波紋-はもん-


三国山脈の山麓に代々この地を治めていた人々により建てられた古い神社が鎮座し、この地を開拓した偉人の霊を神として祀りたてた社では、老巫女と数名の巫が職務を全うしていた
「ん〜…ここの空気はいつ来ても美味しいな。あ、たくさんのつがい蜻蛉が河原に集まってる。もう秋も終盤か」
先ほどまで感じていた背筋が凍るような空気とは違い、心が和む自然の空気が戸田を迎えてくれた

境内は、土ではなく灰色の玉砂利が敷き詰められ、歩くたびにジャッ、ジャッと独特の音を発し、訪問者を知らせる呼び鈴の代わりにもなっていた
「よくこの石で遊んでおばばに怒られたっけ…懐かしいな…」
戸田は幼少期までこの神社で育った
躾の厳しい老巫女に大切に育ててもらったあとは、老巫女の知り合いである戸田流派の里長の元へ引き取られ忍の道を歩んでいった
忍の任務で近くまで来たときは土産を持って必ず立ち寄るほど、この神社は戸田にとって心のよりどころでもあった
「おばば〜」
変声前独特の音域が閑静な古社境内に響き渡ると、社の奥から
「そろそろ来るころかと思っておったぞ。中へ入っておいで」
と、老巫女の返事が聞こえてきた
戸田は社の入口で足袋を脱ぎ、中履き用の足袋へと履き替えると、衣服の埃をほろって社の中へと入って行った
「長旅ご苦労さんじゃの、鬼太郎。熱いお茶でも飲んでいっておくれ」
「ありがとうおばば。急に来ちゃった」
「いつでも来ていいんじゃよ。ここはお前の故郷じゃからの。それより今日はどうしたんじゃ?」
「ちょっと気持ちが落ち着かなくってさ。おばばに話を聞いてもらいたくて」
戸田は事の始まりから、来る途中までに起こった事を全て老巫女に話した
「里長からは、重大な災いを引き起こした闇の陰陽師の存在を聞かされ、都では病を取り除く祈りを捧げる陰陽師の存在を知った。これらの陰陽師と関係があるのかわからないけど、なぜか忍里から神隠しのように忍が消えている。もう3つも。そして来る途中にみた湖畔端の白い大岩。一体何のために…。次の里が狙われないようにするにはどうしたらいいんだろうっていろいろ考えちゃってさ」
老巫女は、戸田の真剣な目を見つめながら、一字一句聞き漏らすことのないよう集中して話を聞いていた
戸田の話が終わったあと、言葉を選びながら老巫女は話をしだした
「生憎じゃが、わしにも“答え”がない問題のようじゃ。皆で協力し、最悪の事態を避ける行動をとるのが策かの」
「…そうだよね。やっぱり皆で協力しないとね。おばばありがとう!おばばに話を聞いてもらって元気になったよ。また来るね!」
「いつでもおいで。子泣きによろしくいっといとくれ」
淀んだ気持ちが少し晴れた戸田は、老巫女に別れを告げると早々に森の中へと消えていった
カサカサという木の葉の音は1分も絶たないうちに聞こえなくなった

が、その数分後にはまたジャッ、ジャッという玉砂利の音が聞こえてきた
「ん?今日は客人が多い日じゃな。どちら様かの?」
「どちら様って久しぶり過ぎると顔も忘れられちゃうのか。寂しいもんだぜ」
「その声は、蒼か?」
「よ!」
次の訪問者は、藍色の作務衣を身にまとった修行僧の蒼坊主だった
「また可愛い巫女さんが来たんだって?水臭い婆さんだぜ。俺にも紹介してくれよ」
「修行中の身で何寝ぼけたことを言っとるんじゃ!はしたない。それで、本題はなんじゃ?」
「お、おう。今日は随分と早い切り出し方だなっ」
「お前さんがこの時期に来るというということは何かがあったからじゃろ?ほれ、長旅で疲れきった足が棒になっとるぞ」
老巫女に身体の疲労を見透かされた蒼坊主は、杖代わりの六角棒を縁側に立てかけ、己の腰をそこに下ろした
「実はさ、婆さんに前から聞きたいことがあったんでね」
「聞きたいこと?今更なんじゃ?」
「俺もなんで今更こんなことが気になるのか不思議だが…野生の勘ってやつかね。この社の中庭にあるあの“空の祠”のことがどうも気になってしょうがないんだ」
「…修行中なだけあって、真実を見極める目をもっておったか…蒼よ、こちらに来なさい」
老巫女に招かれ、蒼坊主は社の中へと入って行った

古い樹木に囲まれた境内はそれなりの広さがあり、中心の池を囲むように社が造られ、池の中心に祠を祀った小さな島があった
小島へ通ずる一本の短い参道には水生植物が咲き乱れ、まるで祠に近寄る全てものを拒んでいるかのようにもみえる
祠とは、本来、神を祀る小規模な殿舎のこと、だが
「…やはりな…」
蒼坊主が観音開きの石造りの戸を開けると内部には何も納められていなかった
昔は“何か”が納めされていたのだろうか
「ここに納められていたものが、大昔に盗まれたっていう可能性は?」
「そんな罰当たりな奴は呪われるぞ!」
「まぁまぁ、そんなに熱くなるなよ婆さん。可能性を考えただけだって」
「わしが先代から巫女の座を受け継いだ時から祠は空じゃったよ。蔵で眠っている書物を引き出せば何かはわかるかも知れないがの。しかし、祠が空なのはいま起こったことじゃない。わしと蒼だけが知っていることじゃ。巫たちには、偉人の霊が祠に納められていると教え込んでおる…」
少しだけ険しい顔つきになっていた老巫女が瞼を閉じ、いつもの穏やかな表情に戻り空を見上げたのを確認してから、社ならではの澄んだ空気で一度心を落ち着かせ、蒼坊主は話を続けた
「巫女の婆さん。俺がここに立ち寄らなくなったのは、この社を狙う妖怪達が消えたからさ。各地の寺に妖怪たちが現れるようになった今、各地を転々としながら妖怪退治兼修行をしているのさ。だから、俺はあの“空の祠”に―」
「なんじゃと!?迷子になっとったんじゃなかったのか!来なくなったのには、きちんとした理由があったんじゃな」
「ばっ…婆さん…そりゃないぜ…orz」
空の祠には妖怪が狙う何かが納められ、昔、何者かによってその何が盗まれた、だからこの社には妖怪が寄り付かなくなった、という自分の推理を話す前に老巫女に強烈な突っ込みを入れられた蒼坊主は素っ頓狂な声をあげ肩をすくめたのであった

六角棒からのびた影が出発の時刻を告げる
鳥居まで見送りに来た老巫女に、蒼坊主はこの間仕入れた噂話を言い出した
「そういえば…ここへ来る道中、怪しい式神使いの噂を耳にしたぜ」
「しきがみじゃと?それは昔存在した陰陽師という技官が使った技じゃないのか?」
「お、詳しいな。さすが人生の大先輩は違うぜ。俺の先祖…っていっても500年も前だが、ひい爺さんのそのまたひい爺さんが行政側についてた陰陽師で官職を務めてたらしい。その当時、一部の官職が本来の律令規定を超えて呪術を司り、都から排除されてしまった。居場所を失った彼らは、長い年月をかけ特殊化・秘伝秘術化した独特の陰陽道を築き上げ、生き延びる手段を見つけたらしい。つまりだ、こいつらが今でも生きながらえてて、式神を使って何かをしているとしか俺は思えない。今の時代、式神を使いこなせる人物といったらこいつらしかいねぇからな」
「蒼はその人物を見たのか?」
「いや、噂だけだ。筑後を訪れた時、人形に切られた紙の目撃情報が後を絶たなくてな。たしか…その陰陽師の名前は…、ぬらりひょん、というそうだ。そいじゃ、俺はそろそろ戻るぜ」
そう言い残して蒼坊主は、足音を立てず忍のように境外の地面を滑って去って行った

ぬらりひょん

「…聞きなれない名じゃな…わしも覚えておくか」
この時、老巫女の頭の中には、陰陽師ではなく聞きなれない人物の名前だけが響き渡っていた


*


里を出て3日目の早朝、高木の見張り台に黒烏と戸田の姿があった
互いに有力な情報は得られなかったものの、現在、過半数の仲間たちが黒烏の指令にて、守護の配下忍へと変装し潜入調査を開始しているとのこと
「先を急ぐ気持ちをひとまず置き、仲間が無事に戻るまで私たちは兵糧確保を優先しましょうか。もうしばらくすると里は厳しい豪雪に見舞われますからね。私は里に残った仲間と田畑の作物を、鬼太郎殿は童子殿といつものように頼みます」
黒烏は席を外している里長の代わりに、将来有望な若手に指示を与えた
自室に戻った戸田は
「ふ…さてと」
今年も自然の恵みに感謝する季節が無事巡ってきたことにほっと一息をつく
戸田は着なれた装束から小袖と少し短めの袴に着替えると、地獄童子の待つ山奥へと歩いていった


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