青き成れの果て
用意されたホテルの客室は、ダブルベッドに一人きりだった。少女じみた不埒な期待が頭を過ぎる。彼はいつも私を壁側に押し込めて眠りたがった。壁と彼の合間で、私は彼に毎日たくさんのキスを贈った。そのキスが最後になってもいいように、毎日。だけど何度口づけたって、何度かちかち歯がぶつかるようなキスをしたって、彼が私のものになることはない。ふと、ランボとイーピンが廊下ではしゃぎまわっているのか、子供の甲高い声が聞こえる。きゃあきゃあと明るいそれが遠ざかっていく。再び客室は空気すら洗練されたような静寂に包まれ、しかしそれは直後乱暴なノックによって呆気なくも終わりを告げることになった。

「最悪だ」

重いドアの向こうでは、彼がしかめっ面で立ち尽くしていた。髪がくしゃくしゃだ。私のあからさまにいぶかしげな視線を余所に、彼は続ける。

「これ、襟にコーヒーこぼしちまって、染み付いて取れねえんだ。こんな時間どこの店も閉まってるよな。ビアンキ、俺どうしよう」
「明日着るシャツじゃないの、それ。何で今着てるのよ」
「わかんねえけど、浮かれてたんだ多分。ごめん」

ぱりっとアイロンがきいてるのが一目でわかる上等のシャツと、それからその襟元に丸く広がったコーヒーの茶色い染み。彼が私に、とても申し訳なさそうにして謝る。ごめん。

「他に似たようなシャツは持ってないの」
「白シャツなんてこれっきりだ」

そう言って肩を竦める彼は、当たり前みたいにホテルのスリッパを履いている。しょうがなく旅行にいつも携帯する私のクロックスを履かせて、私たちはそのままホテルを出た。寒くって文句を言ったけど、彼が私の左腕に引っ付いて離れなくて、そこだけが熱かった。コンビニを三軒廻って見つけた無印紛いのシャツと、それから彼はお祝いだと言って安いスパークリングワインを買った。夜は冷たい。ホテルに戻りながらしばらく寒さに黙ったままでいると、彼が何を思ったのかワインボトルを逆さにして開けだしたものだから、彼のシャツはおろか私の髪にまでワインがかかって散々だった。二人でばかみたいに笑う。私のクロックスは彼に小さすぎたようで、彼の踵が黒く汚れている。

「浮かれてたんでしょう」
「え?…あぁ、その、うん」
「私じゃなくて奥さんに言えばよかったのに。あんたの奥さんになる彼女。きっとすぐに新しいのを用意してくれたわ」
「そうだよな。ごめん。…いや、けどさ、そんなの格好悪ぃだろ?」
「どっちよ」

ホテルの中はかじかんだ指をほぐすようにじんわりとあたたかい。

「いずれにしろ結婚式に八百円の白シャツなんてほんと最悪ね」
「まあな。けどコーヒーの染み付きよりましだ」
「さっきからけどばっかり」

彼は何も言わなかった。エレベーターの中でキスしてしまおうかと思ったけど、やめた。未練がましい。それから彼に手を振って、部屋に戻って、眠った。そうしたらいとも簡単に朝が来るのを知ってるからだ。そのうちイーピンが背中のホックを留めてと言って泣きついてくるだろう。ランボのネクタイも結び直してやらなければならない。ディーノの隣で綺麗に笑う花嫁に私も微笑み返しておめでとうと言って、あなたのダーリンはとっても趣味のいいシャツを着てるのね、これは少し意地悪だけど。



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