おはよう、何年振り?
「おはよう、何年振り?」
銀ちゃん。起きぬけ、ちっとも回らない頭で私は言った。誰とも知らない人の家で、脱ぎ散らかしたままの服には手が届かない。最悪の朝だった。 それから少し考えた。
「…十四歳だったから、多分、五年振りアル」
「そっか。五年なんて、意外とすぐたっちゃうもんだね」
その人はしみじみと言って、私のくちもとをこすっている。よだれ。
「のど乾いた」
「ん、お水」
ペットボトルに入ったお水はなまぬるく、それでも体の下へ下へと染み渡っていく感覚にすくわれた。こういう時、銀ちゃんならきんきんに冷えた炭酸水なんか飲むんだろうな、私はできることならそっちの方が良かったと思いながら、有り難く飲み干してその人にお返しした。その人は色素の薄い体で、藍色の寝間着と似た色の帯を少しだらしなく腰に巻きつけている。足首なんかは武骨で、すらっと伸びた背筋に新八と同じくらいの二の腕、手首、指などはその人の方が細く長い。
「私のパンツ」
「はい、ここ。履く?」
「ウン」
その人は私の腰を浮かせて、野球ボールみたいに丸まったパンツをくるくる元に戻して私の足に通した。ラベンダー色のパンツには花柄のレースとピンクのリボン、ブラジャーとセットで三千円。相場はわからないけれど、数回履いたところでレースの刺繍が解れてしまったのを新八に頼むわけにもいかない。仕方なく白い刺繍糸でかがり縫いをしてみたが、どうにもそこだけが浮いてしまって恥ずかしい。万事屋にはラベンダー色の刺繍糸なんて置いていない。置いているはずもなかった。当然だ。
「シャワーよかったの?」
「いらないアル」
あんなにはしゃいで肌身離さず持っていたケータイを今日に限って忘れている。その人がシャワーを浴びている間、私はその人の携帯電話をさわった。魔がさしたとかそんなものじゃなく、確かに意思を持って私は彼のプライバシーを覗き込み、それからすぐに元の画面に戻して知らないふりをした。きっと私は傷ついているのだ。そう思うことにした。
「本郷くん」
「はい」
外着に着替えたその人はタオルで髪を拭き拭きベッドに座り、まるでプロポーズに答える女の子みたいな声で答え、私の顔を見た。私は咄嗟に視線を下へと彷徨わせたのだが、その視線の先に映った肘の内側の柔らかいところには注射のあとが二つ、鬱血したように印されている。
「もう五年も経っちゃったのに、まだ私のこと好きアルか?」
「神楽ちゃん、ご飯行こっか。何食べたい?」
私の髪飾りを両手でもてあそびながら、その人は言った。今度は私の顔を見ないまま。
「何でもいいネ。でも、あの、電話貸してほしいアル。銀ちゃんに電話しなきゃ」
きっとその人は私より深く傷ついていた。何か私には得体の知れない不安、しかしその人の身には具象的すぎる不安を抱えて、あれから五年間こうしてその人は生きてきたのだ。私は言い訳がましく携帯電話を受け取り、頭の奥底が寂しさに押し潰されてしまう前にと、万事屋の電話番号を押した。少ししてワンコール鳴り、その人が此方を見ている。私は息の詰まる思いで電話を切った。その人は何も言い出さない。心臓が脈打ち、脊髄が収縮している。意識的な呼吸を繰り返して、それから今度は志村家の電話番号を押した。私はその家で私をひどく心配しているであろう彼の、その良心的な優しさにすがる他なかった。
「もしもし、新八、ウン、大丈夫。今日ご飯いらないアル。友だちと食べてくるネ。ウン、今日お泊まりした友だち。ケータイもそうヨ。昨日?…ウン、悪かったアル。銀ちゃんにも言っといて。ウン。かぶき町だヨ、銀ちゃんがいつも行く髪切り屋さんの近くの。新八、銀ちゃんに言ってネ、ちゃんとだよ、夕方帰るって」
案の定とも言うべきか、彼はちっとも私を責めなかった。
「銀ちゃんって人に電話するんじゃなかったの?」
「ご飯行こ、本郷くん」
万事屋の今日のご飯は何だろう。私はその人の手を取った。
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