものが降りてまた精霊に向き直ると精霊は両手を空へ掲げて川の増水を強めた。
もはや増水など可愛いらしいものではなく、水は壁のようになって町の住人達へ迫ってくる。
明らかに自然の力ではないものの住人達はおののいて四方八方へ走り出した。
人間の走る速さなど優に超えて水が空高くから人々を飲み込み、みな、流されたり
水に飲まれたりする覚悟をしていたが何も起こらない。
反射的にぎゅっと瞑っていた目を開くと自分たちの周りにはドームのように
透明な壁ができていてその周りを水が流れていた。
その先頭に立っていたのは魔術師であるアガタであった。

「あんまり、配下に下れなんて言葉使いたくないんだよ、急いでるし」

眉間に皺を寄せて少年が低く呟くと水の精霊は葛藤の末体を震わせながら
アガタの周りをくるりと回った。
そうして目の前でぷかぷか浮かんで胸の辺りで両手を合わせ、クリクリとした大きな目から涙を流す。

『ごめんなさい、水の王。逆らえなかったの』

「逆らうなんて君が使う言葉じゃないのに」

アガタが水の精霊が浮かんでいる辺りの地面を手のひらで撫でると
そこから丸い円陣が現れて青白い光を放つ。
円陣の中に水の精霊が収まるとパチンと小さく音がした。
水の精霊はそれを聞くと空高く舞い上がってくるくると回転してみせる。
水しぶきが降り注ぐと辺りを流れていた水は一斉に川へ戻っていきやがていつもの
静かな川に収まった。

「川が戻った…?!」

「も、もう戻ったのか?!」

「うん。もう氾濫する事はないよ。じゃあ、俺は家に戻る」

静かになった川にようやく安堵の息を漏らした住人へ口早にそう伝えるとアガタは
浅瀬の川へずんずんと入っていく。
じゃぶじゃぶ音を立てて川の真ん中辺りまで進むとアガタの周りに川の水が集まり、
小さく水の壁を作るとアガタを隠してやがてまた静かなせせらぎを流し出した。
さっきまでそこにいたアガタの姿はあとかたもなく消えており住人達は驚いて
何度か辺りを見渡したが少年は忽然と姿を消している。

「いま、のはまさか…空間移動ってやつじゃ…」

「そんなの、四大魔術師じゃないと出来ないだろ…!?」







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