立待月



高山の父は寡黙な人であった
小さな書斎に篭っては机に向かう日々
契約先は転々と、その忙しさは幼い高山でもわかっていた
でも、それでも、話しかけてもらいたくて、机から身を離す瞬間を見計らってはお茶を出し、料理の本を立ち読んでは何度も練習して完璧な味付けの料理を作ってみた
現実は厳しく、少しでもタイミングを逃すと湯飲みに口をつけられはもらえず、料理も味付けが濃いとすぐさま箸を置かれる
こんな日が本当によく続いた
たまに空になる湯飲みや皿を下げる時が高山にとって幼い頃からの一番の楽しみであった
もう一つの楽しみもあり それは父の趣味である温泉に一緒に行くこと
お互い安らぎの表情を浮かばせ親子水入らずで楽しむ会話は一番の幸せだった


高山の父は人前に姿を見せることはほとんどなかった
幼稚園からの運動会、小学校からの参観日、親子のレクレーションなど、どんな行事にも父の姿はなかった
そんな時は、同じ貸家に住んでいた今野家の娘さんがいつも声をかけてくれていた
歳は2つ上で小学校のときは一緒に登校するなど兄弟のいない高山にとってお姉さん的な存在の彼女は、高山のために行事に来てくれたりお弁当を作ってくれたりと中学卒業までとても親切にしてくれた

義務教育を終えた高山は高校へ進学、それと同時に今野家の娘さんは家族と共にどこかへ引っ越してしまった
成長期に十分な栄養が補えなかったのか、それともこれから成長期が来るのかは不明だが、高山の身長・体重は標準よりはるかに下回り入学した生徒の中で一番小さかった
華奢な身体と保たれた童顔は友人を作るのに少しだけ時間をかけてしまった
学力もまた皆と比べれば中の下だったが、物心がついたときから父の小説に慣れ親しんできた影響もあり現代文だけは誰よりも得意であった
文芸学部の講師からその才能を見抜かれ、所属するきっかけともなったほど
共通の仲間もでき楽しみが増え始めた1年の夏、書斎から父の姿が消える日々が目立ち始めた
学校に行く前も学校から帰ってきても3日に2日はその姿はなかった
学年があがるにつれ、その2日が、1週間、1ヵ月、半年と徐々に間隔が伸びていった
高山はそれでも寂しいと感じたことはなかった
月末には家賃や光熱費も支払われ、自分の机には5千円のお小遣い、そして書斎には微かに残る父の温もりが高山の心を支えて続けていた

そんな暮らしの中で過ごしてきた高校生活最後の秋、高山は3年間の集大成として作品を一つ学際に出展することとなった
この日のために何ヶ月も前から執筆を始め、表現方法に悩んでは何度も何度も書き直す日々
それでも一向に納得のいく作品が出来上がらず締め切りは目と鼻の先まで迫っていた
時には風呂に入るのを忘れ、曜日感覚までもが無くなり日曜日まで登校してしまうなど、高山の精神は日に日に追い込まれていった

締め切り2日前、高山は昨夜の疲れから居間のテーブルで朝を迎えてしまい慌てて朝風呂を浴び登校の準備を始める
鞄に教科書と辞典、そして出しっぱなしにしていた小説に手を書けたとき、高山の目に何かが留まった

次のページも、その次のページにも、高山は目を見開いてページを捲り続けた
そこには色の違うペンで書かれた文字がいくつも書かれてあった
最後のページには"もう少しだ"の文字
これは全て父の字体だった
産まれたとき以来かもしれない
高山は原稿をクシャクシャに抱きしめながら大声をあげその場に泣き崩れ、溢れ出す涙で最初のページの題目が滲み出す
頭の中で遅刻とわかっていながらも高山はその場を動くことが出来なかった

本当に嬉しかった


ギリギリまで粘った高山の作品は学際の文学部門で見事最優秀賞をとり全国文学コンクールへの投稿が決まった
さらにそこでも最高の賞を受賞
家庭の事情があり、審査員直々の奨励は受け取ることが出来なかったが、学校長の手により全校生徒の前で授与される
父と二人三脚で得た功績
壇上の上の小さな姿は少しだけ皆の目に大きく映りこんだだろう
高山は賞状と盾は学校に寄贈し、賞金と副賞のショルダーバックだけ受けることにした
貸家に戻ると父の書斎にその2つを並べて飾る
それから毎朝、書斎を覗いては少し位置が変わったそれらを見て「行って来ます」と玄関の扉を開けて登校した

3月1日、晴れて高校を卒業
特に充実した最後の年は一生忘れられない
想い出多き校舎を後にし証書を手に高山は家へと戻る
「ただいまー」
いつも通り誰もいない部屋に向かって叫ぶ声は、ほんの少しだけいつもより大きかった
いつも通り姿の無い父の書斎へ足を運ぶ
「…!!?」
踏み入れた右足を止めにこやかだった顔が急に引き締まった
部屋の空気が冷たい
半年間も姿を消したその時はまた違う空気
肌だけではなく心の髄まで突き刺さる気配を感じ 、高山は制服姿のままただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった

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