かぼちゃのスープの作り方
彼女が台所に立って一時間が過ぎていた。買い物から帰ってそのまま、ただいまどころかうんともすんとも言わない。何か油の跳ねる音や、包丁をこつこつやる音は聞こえるからに、夕飯の仕度をしていることは明白であるが、今日は手間取っているのか。彼女に限ってそのようなことはないと考えていい、大方無駄に凝った料理を作っているのだろう。最愛の弟に食べさせるというならそれもまた話が変わってくるが、残念ながら晩餐客は俺と彼女自身の二人だけ。それだけだ。美味しい料理にありつけるのは願ったり叶ったり、ただ彼女は何の為に目をしばつかせながら玉ねぎを切って毎日台所に立つわけか。女とは元来そういう生き物なのか、それとも彼女が特異なのか、俺としては後者だとほぼ確信しているわけだが、甚だ興味深い疑問、ということにしておこう。

「臨也、ちょっと来てくれる」
「何だい、毒味ならお断りだけど」

暇潰しにぐるぐるとお得意の思考を巡らせて楽しんでいると、その思考の主題ともいうべき彼女がリビングに顔を出した。髪を束ねて、エプロンなんかかけている。俺の返事にむっとした様子を隠しもせずに、

「あら、何かしら、弊社オリジナルの毒でも入れてほしいの?」
「弊社?矢霧製薬は随分前に君を見限ったって話じゃなかったかな。それとも波江さん、うちにはかけもちバイト感覚で来てたの?そりゃあすごいや」
「質問を質問で返さないでと言ったでしょう。それにつまみ食いもやめなさい」

ぴしっ、伸ばした手は容赦なく叩かれ、しかし咄嗟に口の中に放り込んだトマトクリームパスタの海老は、ソースが良い具合に絡まってとても美味しい。元からさほど良くない機嫌を更に悪くした彼女が呆れたように俺を見ている。

「これおいひいね」
「口の中に物を入れたまま喋らないでくれる」
「毒も入ってないみたいだし」
「…もういいわ。折原さん、かぼちゃを切ってもらえます?」

彼女の威圧的な咳払い、この期に及んで呼称付け、それに敬語である。怒ったときの癖だ。まったく自分で言うのもあれだが、俺は彼女を怒らせる天才と自負している。

「よかろう」
「一口大にカットして、耐熱皿に入れてちょうだい」

俺のふざけた返事を彼女はどうやら聞こえなかったことにしたらしい。まあいい。つれない対応には慣れっこだ。用意されたのはラップを被ったままのかぼちゃだった。これを切れば任務終了。彼女をちらと見遣ると、レタスを手際よく洗い、ちぎっている。彼女が俺の視線に気付き、無言のまま顎でかぼちゃを示す。早くやれということか。俺はかぼちゃに視線を戻した。この俺を顎で使う輩など、後にも先にも彼女だけであってほしい。ラップを剥がしてまな板の上に置く。とりあえず皮の方を下にして、まずは真っ二つに切ってやろうと包丁を下ろす、が、途中までは上手くいくもののその先に進まない。力ずくで引っこ抜こうとも動かない。ややへっぴり腰気味は否めずに、包丁の背に手のひらを押し当てて全体重をかけると、ようやく二つになった。断面が歪で、真っ二つのつもりが片方だけがとても大きく、もう片方はおこぼれ程度である。

「固っ、何だよこれ、手ぇ痛っ」
「だからお願いしてるのよ」
「俺にこんな痛い思いさせて何作るの」
「かぼちゃの煮物にしようかスープにしようか今考えてる」
「煮物にしよう」
「スープにしようかしら、今日は汁物がないし」
「何でだよお」
「だから汁物がないって言ったでしょ」
「煮物がよかった」
「あまり食べないじゃない。和風の味付けが嫌いなのね」
「かぼちゃは美味しいから食べるよ」
「そう、誠二と一緒だわ」
「…何とも貴重な情報を頂いたな。書き加えておこう」

俺の皮肉に、彼女は夢見心地を害されたとでも言わんばかりに途端にうっとり顔をやめて、

「だけどスープにする」

その無表情なことと言ったらない。

「俺これ以上かぼちゃ切り刻めないからね」
「頼んだわよ」
「波江俺の話聞いてる?」
「俺の話?またいつもの独り言でしょ、聞いてるわよ」
「そうだ、波江、ちがう、この間買ったっていうミキサーだ!」

急に声を張る俺に、彼女は訝しげに目を細めて眉をひそめ、そしてやっぱり咳払いをした。俺はそんなことなどお構い無し、素晴らしい文明の賜物がこの家に新調されたことを思い出し、嬉々として包丁を手放した。暇なら荷物持ちをしろと、教育テレビを見るのに忙しくしていた俺を引っ張って、彼女が一ヶ月前だったか、デパートのキッチン用品売り場でそれを買ったのを、俺は覚えていた。どれも似たようなミキサーがずらりと二十ばかり並んでいて、彼女がそれを選ぶ間、俺は隣の実演販売のお姉さんにちょっかいを出していただけなのだが。

「フードプロセッサーよ」
「どこに隠したんだ?せっかく買ったんだ、あれ使えばいいだろ、一発でスープになる」
「だめ、使わない」
「何で」
「かぼちゃの繊維感が無くなるわ。人の手で濾した方が食感が残っていいもの」
「何のために、フードプロフェッサーだっけ?買ったんだよ」
「あなたが毎朝飲んでるフルーツジュースにはあなたの大嫌いな小松菜と人参とブロッコリーが入ってるんだけど」

ぎょっとして思わず目を見張る。彼女がふふんと勝ち誇った笑みを浮かべているが、俺がぎょっとしたのは、フルーツジュースにおぞましい野菜の数々か隠れ潜んでいたことよりも、毎朝数十秒に渡って低い機械音が唸り続けるその原因を突き止めたからである。まるで工事現場のドリルの音のような、あれはまさに野菜を木っ端微塵にする音だったのだ。

「俺、最近目覚ましより早く目覚める理由を今発見したよ。強制的早起きのせいでここのところ寝不足だ」
「早く寝ればいいじゃない。早寝早起きは三文の徳」
「よく言うよ、この情報屋、折原臨也が早寝早起きだなんて。池袋の誰にも知られたくないね、まさに格好の情報じゃないか」
「そういう自意識過剰なところどうにかならない?まあ確かに、早寝早起きってのはあなたに似合わないわね。それと、そんなことはどうでもいいから口だけじゃなく手を動かしてくれる?」
「難しい要求だな」
「じゃあ口を閉じて」

有無を言わさない彼女の言葉に、俺は肩を回してそれに答えた。俺が何も話さなくなると、当たり前に彼女も何も話さない。彼女は俺のようにべらべらと独り言をのたまったりしないから、俺が包丁でかぼちゃを切る音や、彼女が洗い物を片付けてしまうその水音や、そんなものばかりで、暫し静かになった。俺はその間に、歯の間に詰まった海老の身を舌で押し出し、彼女の腰のところでリボン結びになったエプロンの紐を眺め、かぼちゃの煮物の味を思い出そうとして、誠二くんの顔を思い浮かべ、それからついでにミキサー売り場の隣にいた販促のお姉さんのことなんかも思い出して、それから明日からもまた目覚ましより早く起きることになるのだろうかと考えあぐね、まあいいかという結論に至った。一口大に切ったかぼちゃは、なかなか大きさを揃えるのが難しかった、何せ半円で、楕円で、思い通りにはいかない。それでもかぼちゃは美味しいから、さて、困ったものだ。


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