本望だ!
「クソチャイナと喧嘩した」

唐突に口を開いたために、土方さんは一瞬ぽかんと馬鹿みたいな間抜け顔を晒してみせた。信号が青になるのを待つ俺たちの他に登校しているらしい生徒はいない。もうニ限目が始まる時間だった。

「いつものことだろ」
「今回はまじでさァ、あいつ泣き出しやがったんですぜィ」

車の往来もない。いつまで経っても変わらない赤信号に、俺たちは二人並んで突っ立っている。土方さんが此方をちらと見遣ったのがわかった。だからか、と妙に知ったような口調で続きを言う。

「てめェ何かあると夜な夜な俺ん家押しかけてモンハン挑むの、いい加減やめろ」

お陰で遅刻じゃねーか、言いながら土方さんが歩き出すのを、俺は赤信号をねめつけた後にようやく追いかけた。この信号壊れてやがる。

「学校着いたらお前チャイナに土下座するついでに俺に焼きそばパンおごれ」
「何で俺が土下座なんか」
「女泣かせといてよく言うぜ」
「ありゃ女なんかじゃありやせんよ」
「総悟てめェなあ…ちったあ大人になれ、昨日あんだけ現実逃避したヤツが何抜かしてんだ」

学校に着くまで土方さんはだらだらと俺に説教じみた文句を言い続け、しかしそれはこれっぽっちも頭に入らずに、俺は学校が近くなればなるほど心臓が何か不規則にざわつくのを必死で耐えた。わなわなと唇を震わせ、瓶底眼鏡の奥に涙を湛えては踵を返し走り去った隣の席のあいつ。何もなかったみたいにいつも通り俺を見てしかめっ面でもしてくれれば、と願う一方で俺を全く視界に入れずに素知らぬ顔で授業を受ける彼女の姿が思いやられる。そして俺が声をかける前にひらひらと女子共の輪の中に入ってしまうのだ。前にも本気で彼女を怒らせたことがあったが、あの時など丸二週間は俺という存在を完全に消し去った強者である。好きの反対は無関心などとはよく言ったもので、さすがに耐え切れなくなって謝り倒した記憶はサディスティック星の王子として葬りたい過去だ。

「あ、土方さん待ってくだせェ、ちょっと深呼吸させて」
「そんな暇があったらさっさと土下座するんだな」

担任でもある銀八の、けだるそうに漢文を読む声が廊下にまで響いている。後ろのドアを開ける土方さんは遠慮というものを知らなくて、がらがらと大きな音にクラスメートが揃って此方を振り向いた。

「もう少しこそっと入れないの」
「すんませーん」

銀八が呆れたように言い、それに何人かが笑った。その雰囲気に紛れてそそくさと席に着く前に、しかし俺は隣の席にいるはずの彼女がいないということに気付く。学生鞄も見当たらない。やってしまったと、俺は冷え切った頭でそんなことを考える。恐る恐る後ろの席に座る姐さんの視線を捕らえ、

「今日、休み?」

隣を指差し小声で尋ねる。

「そうなのよ、神楽ちゃんったら心配しなくていい明日は絶対行くからの一点張りで…さっき神楽ちゃんのお兄さんに会ったから話を聞いてみたんだけど、仮病だから大丈夫だって…おかしいわよね、神楽ちゃんに限ってそんなこと」
「おーい志村姉、ここの例文訳して」
「は、はい」

突然の指名に慌てた姐さんが席を立ち、吃りながらも現代語訳を当て嵌めていく。教科書も出さないままぼんやりと宙を見つめていた俺は、いつの間にか真横に銀八が立っていることに気付きもしない。

「なあに沖田くん、次当てられたいの」
「…え、あっ…いやあの」
「まさか教科書忘れたとか言わないよね」
「あ、それです!」
「…は?」
「いや、だから教科書忘れたんで取りに帰って来ます」

レロレロキャンディをくわえたまま唖然とする銀八や百八十度振り返って此方を凝視する土方さん、黒板の前で驚いた表情の姐さんを残して、俺は一礼の後脱兎の如く教室を飛び出した。自分でも何をしているのかよくわからなかったけれど、何をすべきなのかはよくよくわかっているつもりだった。居留守でもビンタでも泣き顔でも、くらう覚悟はできている。




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