貴方の手中で思うこと
ちょうど空になった湯呑みを流し台に置いて、それから一つに纏めていた髪を下ろす。ここのところ立て続けに入っていたデスクワークは、例に漏れず曰く付きばかりだった。橙色の夕陽が直に部屋の中に入り込んで眩しく、思わず目を瞑る。キャスター付きの椅子を規則的に揺らしながら、しかし図らずもこの上司にはどうやら逆光らしく、微塵もカーテンを閉める気配はない。まあいい。どうせ私が帰ってくる頃には陽はとっぷりと沈んでいることだろう。冷蔵庫の中身を確認して、二日分の食事の材料を考える。歯磨き粉があと少しだったかしらと洗面所に向かうところで、私は彼の、不躾極まりない視線に気が付いた。

「買い物に行くの」
「そうよ」
「俺も行こうかな」

何の気なしに放たれた予想外の言葉。その声はとても外出に心を弾ませているようには聞こえず、そして決して私の意思を窺う風でもなかった。現に、彼は言いながらもすでにパソコンを休止状態にさせていたし、クローゼットから内綿の入った冬仕様のコートを取り出している。今まで一度だって彼が買い物について来た試しなどない。望んでもいない。口うるさいのが関の山だし、あの細腕が荷物持ちの役に立つとも思わない。考えてみたこともない。

「何ですって?」
「そんなに驚くことじゃないだろ」
「欲しいものでもあるの」
「別にないけど。ただついて行くだけさ」

彼はもうリビングのドアの前に立って、私が仕度を終えるのを待っている。悪だくみをする時のにやにや笑いでも浮かべていればいざ知らず、何とも涼しい顔である。それがかえって腹立たしいのだが、本人は知る由もないだろう。

「迷惑だわ。邪魔」
「残念だけど、もう決めた」

これまでの経験上、悪態を吐いて彼を追い払えるとは思っていない。ただ何か言ってやらずにはいられずに、眉を顰めたまま言い放ち、鞄に財布と携帯を放り投げる。もう無駄だ。誰より気まぐれで意固地な彼は、私がチェーンソーを持ち出して脅したとしてもついて来ると言い張るに違いない。溜め息は聞こえなかったふりなのか、さっさと歩みを進める彼に、私は自然と彼の後ろを歩く形になる。何となくだが癪に障る。憤然とパンプスのヒールを鳴らして彼に追いつき、隣に並ぶ。阿呆みたいに空を見上げていた彼がふいに私を見止め、帰りは荷物持ってあげるよ、なんて宣うものだから、つまり、道端に捨てられた空き缶を蹴飛ばしてやりたいくらいには苛立たしい。
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