キャッツ・アイデンティティ
「私を取りあって殴り合いでもしてくれないかしらって思うんです」
「…誰と誰がだよ」

そう言って彼女は、俺の厭味に重ねるようにして悩ましげな溜息を吐いてみせた。居心地の悪いソファに浅く腰掛けて、これで五本目になる煙草を灰皿に押し付ける。酒か何か勧められたが断った。そもそも上司を引き取りに来ただけだったはずが、当の上司は泥酔状態、酒瓶を抱いて店の外に放り出されている始末だ。挙げ句話し相手になれと隣に座らされ、今に至る。その話というのも、年頃の娘が夢見るには至極ありきたりかつ些か物騒であるのだが。

「それは勿論銀さんと」
「近藤さんか」
「やめて下さい縁起悪いこと」

彼女が万事屋に思いを寄せているのは知っていた。見ていればわかる。それにしても恥じらいを微塵も見せずによくもまあ飄々とその名前を口にしたものだ。本当に好いているのなら赤面くらいすればいいものを。すんとすました顔をして、上司には悪いが、十八にしてこの可愛いげのない素振りこそ男の加虐心を擽るのだ。

「あの人なら殴り合いくらい喜んでするぜ。それがてめェの為で、相手が万事屋ならなおさらな」
「ヒロインを取りあう主人公は人間だって決まってるのよ」
「人間ならマダオでもいいのか」
「ゴリラよりましです」

一拍置いて、

「万事屋と喧嘩なんざ、そんじょそこらの男はてめェ置いて保身に走るのが関の山だな」

少し茶化したように言えば彼女がふいに視線を合わせて離さない。一寸前に軽口を叩いていたと思わせない、あどけなさに知的で狡猾な毒水を含ませたような、先程とは打って変わった彼女の意味深な雰囲気。唾を飲み込むことさえ躊躇われる。

「だけどあなたは例外」

まず手が触れて、白い指が俺の手首に纏わり付いて、そして顔が近付いた。一度離れて、今度は唇が触れるか触れないかのところまで引き寄せる。彼女が首を傾げるようにして角度を変えて、薄く開いたそれにおそるおそる唇を重ねて。噛み付いてしまえばそれまでだった。視界の隅に入って動かない見慣れた着流しや、きっと俺と同じように彼女にしてやられた上司の顔を思い浮かべ、俺は数を数える。三、二、一。彼女のロマンチシズムに満ちた暴力的な望みが叶う頃、そのいやに大人びた表情が歓喜に歪むその瞬間を、俺は見届けるのだ。

「何やってんの、土方くん」

殴り合いで済めば本望。


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