青海波-せいがいは-


春一番が吹き荒れたある日、戸田はユメコを連れてお気に入りの場所へと向かった
「わぁ〜綺麗」
この辺りの盆地を取り囲む山脈の雪解け水が流れ込み、いつも殺風景な草原に小さな湖がたくさん生まれ、太陽の日差しを浴びた白い絨毯には、薄緑色の小動物の足跡が散らばっていた
春の息吹を全身で感じとった2人は湖のほとりで腰を下ろし、仲睦まじく身体を寄り添う
「鬼太郎さんって水が好きよね?よく滝とか川に連れてってもらうから」
「あ!言われてみればそうかもしれない…水は僕たち人間だけじゃなくいろんなものに平等だから。水がないと命は生まれないし、生き長らえることもできない。川となって海に流れて…この国の隅々まで流れていく…」
だんだんと声が小さくなり無言となった戸田の顔をユメコは心配そうに下から覗いた
「鬼太郎さん?どうしたの?何か悩んでるでしょ?」
「えっ!?なっなんで?」
「そんな顔してたから。私そうゆうのわかるの。1人で苦しまないでね」
理由を詳しく聞こうとしなかった彼女に、戸田は少しだけ感謝した
ユメコを里近くまで送った戸田は、別れ際にこんなことを言い出した
「ユメコちゃんの流派、仲間が増えたよね。里に迎えに来たときに知らない忍にたくさん会ったから」
「そうなの。冬の間にここを根城にした人たちが多いみたい。でも、普段の生活で交流はしないの。だから同じ流派でも素性まではよくわからないのよ」
「でも、本を正せば忍は皆仲間さ。これからも何かあったら協力し合おう!」
いつも2人は笑顔を見せ合いながら別れの挨拶をする
が、この日だけ引き攣った笑顔を見せた忍が1人だけいた


この冬の間、戸田は独り思い悩んでいた
吹雪以外の日、里の目を盗んでは政権所在地から遠く離れた地区へ世情を伝えるため飛び交っていた
その行動が“忍”として正しいかったかどうかは分からない
しかし、自分の信念である“平和と平等”を貫いた結果、とった行動であることには間違いなかった
だから―…


木々の固い芽も心なしかふくらみ、梅の花が綻び始めた初春の里
力のある若手たちは茅葺の屋根からの雪降ろしに精を出し、年頃の女性たちは土中で冬を越した根菜類の収穫に汗を流していた
日が傾きかけた頃に作業が全て終了し、皆で遅めの昼食を済ませている様子を高い所から眺めていた里長のところに、戸田が淹れたての玄米茶を持ってきた
「少し熱めで用意しました」
「おお、すまんの。ん〜炒り玄米がいい香をしとる」

ズズ…

熱いお茶で一息つく頃合いを見計らい、戸田は里長へ声をかけた
「おじじ、今夜大事なお話があるんだ。黒烏さん抜きで…2人だけで話をさせてほしい」
「ほぉ…わかった。後で部屋に来るんじゃ」
いつにも増して真剣な眼差しの戸田から何かの決意を感じ取った里長は、夜分、部屋へ戸田を招き入れた

その夜、木の上に造られた木造の家から灯りが消えることはなかったが、その数時間後に訪れた明朝、戸田の姿が里から消えていた


*


忍の世界において、己の流派である組織から脱することは絶対に許されない
里に生まれた忍は、人里離れた土地で集落を築き、外部から攻撃に対して里を守る事と結束力を高め能率的な集団行動を行い、一生死ぬまでその流派に属すのが定めである
徹底的な秘密主義を貫き、鉄の結束により里の安泰を保っている忍たちにとって、内部情報を持ったまま流派から抜けた者(抜け忍)は、とてつもなく危険な存在となるため、排除すべく追っ手が放たれる
つまり、“流派を抜ける”という行為は自殺行為に等しく、抜け忍には過酷な運命が待ち構えている

里を離れた戸田も他の忍たちから抜け忍扱いをされたが、里長の後ろ盾のお陰で里からの追っ手は放たれなかった
しかし、どの里へ立ち寄っても歓迎されず、最初は拷問を受ける日が数ヶ月続いた
半年が過ぎた頃、日中は足軽と扮して武士の素性を暴き“軍”を混乱させ、夜分には城へ潜り込み暗殺ではなく“紙”を大量にくすねる日々を過ごした
その仕入れた紙に、食の保存方法や栄養価の高い味噌の作り方、害獣の出没時期や地区など、主に都で広く伝わっている内容を炭で書き綴り、竹筒に仕舞い込んで過疎地域へ届け続けた

忍里がある場所を極力さけた移動を強いられたこともあり、土地勘がなかなか掴めず出発地点に戻ることはほとんどできなかった
行く先々で原料と情報を手に入れ、慣れない場所で夜を明かす日々
疲労と空腹で道端に行き倒れたことが何度もあったが、見ず知らずの元・忍に対して過疎地区の農民たちはとても暖かかった



和国の地形が身体に沁みつき自分の居場所が特定できるようになった頃には、3度目の秋を迎えようとしていた



枯葉を集め境内で焚き火をしていた老巫女が、巫に芋をくべるよう話をしていた時
「おばば!」
紺色の忍装束を着崩し声変わりし始めた不安定な音域が鳥居の方から発せられた
期待せずに鳥居へ近づいた老巫女だったが
「おぉ〜鬼太郎。久しぶりじゃの!」
期待以上の人物の訪問に、発した声が半音上がっていた
「ちょうど近くまで来てたんだ。これお土産の梅干し!」
「紀伊までいっとんたんか?ありがたくうけとるよ。せっかくだから少し休んでいったらどうじゃ?」
「ありがとう!そうさせてもらおうかな」
祖母の元へ遥々遠方から訪れた孫のような関係は今も変わっていなかった
縁側に腰かけ、出来立ての秋の味覚を頬張りながら久しぶりの会話を楽しむ
「どうじゃ、最近は忙しいか?」
「ん〜慌ただしいのはいつものことだけどね。でも世の中は目まぐるしく変わる。情報が行き渡らない村に正しい情報を届けないと。その為に僕がいるんだから!」
「そうか。じゃが、住み慣れた土地を離れるのは寂しかったじゃろ?」
「…そりゃ寂しいさ。里を離れる理由は長にしか言ってない。みんなには黙って出てきたんだからもう戻れないよ…」
「寂しくなったらいつでもおいで。わしはいつまでも待っとるよ」
「ありがとうおばば。それじゃ、もう行くね!ごちそうさま!」
抜け忍となっても忍に変わりはない
森に入った戸田は昔よりも音を見事に掻き消してこの場を去って行った
真っ直ぐで汚れのない性格は全く変わっていなかったが、戸田の顔をたいぶ見上げて話していたことにふと気づいた老巫女は少しだけ複雑な気持ちになった

社へ戻り文を認めた老巫女は伝書烏を呼び
「この文を戸田隠里の子泣きへ届けておくれ」
今日の出来事をいち早く知らせたい人物の元へ飛び交うよう指令を出した
烏の飛び立った空は、境内の砂利と同じ色を呈していた


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