緩急 [ 19/38 ]

「負けたんでしょ、山王」

意を決して旅館から電話を掛けた。雨の日も風の日も雪の日も、いつでも体育館のステージに腰かけて、何が楽しいのかじっと表情を変えずに真剣なまなざしで自分たちの練習をながめていたアイツは、3回目のコールの後、「もしもし」と抑揚のない声で受話器を取った。アイツの親じゃなくて助かる。沢北ですけど、誰々いますか?というやりとりほど無駄な緊張をするものはないからだ。沢北だけど、とそれだけ伝えると、アイツはごくりと小さく小さく息をのんだ後、そう告げた。

「応援行ってたクラスメートが電話くれた。あんたより気い利くべ」

早口でそう告げて、アイツは俺の返事を待った。伝えようと思っていた悔しい3文字はすでに伝わっていて、ただ「うん、ごめん」と返した。そして今度は俺が返事を待つ。電話の向こう側で、きっとアイツはなんて言葉を返すべきか困惑してるんだろう。また、小さく息をのむ音が聞こえた。

「謝ることじゃないけど……うん。疲れた?」
「そりゃ、まあ。頑張ったし」
「んだか。じゃ、お疲れさま」

気の利いたことなんてアイツは言ってくれない。練習を見に来たときだって、今日はここが駄目だとか、あそこが駄目だとか、容赦なんてものは無かった。アイツはバスケなんて大まかなルールくらいしか知らないから、ダメ出しは全部俺のメンタルの部分だった。だから、心にぐさぐさ刺さって泣きたかった。先輩たちが、いいぞもっと言ってやれと囃し立てて鬱陶しかったけれど、それでも追い出さなかったのは全部的確だったからだ。
そして今日も、的確に、欲しかった言葉をアイツは口にした。

「神奈川は、強いな」
「え?」
「前に試合した陵南高校の仙道みたいなヤツがいた。流川って言うんだ。試合中もどんどん上手くなっていくわけ。1on1じゃ負けないけど、試合中の一対一は完敗した」

アイツは、高校バスケットのことなんて何も知らない。仙道も、流川も、ましてや陵南高校も知らないアイツには、きっとこの話だってなんのことかわからない。でも、声に出したかった。床に腰を下ろす。受話器と本体をつなぐ、ぐるぐると渦を巻いたコードが煩わしかった。

「勝ちたかったなあ」

深いため息と一緒に、自然に漏れたそんな一言。湘北にも、流川にも、この後当たるはずだったインハイ出場校にも、全部。アイツが、今度は鼻を啜った。また、ほんの少しの沈黙。何か、言ってくれねーかな。少しでいいから、励ましてくれねーかな。そう思ってじっと待つ。沈黙は、じりじりと引っ張られていた糸が切れるように、ぷつんと、急に遮られた。

「前を向け沢北!アメリカ行くんだろ!」

負けて、泣いて、何かを考えるのもつらくなるくらい落ち込んでいたというのに、どうして急にこんな高揚感が押し寄せてくるのかわからなかった。アイツの言葉にぞわりと体が熱くなって、顔が真っ赤になったような気がした。いつものように傍若無人に放たれた、落ち込んでいた俺には理不尽とも取れるそんな言葉に、なぜだか俺は興奮して、言葉を詰まらせた。それでも、そんなにマゾじゃねーよ、とつまらないツッコミを心の中で繰り返すたびに、徐々に冷静になって、アイツの声に感じるのは、ほんの少しの違和感。高揚していた気持ちを落ち着かせて耳を澄ませば、聞こえてきたのは間違いなく、嗚咽だった。

「お前、泣いてる?」
「バッカじゃないの、そんなん、気づかなくて、いいからっ、バカの沢北のくせに」
「でも」
「でもとかじゃ、ないし、早く前向けって、言ってんべ!」

いつも通り強がって、泣いてるくせに汚い言葉で命令するアイツがたまらなく愛おしくて、苦笑した。試合に負けたのにこんな顔してちゃあ、河田さんにぶん殴られる。ロビーに俺しかいなくって本当に良かった。アイツに返す言葉を探す。それは、以外にもすんなりと口からこぼれた。

「お前が泣き止んだら、俺も前向く」
「わっけ、わかんね」
「言ったそんまんまだろ。さっさと泣き止め、な」
「アンタが負けるんが悪いわ!誰のせいで泣いてると思ってんの!」

さっさと帰ってきて目の前で謝れ、とそれだけ捲し立てて、花子は電話を切った。また、苦笑する。試合の後は体中がだるかった。よっこらしょと老人のように立ち上がって、受話器を置くと、ひとつ、息を吐いた。アイツはまだ、電話の向こうで泣いてるだろうか。泣き止んだら前を向くとは言ったものの、俺はもうすでに前を向きかけているらしかった。部屋に戻ろうと振り返ると、ちょうど階段を下りてきた河田さんと鉢合わせた。ずんずんとこっちへやってくる先輩を見ながら、どうやら先輩も誰かに電話するみたいだ、と考えて、いざ挨拶しようと息を吸い込んだら、坊主頭に降ってきたげんこつ。何へらへらしてんべ!?と怒鳴る河田さんの胸中はきっと穏やかには程遠いものだったろうけど、俺の胸は暖かかった。だけど少し涙目になったのは、アイツには内緒だ。



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