11月下旬の3連休初日、絶好の秋晴れ
大学の最寄駅で西村を待っていた松岡は、待ち合わせまでの時間潰しに駅前の本屋に足を運んだ

 いらっしゃいませ―

店内に入り新刊コーナーにふと立ち寄ると、真っ白な表紙に藍色で題名を書かれた小説が数多く並べてあった
本日発売というのぼりと編集者の一押しとのポップが華やかにコーナーを飾り立てている
自然と手の中に一冊収めた松岡は店内で紙の擦れる音を数分響かせ、第一章を読み終えるとそのまま会計をし、その本を片手に先ほどの駅までまた戻っていった

 ブルブルブル―

鞄から携帯の振動音が身体に伝わり片手で画面を開くとそのまま数秒間画面を見つめる
ボタンを数回打ったあと無表情で携帯を閉じ、自動改札機を通って

 まもなく上り電車がまいります―

乗るはずだった行先とは逆の電車に乗り込んだ
閑散としている下り方面の車内
松岡は窓際の席へと座ると、頬杖を付きながら発車まで外の景色を眺めていた
駅に上り電車が到着すると、ピーっという笛の音と同時に下り電車がゆっくりと動き出した

 ガタンゴトン―

携帯を開き彼女からのメールをもう一度読み返す

 松岡くんごめんなさい!
 急に大家さんの猫ちゃんたちを預かることになっちゃって…
 明日は頑張って断るから!

「今度猫ちゃんを預かることになったら、猫娘って呼んじゃおうかな」
淡白な返信をしたわりには甘い妄想を膨らませていた松岡だった

揺れる車内で、購入した小説の表紙を捲る
表紙裏には露天風呂の画像と作者の簡単な自己紹介
立ち読みした第一章からもう一度読み直し、駅に停車したことにも気づかないほど小説内の細かい描写を想像しながら文字をなぞる様に読み込んだ
結末が分かっていながらも、そこに至るまでの物語の展開と巧妙な偽計に、何故か温かみを感じる
今日に限って小さな文字の羅列が何故か面白く、そして奥深いと感じた松岡だった


30分の乗車後、到着駅からバスに乗り換えると、車窓から色鮮やかに染まり始めた山々の景色を眺めながら温泉郷へと向かった
今の温泉旅館は手ぶらで日帰り温泉が楽しめる
硫黄の香が癖になりそうな遊歩道には松岡と同じように一人で温泉手形を手に湯めぐりしている人もいれば、家族で宿泊に来ている人もいた
屋台で名物の温泉まんじゅうを売っていた親父が松岡の姿を見ると
「お、次の作品はできたかい?この前の新刊読んだよ!泣ける話だな、あれな!」
と、声をかけられた
身に覚えのない話にどう反応していいのか悩んだ松岡は、とりあえず会釈をしてその場を凌いだ

各種の湯を楽しみ両手の指がいささかふやけた頃、最後に立ち寄ることにしていた老舗旅館の露天風呂へ向かった
入浴時間ぎりぎりまで掛け流しの源泉を堪能した後、売店に立ち寄り“お留守番”をしている西村へ猫の巾着のお土産を購入した
帰りのバス発車時刻まであと1時間
松岡は浴衣姿のままロビーの藤製の椅子に腰かけ、冷たい水を飲みながら窓の外の小さな庭を眺めていた
目を凝らしてみると庭の奥に、離れ客室の立派な門構えが見える
以前宿泊した大きな旅館の門構えを彷彿させるその景色は、当時の楽しいひと時を走馬灯のように蘇らせ、松岡を心地よい夢の世界へと誘い始めた



 バスに遅れちゃいますよ?松岡さん

「んぁ!」
奇声と共に意識を取り戻した松岡は、ロビーの時計で時刻を確認するとバスの出発時刻まであと10分だった
急いで更衣室に向かい私服に着替え、フロントで料金を支払うと、
「ご宿泊の方からお客様へお預かりした物がございます」
「僕に?ありがとうございます」
和装の似合う受付担当者から、本物の紅葉の葉を入れた和紙しおりを手渡された
松岡は、ちょうど持ち合わせていた小説の間に挟み込んだあと、少し駆け足で最寄りのバス停へと向かった

去っていくその背中を見送るかのように、旅館から浴衣姿の宿泊客が2名現れた
「知っている人なのか?」
「はい。ちょっと前まですごくお世話になって…僕にとって大事な人です。約束通り会えてよかった…」
次第に遠ざかるバスのエンジン音が柔らかい風の音に変わる
緩やかな秋風に靡くその髪は、正門脇の大木の枝に結ばれている風化した紙垂のように、自由と誇らしさを放っていた

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