ホテル・シーサイド
彼女はあれから少し痩せた。出来合いの食事は口に合わないらしい。俺も同じだ。ホテルに備え付けのシャンプーで髪が痛んだとも言っていた。暫くはそれを使い続けていたが、一向に東京へ戻るそぶりを見せない俺を見かねて腰を上げ、近くのドラッグストアで気に入りのボトル一式を買っていた。彼女はずっと黙ったまま、あぁ、あの寂れたビジネスホテルの一室に骨を埋めるのかと、そう言い出さんばかりの表情をしていた。俺も同じだった。

「おかえりなさい」
「そんなとこで何してるの、波江」
「コインランドリーに行くのよ」

幾つかの取引と手配を済ませてホテルに戻ると、彼女が部屋のドアの前にしゃがみ込んで俺を待っていた。両膝を抱えて、つっかけ代わりのフラットシューズを履いている。ナイロンのバッグの中に、二人分の洗濯物が詰まっているのが見える。

「実に不便だね」
「仕方ないでしょう」

彼女はすっと立ち上がり、目を伏せて抑揚乏しくそう答えた。
 
「いつからそこにいたんだい」
「早く行かなくちゃ、あそこ、九時までだから」
「ああ、そうだった」
 
洋服の入ったバッグを彼女の手から取り上げて歩き出すと、彼女が小走りで俺の後を追いかけて、横に並んだ。ちらと表情を伺うと目が合って、何よ、と言うので首を振る。軽口の一つや二つ言おうかと思ったが、それには少し、疲れていた。俺も、それから彼女も。道中は誰にすれ違うこともなかった。閑散とした港町。俺と彼女は目抜き通りから一本向こうの海岸沿いをわざわざ遠回りして歩いた。乾いた潮風に、彼女が横髪を押さえる。無人のコインランドリーは相も変わらず、街灯のともらない道路沿いで光々と電飾を光らせていた。数台並んだ業務用洗濯機に、彼女が手際良く衣類を入れていく。こんな町では悪目立ちするからと、黒一辺倒だった俺の洋服も、幾許かは彼女好みに変わった。色とりどり、とまではいかないものの、それでも十分にありふれた男女二人分の洗濯物。彼女の背中はやはり少し痩せて、頼りない。ボタンの操作音がして、その後ぶうんと洗濯機が動き始める。隣に座った彼女が、髪を耳にかけて、それから俺と同じように、ぐるぐる回る洗濯機を意味も無く眺めていた。

「やっぱり、君を連れてくるんじゃなかった」

唐突で、もしかするととても気紛れな俺の言葉にも、彼女はぴくりともせず、ドラム窓から洗剤の泡立つ様子に目を遣っている。

「どうしてそう思うの」

柔らかな口調だった。責めることのない、穏やかで、それは母親が子供に問いかけるみたいな温度だ。

「何でだろうな」
「弱気なのね、いつになく」
「そうかもしれない」

俺は足元に目を落とした。踵の泥を払って、靴紐を結び直す。後先考えない発言だとはわかっていたが、口に出さずにはいられなかった。二人が暮らしたあの家を離れたその時から、きっと決まっていた問いだった。

「波江さん、東京に戻りたいかい?」
「さあ。どうかしら」

彼女は考えもせず、肯定もせず、否定もしない。

「じゃあ、質問を変えるよ。弟に会いたいと思わないの?」
「東京に戻っても、きっと誠二には会えないわ」
「それは俺のせいだ」
「あら、よくわかってるじゃない」

洗濯機がガタガタと音を立てて止まった。しん、と張り詰めた空気のようでいて、俺と彼女のどちらかが少しでもふんと鼻で笑ってしまえば、冗談になり下がるような、そんな気配を孕んでいた。暫しの密やかな沈黙、程無くして再び洗濯機が動き出す。泡が洗い流され、大量の水が注ぎ込まれる。二人分の洋服が絡み合って溺れている。

「私とあなたは共犯だから」

そうして俺を見つめた彼女からは乾いた潮風の香りがして、俺は思わずその髪に触れようと、手を伸ばす。手を伸ばす。
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