◆紅波 -こうは-


抜け忍に平穏という日が訪れることはなかった

戸田は地獄童子に、ユメコは天童流派の追っ手から、四六時中命を狙われ続けていた
生傷が絶えず、満足な食事にもありつけない
そんな過酷な逃避生活が精神的にも肉体的にもたたったのか、ユメコの体調は日に日に悪化する一方だった
「大丈夫?はい、お水」
「ありがとう。今日はいつもよりましみたい…」
まるで夫婦のようなやり取りをしながら、滝壺の小屋で身を休ませていた時だった

 ガラガラ!!

「誰だ!」
小屋の屋根を簡単に破壊し室内へ侵入してきた忍が2人の前に姿を現した
「この裏切り者め!始末してやる!」
「何をするんだっやめろ!」
「邪魔をするな!!里の恥め…っ…」
声を発していたその喉を苦無で切り裂くと、紺の忍装束に紅の飛沫がかかった

肉体がただの塊と化したあと、人目の付かない河原でその存在を素早く葬り去り、燃え上がる火の粉で水浴びをした身体を乾かしながら、ふと考えた

(抜け忍狙いの追っ手か。でも見たことのない下忍…しかもよりによって単独行動?)

追っ手排除に成功しながらも何か腑に落ちない戸田だった


*


日没前の空に十三夜が見え始めた頃、ついにこの日を迎えてしまった

「…しっかりするんだっ!」
「…」
肉付きのいい腕に抱かれているのは、追っ手の放った毒矢により昏睡状態に陥った愛おしい存在
毒抜きの応急処置は施したが、その先の知識はあいにく持ち合わせていない
「一体どうしたら…っ!」

 あの人にお願いしてみたら?
 古の陰陽師さんによ
 優しそうな爺さんだっていうし
 そうすっかなぁ
 知り合いもそこで助かったっていってたしな
 どこにいるんだっけ?
 山の祠に紙垂があったらそこにいるらしい

数年前に耳にした平民の声が頭に響きわたる
「こうなったら一か八かだ…!」
運命を天に任せる
いまはそうするしかなかった


*


都から少し離れた山の麓を優雅に流れている大きな河川
その河川敷を抜けると山の中腹まで苔の生えた石階段があり、その階段を登り切る手前に古びた紙垂の備わった祠があった
「ここだ…」
この場所を情報網をくっして探りあてた戸田は、傷病人を背に暗闇の中へと入っていった
洞窟内は無風で最奥に微かな灯りがみえる
暗闇に漸く目が慣れてきたころだった
「よくこの場所まで来ましたな。ささ、どうぞ奥へ…」
あの人物と思われる声が耳に届くと、焦る気持ちを抑えながら目的の場所へと歩みを速めた


祠の最奥のやや広い空間の中央には、人一人横になれる大きさの石壇が置かれていた
誰もいない空間に向かって声をかける
「頼みがあってきました」
「…その娘を石壇に寝かせて、祈りを捧げて下さい」
言われた通りにユメコを寝かせた戸田は、石壇の正面に座り両手を合わせた


人の気配を感じ伏せていた顔を上げると、石壇の奥に1人の初老が立っていた
戸田と目を合わせたその初老は、瞳を閉じ戸田にこう声をかけた
「ほぉ…これはこれは…戸田隠里の抜け忍殿…でしたか」
「!!なぜそれをっ」
「いやいや、怪しまないで下さい。わし位になるとなんでも見通せますのでつい口走っただけですよ…それでは娘の命を…」
「お願いします!」
初老はユメコの上に石を持った両手を翳し、呪文と思われる言葉を暫く唱え続けた

その間、戸田は不思議な色を放つ石の動きをずっと見つめていた

石が光を増すのと同時に上下に動いていた腹部の動きが静止した
「えっ…」
「上出来だ…これで100の魂を手に入れた」
「どっどうゆうことだ…!?彼女に何をした!」

助けを求めた人物の言っている意味が全く理解できない
混乱する頭の中で唯一分かったのは、将来を誓った彼女が、たった今、命を失ったことだった

優しそうな初老の顔は鬼のような形相へと変化し、見開いた瞳は獲物を狙うように鋭く、口調も荒々しく変わっていった
「確かな情報ではなく、単なる“嘘”の噂を信じた愚かな忍め!ん?忍か…ちょうどいい。朱の盆らよ!そいつを取り押さえろ!」
「「「はい!ぬらりひょん様」様」様」
「なっ何をするんだ!!…わぁっ!!!」
何処からか現れた赤仮面の男3人に、物凄い力で羽交い締めされ身体の自由が奪われたその瞬間

 ズシャッ・・・ボタ・・・ボタボタ・・・・・・

左の視野が一瞬で闇と化した
激痛に耐え切れなくなった身体はバランスを崩し、前のめりになりながら地面へ崩れ落ちる
立ち上がろうと両手を地面につき下を向いて荒い呼吸を整えるが、強烈な眩暈に襲われ身体から力が抜ける
なんとか顔だけを前に向け、残った右目で彼らを睨むと、ぬらりひょんと呼ばれた初老の手には鮮血が滴る己の眼球を突き刺した短剣が握られていた
「朱の盆、お前に“コレ”を預ける。早く塩水に浸けろ。わかったな!あと、娘は好きにするがいい」
名を呼ばれた手下の1人は短剣を受け取り、残り2人はユメコを抱きかかえ洞窟の奥へと姿を消した
「…くそっ…」
「悔しいか?憎たらしい忍め。お前が血眼になって探している闇の陰陽師とは私のことだ!」
戸田の周りをうろつきながら止めを刺すように自分の正体を明かした“ぬらりひょん”は、懐から紫和紙を出すと古めかしい呪文を唱え始めた
「辻神、こやつはわしの正体を探った最後の生き残りだ。捕まえろ!」
姿を現した手下は、角を生やし白地に紫のまだら模様描いた反物のような姿をし、戸田の姿を発見すると一直線に狙ってきた
「!!…うわっ」
戸田は慣れない視界と制御の利かない身体をなんとか操り、動きの速い辻神から遠ざかるため一度も後ろを振り返ることなく前へ前へと進んだ

「ぐぁっ!」
河川敷で突如、長い布のような辻神の尾に首を絞められた
足場の悪い場所で踏ん張り、血まみれの両手で必死に取り払おうと限界まで力を出し切る…つもりだったが、その尾はいとも簡単に首から取れてしまった
まるで濡れた紙が敗れたかのような感触に拍子抜けしてしまった戸田だったが、息を整えることもなく満身創痍でとある場所へと助けを求め走り去って行った

その一部始終を見ていた闇の主に落胆の様子はなかった
「逃がしたか…まぁ、よい。収穫は大いにあった。弱った忍を式鬼にするのは後回しだ」

 カサカサ…

大胆に千切られ紅に染まりかけた紫和紙は、どこかに去っていくその主の後をしっかりと追っていった


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