誰が迎えに来るのか、聞こうとしたはずなのにいつの間にか道の真ん中に立っていた。
あの怖いモノも、ほんの少し頼もしかった朝顔もいなくなっている。
いつのまにか記憶が飛んでいるのか、それとも寝ぼけていたのかわからないが
典之はあても無く歩き始めた。
しばらく歩いていてそこがとても懐かしい場所のような気がしてきた。
けれどもこの道がどこへ続いているかまったく思い出せない。
そしていくつもある分かれ道の一つへふらりと進むとずっと向こう側に
年代を感じる建物が見えた。
古い神社の鳥居のような色で建物には幸福堂と大きな看板がたてつけられている。
ゆらゆらとその建物へ近づき、入口の戸を静かにあけると、
見たことがある内装が広がっていた。
以前来た事のあるあの不思議な喫茶店だった。

「いらっしゃいませ。あれ、典之さん」

「こ、こんにちは」

「こんにちはなんて。もうこんばんはですよ」

「え?」

そう言われてびっくりした典之は慌てて振り返った。
昼間だと思っていた辺りはとっぷりと暗くなっており空には月がてらてらと光っている。
さぁどうぞと店の中へ招き入れてくれた店員の少年、逃げ水は
何も言わずに温かい紅茶を出してくれた。

「あの、俺お金が…」

「いいんですよ。お代は後でいただきますから」

「後?」

「何も口に入れさせないでとっちゃったら朝顔さんに叱られますからね」

そう言うと逃げ水はまたどこからかあの鋭いハサミを取り出して
今度は喉元にその切っ先を突き刺した。

「ねえ、飲みました?紅茶?」

逃げ水は口をぽっかりとあけ、にやりと口の端をつりあげる。
待ち遠しそうに鼻歌交じりに言われたが典之は冷静だった。

「まだです」

「じゃあ早く飲んでください」

「…いやです」

どうして飲んでいないのか心底不思議そうな逃げ水は少し困っているようだった。
典之は飲んだ後にきっとこのハサミで喉元を引き裂かれるのだと思い、
今度は否定の言葉を述べた。

「どうして?どうせ外へ出る気も無い癖に」

朝顔と言い、この逃げ水と言い、どうして『外』にこだわるのだろうか。
典之は尋ねようと思ったがすぐにやめた。
何故ならようやくその理由がわかった気がするからだ。
外は怖い。
けれども外はどこよりも安全だった。
そんなことわかりきっていたはずなのに典之は中に留まるのを選んだのだ。
鍵のかかっていない部屋はいつでも抜け出すことができたのに
見えない鎖につながれている気がして典之は外へ出る事を恐れた。
それを必死に外へ逃がそうとしてくれていた朝顔はまたあの時のように音も無く現れた。
いつでも助けてくれる朝顔は、決して助けてはくれない。
いや、助けてくれないのではなくて、助けることができないのだ。

「朝顔さん、いらっしゃいませ」

「いらっしゃいませじゃねぇ、まず、その喉元のハサミを放せ。じゃないと喰うぞ」

「そんなことしたらマスターがカンカンですよ」

「こっちだって典之を取られそうになってカンカンだよクソ逃げ水」

大きな獣は逃げ水の頭上で大きな口を開けている。
今にも飲み込んでしまいそうな勢いだったが、それが脅しだというのは典之にもわかった。
逃げ水は相変わらず能天気な様子だったがやがてしぶしぶ典之からハサミを離して
懐へ仕舞い込んだ。

「朝顔」

「外出ろって言ったろ、馬鹿!」

「ごめん、出るから、ごめん」

「な、泣くなよ…!」

獣は口は大きく、耳は三角で、体は黄色い体毛で覆われており、長く太いしっぽを
ゆらゆらと揺らしながらも、はらはらと涙を流す典之にたじろいで
典之を囲むように体を丸めた。
小さな子供をあやす親狐のような朝顔は額を典之の体にこすりつけながら、
時折逃げ水へキッと鋭い視線で威嚇している。

「え〜、じゃあ外に出るんですか?典之さん」

「うん。出る。ここにはもう来ない」

「残念」

口をとがらせる逃げ水を鼻息であしらった朝顔は典之を長い鼻づらで押しのけた。

「さっさと行くぞ」

「でも朝顔にはもう会えなくなる?」

「ちゃんと外に出たら会いに行ってやるから」

「それならいい」

典之は表情を緩めると幸福堂の入り口の戸へゆっくり手をかけた。



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