歓喜の内に震えるなどいつぶりのことであったか。
男は手のひらにある古い鍵を見つめていつものように口元をゆがめる。
これまでどれほど力の無い自分が憎くて恨めしいと嘆いたか知れない。
魔女を閉じ込めていた本は魔女が出て来た時に八つ当たりして燃やして灰にしてしまったので、
今この世で唯一魔女を押し込めることが出来るのはこの鍵ひとつである。
だが、この鍵は自分が持っている。
もう誰も魔女を封印することはできない。
何より今の世界に魔女を閉じ込めるほどの魔術師など存在しないのだ。
候補になるものは幾人かいるがそれでも候補止まり。
所詮魔女の前では地面を這いつくばる蟻と大して代わりは無い。

「悪い顔ねえ」

中央の魔女であるアルマンディンは面白そうに笑い声を上げた。
少し高い女性特有の声は男の耳に響いて懐かしさを思い出させる。
男が生涯でただ一人、師と認め、彼女以外には決して付き従わないと決めたその人。
魔女のお気に入りであるアガタには幾度となく嫉妬したこともあるが
今ではそれも薄れてきた。
自分に自信がついたのと自分以外の誰も従えない魔女からの信頼の為だ。
東の魔術師など所詮は一時の退屈しのぎでしかないのだから、キリキリと
神経を尖らせる方が馬鹿馬鹿しい。

「アルマンディン様はノグの女王を殺すのですか?」

「今のところ『私は』殺すつもりはないわ。アガタに嫌われたくないし。まあ、
不慮の事故って言うのはどこにでもあるから、それに関しては責任もてないわね」

「ゆるゆるとノグを攻めずとも一気にたたみかければよろしいものを」

「すぐに終わっちゃったらつまらないじゃない。コーツァナ王が馬鹿だから
それも楽しいし。ちょっと手を貸したくなるのよ。ああ言う子は」

一国の王を子供扱いするのは魔女が外見に似合わない年数の年月を生きているからだ。
国の王族は長寿になるのが普通だが魔女はどの国の王よりも長い時間を生きている。
様々な王を見てさまざまな工作をしてそうして今まで長らえてきた魔女にとって1世代の王と言うのはつい最近よちよち歩きを覚えたようなまるで子供のようなものだった。

「ドルチェ」

「はい、アルマンディン様」

「かわいいドルチェ。本当に良い子ね。お前がいてくれてとても助かったわ」

「アルマンディン様をお助けすることが出来て身に余る光栄です」

アルマンディン様とうやうやしく呼ばれた魔女はくりっとした目を細くして鼻であざ笑う。
人前では決して外さないローブのフードに手をかけて優しく後ろへ払うと
しゅるりと衣擦れの音とともに弟子のドルチェの姿形が現れる。
さらりと風になびくような黒髪に紫の瞳がゆらゆらと闘志を帯びている。
整った目鼻立ちは誰もが目を引くようだったが唯一その表情はしかめっ面であった。

「久しぶりに顔をみせるのだからもう少し可愛い顔をしたらどう」

「…この顔はあまり好きではないので」

「『ノグの女王』に似ているから?」

「……」

ドルチェはしかめっ面を更に険しくして押し黙る。
そんな様子がおかしくて楽しくて愛おしくてアルマンディンはあやすように
ドルチェのすべすべの頬を指で撫でた。

「怒らないでドルチェ。意地悪しすぎたわね」

「怒ってなど…」

「可愛くて愚かなドルドニータ。愛しい者を取られて、名前まで変えて私に付き従って。ねえ?今最高に良い気分でしょう。アガタを殺す絶好のチャンスだし、今ならフォレガータを奪えるものね?」

ドルチェの肩がびくりとはねる。
どの言葉に反応したのか知り得るのはアルマンディンただ一人。

「アガタに手を出すなら容赦しないけれど、女王は好きにしていいんだからね?」

アルマンディンはふわりと揺れる金の髪をなびかせてドルチェの耳元で優しく、
子守歌を歌うように囁く。
ドルチェは持っていた鍵を力一杯に握りしめていたが
耳にかかる不思議な声にただ力なく頷くしか出来なかった。





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