僕の羽化 [ 5/38 ]

「俺、ツッパリやめることにしたよ、オネーサン」


花道たちの青春が終わりを告げた夏。蝉が五月蝿く鳴く中、俺は床屋に電話をした。そのあと、駅前の小さな喫茶店へと足を向ける。そこは、高校生になってからずっと通い続けた、古いジュークボックスが自慢の喫茶店だった。

「ツッパリくん、いらっしゃい」
「ねえ、聞いてた?俺、ツッパリやめるんだけど」

いつもと同じコーヒーを俺の目の前において、この店のバイトの“オネーサン”が微笑んだ。今どき誰も俺らみたいな連中を“ツッパリ”なんて呼びもしないのに、彼女は頑なに俺のことをツッパリくんと呼ぶ。何度俺の名前を伝えても、微笑んで濁すばっかりで、虚しくて、最初の一ヶ月で自己紹介を続けるのはやめた。その間彼女は、一回も自己紹介をしなかった。

「そっかあ、もう受験?3年生だもんね」
「んーん、俺は就職活動」
「はは、さすがツッパリくん」
「あのねえ、話を聞いて」

砂糖を一つだけ入れて、コーヒーに口をつけた。まだ熱い。俺はオネーサンに事の経緯を全部話した。花道の夏の大会が終わったこと。大楠と高宮が早くも就職を決めたこと。チュウが焦ってパチンコをやめたこと。俺も、けじめを着けようと思ったこと。

「だから、この後も床屋行って髪の毛切ってもらうの」
「え!リーゼントやめちゃうの!?」
「やめるよ。短髪の日本男児にしてもらうぜ」

ヤンキーやめて短髪なんて、どこの三井寿だよ、と心の中でツッコミをしていると、
「日本男児はボウズだから」と、オネーサンの声が響いた。途端、脳内に浮かんでいた三井サンの顔が坊主になって、俺は唇を噛んでこみ上げる笑いを堪えた。

「髪の毛切ったらまた来なよ。ツッパってないツッパリくんが見たいな」
「だーかーら!」
「フフ、そしたら呼び方も変えないとねえ」
「やっと水戸って名前呼んでくれる?」
「そうねえ、早く水戸洋平くんに会いたいわ」

それは、入学してから二年とちょっとの間、ずっと聞きたかった単語だった。なんとなくむず痒くて、俺がずっとここに通い続けているのはやっぱり、彼女のことが好きだったからなんだろうと再確認した。奥から喫茶店の店長が出てくる。立派な口ひげを蓄えた初老の店長が、ツッパリ卒業のはなむけにとコーヒー代の三百円をまけてくれた。もう来なくなるわけじゃないよ、と言うと、じゃあ金をとるぞと返されたので、コーヒーを飲み干してありがとうございますと礼を言った。

「ツッパリくんも見納めかあ。悲しくなるね」
「なんだよみんなして。また来るっつってんだろ」
「次来るのはツッパリくんじゃなくて、水戸洋平くんでしょ」
「さっきは早く会いたいって言ったくせに」
「ふふ、でもツッパリくんとお別れするのは寂しいわ」

喫茶店の古びた掛け時計が鐘を鳴らした。床屋の予約の時間まであと三十分。赤い天鵞絨が張られた椅子から腰をあげて、机の上に出していた財布を尻ポケットに突っ込みなおす。扉を開けて、心地好いベルの音が鳴り響くと同時に、いつも通り、ありがとうございましたの決まり文句が背中に響いた。

「髪の毛切ったらまた来てね。明日でもいいよ」
「ツッパリくんと別れるのが寂しいとか、早く会いたいとか、ほんと何なんだよ」
「ねー、わたしも分からないわ」
「オネーサン、俺はね」
「なあに?」
「俺は、早く“オネーサン”とお別れしたいよ?」
「ちょっと、それどういうこと?」
「そのくらい自分で考えろよ、じゃあね」

店長の笑い声が聞こえる。外は太陽が眩しくて、出来ることならうちに帰ってクーラーのきいた部屋で寝たかった。それでも、あと三十分後に迫った散髪の時間。床屋のクーラーが効いてるといいなあ。そんなことを考えながら、喫茶店を後にした。






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