ロック
此処へ着いてからというものの、坂田は一言も話そうとしなかった。新八は気圧されるように彼を家に招き入れると、眠る神楽の顔を見せた。首にかけた赤い紐の先がぷつんと切れている。そこにぶら下がっているはずの鍵は見当たらなかった。
「ここまで歩いて来たんだって、神楽ちゃん、最初は得意げに話してくれたんですけど、途中からぼろぼろ泣いちゃって……」
弁解めいた新八の言葉はしかし、坂田を深い後悔の念に苛ませた。彼にはいとも簡単に想像がいった。ちっとも洗濯物を畳もうとしない神楽に坂田が小言を宣い、放っておけば新八がそのうち片付けるアル、と何の悪気もなく言い返した神楽と口論になった。口論と言っても大それたことではない、大人げない大人と子どもじみた子どもが意地を張り合って、そのうち面倒になった神楽がしばらく実家に帰らせていたらきますアル!と捨て台詞を吐いて玄関を飛び出して行ったのだ。呂律回ってねーよあのアホ、と呟いた坂田であったが、彼女の首にこの家の鍵がぶら下がっているのを見ていたから、さーていつまで続くやらとのそのそ支度を整えて仕事に出た。それが四時間ばかり前のことだ。
「鍵、どこかに落としちゃったみたいで、多分すごく動揺したんだと思います。お登勢さんとこに行くのも忘れて、電車も使わずにここまで……」
神楽のことだ、きっと正午を回る頃には空腹に痺れを切らせて家に戻ったに違いないのだ。そうしていつものように鍵を掴もうと胸元あたりに手をやって、そこからの彼女の心情を、坂田は推し量っても推し量ることができなかった。がちゃがちゃと鍵のかかった引き戸を鳴らし、坂田の名を呼んだだろう。一度目は大きく、二度目は不安に声をひやりと落として、三度目は心細さに潰されまいと気丈に振る舞って。彼女は幾分待ったかもしれない。仕事が終わるまで待っていようか。あるいは引き戸の前にしゃがみ込み、しゃがみ込んだままそして今朝のことを思い出したかもしれない。私に愛想を尽かして、帰って来なかったら?洗濯物も畳まない悪い子と一緒にご飯なんか食べたくないって、銀ちゃんの方が出て行っちゃったんだとしたら?
「……ごめんね、銀ちゃん」
坂田は一言、馬鹿野郎、と答えた。それで十分だった。
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