弦月



梅雨明け宣言後、松蝉が初夏を知らせる季節
「はぁ…」
松岡は窓に向って大きな溜息を1つ吐いていた
その理由は簡単で再来週から前期試験が始まるからだった
試験は全教科筆記で3日間実施
受講している十数教科分を一度に勉強しなくてはならないため、バイトは余裕を持って1ヶ月前から休みをもらっていた


ここ数日、講義終了後はまっすぐ部屋に戻って日が変わる直線まで机に向かう日々
今日も気づいたら時計の針は23時過ぎを指していた
疲れた目をぎゅっと閉じてからベッドと衣類掛けの方へ視線を泳がせると、いつかの少年に着せた出しっぱなしの寝巻きに自然と目が留まった
「どうしてるんだろう…」

 他人の様子がこんなに気になるなんて今まで無かった
 行き交う人込みの中で他人と肩が触れ合ったとしても、挨拶の一言を交わせばその場限りで終わってしまう
 顔なんて碌に見ず、声も周りの騒音で直ぐ掻き消され記憶に残ることは無い

そんなことを思いながら瞼を閉じかけた時だった
「―――キヤー――っ!!!?」
「なんだっ!?」
突然、あの公園から甲高い叫び声がした
松岡は急いで窓を開け声の所を確かめるが、無灯の電灯だらけの公園内で人を探すのには少し無理がありすぎた
「ーーなせっーーーやーーーろっー」
「!?」
今度はさっきよりもはっきりとした聞いたことのある声が耳に聞こえ、心当たりのありすぎる松岡は急いで公園に向かった


公園に着くやいなや松岡は忍び足で耳を澄ませながら人の気配を探し始めた
意識していないのにもかかわらず足が進む方向は青いベンチのある場所

そして発見した
あの日出会った少年があの時と同じ場所で2周りほど大きな男相手に取っ組み合いをしている姿を

両者の差は歴然だった
大男がその肉付きのいい腕を軽く一振りすると少年の身体は宙を舞い後方に殴り飛ばされる
その衝撃で少年の身体から小さめのショルダーバッグが離れ落ちると、男は少年ではなくそのバッグにドシドシと地面を響かせながら近づいていった
男の手がバッグに触れそうになった時、少年は急いでバッグを懐に収め蹲ると男は少年の背中を容赦なく踏みつけ始めた

少年は叫びもせずただ身を小さくするだけ

男は動きをとめ少年から一歩二歩と後退していく
今まで生きてきた人生の中で一番冷たい視線を注ぐその男を松岡は瞬きもせずにずっと見つめていた
そして、男の手に嫌な光方をするものを目にした瞬間、松岡は身を潜めていた垣根から飛び出し無我夢中で男に飛び掛った
「やめろっ!!」
「誰だ!!おめぇは!!離れろっ」
「誰か!!誰か来てくれ!!」
松岡の大声が深夜の公園内に響き渡り、近くの民家に灯りが点き始めた
その様子に諦めを感じたのか男は松岡から身を離すと一目散に公園を出て行った

松岡は未だに身を小さく丸め震えの止まない少年に近寄り優しく声をかけた
「大丈夫?」
「怖かっ…た…ぅう…」
「助かって…よかった」
余程大事なものが入っているのだろうか、少年の手には争いの元凶になったと思われるバッグが握り締められていた
争いはもう終わった、時間も時間、そう思った松岡は自然に会話を続けた
「ねぇ…君の家ってどこなの?」
「…い…え…」
「危険だから送っていくよ」
「………」
しかし、松岡の問いかけに少年は中々応えようとしなかった

「……」
刻々と時間だけが過ぎ、もう一度同じ質問をしようと口を開こうとした時、少年がゆっくりと立ち上がりどこかへ向かって歩き出した
松岡も慌ててその後を追う
少年の向かった先はこの場所の反対方向に位置する噴水がある少し広い場所
水は枯れタイルが剥き出しのその場所もまた、この場がどれほどの期間、人から見放されていたのかを物語っていた

「…」
そして、その先に問いかけの答えがあった
一体何から聞き出せばいいのか…さっきまで勉強していた内容がすっ飛ぶほど松岡の頭の中が急に真っ白になる
「…いつからここに?」
「……4月―」
喉から搾り出すように少年は短く答えた
真新しい小さなテントの中には1枚の毛布と2着の衣類
よくみるとその内の1着は松岡が貸した服で綺麗に畳んで置いてあった
手に持っているバッグを併せても少なすぎる持ち物
今までどうやって生活をしていたのだろう、と無数に疑問が湧いてくる
「君…名前は?」
「…高山…」
「親は?」
「…なんでそんなに聞くの?」
「えっ?」
まさかの返答に松岡は戸惑った
家のことも数えてまだ4つ目の質問だというのに、この少年は心を鎖しているようだった
「この公園は危険だよ?」
「………」
松岡ですら2度経験した危機
「もしよかったらさ…僕の部屋においでよ」
「………」
「ほっほら、この間居た場所さ」
「………」
「…ね?」
「……・・・」
言葉の返事は無いものの高山の顔にその答えはあった
松岡は左親指の腹で高山の右目に溜まった涙を拭うと
「ちょっと持ってて」
「…うん」
テントの中の荷物を高山に預け
「これは…どうする?」
「これ…借り物だから…」
一番大きな荷物は2人で解体することにした


高山は跡形もなくなったその場所を1度だけ振り向き、松岡と共にその公園を後にしたのだった

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