花弁がひらくその前に
王宮の西のはずれに位置する小さな庭園の一角。むき出しの首筋をきらきらと太陽の光に当て、ガラス張りの温室で浮かない表情を見せているのはこの国の姫君に相違ない。ふわりと身を包む上質の衣はラベンダー、柔らかな癖っ毛は華奢な肩口で笑うように揺れ、か細い手足は労働や家事とはおおよそ無縁のものである。
「わたし、あの方のことはどうにも好きになれそうにないの」
「あの方とは?」
姫君、ヴィオレットの存外ぱきりとした口調に片眉を上げた一人の青年。光に照らされて青みがかった黒髪を額に流し、銀縁グラスから覗く瞳は十代の若者が見せる鋭さそのものであり、同時に老年の学者が身につけた深みそのものでもあった。青年は彼女のためにティーポットへと茶葉を入れ直すと、恭しくも促すようにして彼女のカップへ二杯目を注ぎ入れる。それを合図に、ヴィオレットが堪忍ならないと言った様子で大きく息を吸い込んだのを、青年は確かに目撃している。
「……サートリス大佐。サートリス大佐のことよ。お父様とお話になってらっしゃる時なんか、本当に鼻持ちならない高慢きちの態度で、わたしは心底、心底ーー」
「姫君」
そう言って青年が窘めなければ、ヴィオレットは琴線に触れるあどけなくたおやかな声色でもって、きっとついいつぞや夢中になった戯曲さながらに口を滑らせていたことだろう。途端にくちびるを閉ざして小さくなった彼女に、虫一匹殺せやしないと思しき見目の我が姫君に、青年は努めて厳しい顔を向けて言う。誠に遺憾ながら、首から下げた翡翠の魔法石などこんな時ばかりは何の魔力も発揮してくれやしないのだ。
「私がいつ姫君にそのような言葉遣いをお教えして差し上げたか、私には滔々記憶がございませんが」
「でも、先生だってそう思うでしょう?」
「……いいえ、まさか」
ヴィオレットの縋るような眼差しに僅かばかり狼狽えながらも、先生と呼ばれた青年は微塵もそんな様子を見せることなくやり過ごしてみせた。滅多なことがあっても不平を言わない彼女がこうも食い下がる訳を、青年は重々承知しているだけに荷が重い。
「国の為若くしてその身を捧げる彼に、何の不満がおありなのです。聞くところによれば実に品行方正でとても真面目な好青年だとか」
上っ面の至極真っ当な言葉は青年の無意識の内である。耳にかけた銀縁グラスをかちゃりと持ち上げて、青年はこの美しい温室に咲く花々を端に見留める。花というのはこうも生産性に欠け、水が無くては生きられない代わりに水を与えすぎても腐ってしまういきものだ。青年は彼女に、手のひらに浮かぶ水の球体を初めて見せた時分を思い出している。彼女が七つの頃だった、冠を戴いた小さな姫君を、青年は生涯かけて仕えてゆこうと心に決めたのだ。
「わたし、お姫様になんかならないわ」
「……姫君」
「ヴィオレットって呼んで、先生。これからも、ずっとそうして」
その蕾が咲き綻ぶのを、青年はもうずっと前から識っていたように思ってやまない。彼の名前はウィスティリア。生を受けて二百年、彼は何より彼女がいとしい。
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