葬儀屋と歌い手の話。
温くて軽いけど切断描写あり。注意。






「お願いがあるの」

彼女が一言そう言った。相も変わらずの笑顔と、黒ずくめの喪服のようなドレス。唇だけが化粧もなしにやたらと赤い。
お願いとは何だろうか。左手のメンテナンスの話か、それともこの眼が欲しいと、何時ものことか。前者はともかく、後者は。
沈黙を以っても、彼女は何も変わらない。緩く吊り上がった口元は、静止画のように微動だにしない。その場面を切り取ったような、出来の良い絵画。触れれば平面だろうか。
平面だなんてそんな、生きていないものに特に興味はない。
お願いとは何かと尋ねると、彼女はまた一言言った。殺してほしいの。
酷く艶やかで蠱惑的であり、そのくせどこか少女めいたところもある声だ。奥底に響くようでいて、ふわふわと掴みどころと行きどころのない。彼女の声はまさしく彼女そのものだ。ヒトは、彼女の声を美しいという。事象すら揺さぶらんこれを贈られ、そして送られるというのは、はてさて、どのような気分だろう。
それはさて置き、彼女が殺してほしいというのは、わかった。けれど理由がわからない。死んだモノに興味を持たない己に何故彼女は望むのだろう。
死んだモノに興味はないよ、と告げれば、だから殺してほしいの、と彼女が返す。首をかしげれば、私はもうすぐ死んでしまうのと静かに言った。
なるほど、彼女はもうすぐ死ぬのか。赤味のないいっそ青白い肌、明瞭な呼吸に、やたら赤い唇と、濡れたような艶の黒髪。ただひたすらに何時も通りだ。だが彼女は死ぬらしい。死ぬことを何より厭うていたのに、どうして死んでしまうのだろう。
死ぬんだ、と疑問がそのまま口から零れ落ちる。不思議で仕方がなかった。
それに彼女が答える。ええ、死ぬわ、私の事だからよくわかるの。あれほど死にたくないと言っていたのに?今も私は死にたくないわ。ならどうして?だって死んでしまうでしょう、私にはどうしようもないわ。
どうしようもないのか。それなら仕方がない。彼女は時を忘れてしまったように変わることはないけれど。そのぬばたまの髪も、透き通るほどの肌も、血を塗ったような唇も、沁み至るような声も。それでも、どれほどに何時も通りの姿でも、彼女は死んでしまうらしい。
しばらくそうして見つめあって、すっと彼女が左手を差し出した。己の造ったそれが受け取らせたのは、アンティーク調の鋏。少しばかり大振りのそれは、刃がぬらりと濡れたように光って、次の瞬間には巨大なものに変化していた。丁度、

「首を落として欲しいの」

人の首を落とせそうなほど。
この刃を開いてあてがい、そのまま閉じれば、難なく彼女の首は落ちるだろう。己にとってそれはとても簡単な行為。
ふふ、と吐息を洩らすような笑みを零して、ああでも、首は最後でいいの、先に腕、とうたう。その言葉に自然と目が左腕に行った。彼女はそれを持ち上げて、人差し指を口唇に当てると、先に脚の方がいいかしらとさえずった。
その様がいかにも楽しそうで、何かひとつ、胸によぎるものがあった。それがよくわからないまでも、何だか不愉快な気がして、口を開いたら飛び出た言葉は珍しく、少々棘が付いてしまったかもしれない。今度は脚と腕を造ればいいの。他者が気付かない程度の差でも、それなりに長い付き合いの彼女はわかっただろうか。
彼女はけれど、特に意に介した様子もなく、必要ないわ、死んでしまうのだものと笑う。だからその前に貰って欲しいのよと続けるのに、貰ってほしいのと聞き返せば、彼女は幼子のようにこくりと頷いた。黒檀の髪と闇色のヴェールが音もなく揺れる。
死んだモノに、貴方、興味も何もないでしょうと言いながら、彼女は鋏を握る手を柔らかく撫でてきた。手袋越しだからか人の熱を感じない。無機物に当たっているような心地だと思った。
頷いて肯定する前に彼女が静かに先を紡ぐ。だから、どうせなら、生きているモノを生きているうちに、全部、貴方にあげるわ。脚も、腕も、身体も、臓物(なか)も、首も。
とても甘美な響きだった。

ヴェールに隠れた彼女の眼と、違わず視線が合ったと思う。見つめあったまま、そうして彼女の右脚を大腿から切り離した。音もなく脚は倒れて、ぐらりと傾いだ彼女を支えた。彼女は己を支えるためにこちらの胸に手をつくと、すうっと真っ直ぐ立ってみせる。そして己の脚には特に目もくれず、少しばかり下の位置からただこちらを見ていた。自分は転がった脚を見て、あの右脚は生きているのだなと思っていた。
残る左脚と右腕、左腕も落としてしまうと、彼女はえらく小さくなってしまった。ごろんと転がる手足や止まることなく流れ続ける血潮に、悦楽、興奮は覚えても、不思議と頭が焼け付き白くなるような何時ものアレがない。何だかやけに穏やかな自分がいる。見下ろす彼女は小さくなっても何時も通りに笑いながら、じいっとこちらを見上げていた。
しゃがんで彼女の高さに合わせると、鋏を開いて首にあてがう。切りやすくするためにか、彼女がようやく視線をこちらから首ごと上にずらした。白い首がはっきりと晒される。刃が彼女の白を反射して、そこでそういえばこの鋏は血糊が付かないなと気付いた。
長い髪を切らないように調節していると、彼女は囁くように、しかしはっきりと大事にしてねと言った。うんと一つ答えて、彼女の首を切断した。

身体の上から転がり落ちるのを、地に着く前に捉まえる。拍子に帽子がころんと落ちた。血溜まりの中に黒い小さなそれが転がって、地に赤い線を足した。そして倒れ伏した身体にこつりと当たって止まる。それを何とはなしに目で追って、それから首を顔の高さまで持ち上げて、真正面から顔を見る。
僅か振り乱れた髪を元に戻せば、彼女の首は切り落としても果たして何も変わらない。長い艶の黒髪、不健康には僅か届かない青白い肌、血の通う笑んだ口唇。寸分違わぬ、紙上に閉じ込めた風景。
ただ触れた肌は存外に温度があった。氷のように冷たいものだとばかり思っていた。それかいっそ温かくも冷たくもない、一切温度のないものだと。そう思っていたのは、恐らく己の造り上げた左手にしか触れたことがないからだろう。生きているからこそ彼女に興味があるのに、その時にようやっとはっきり、彼女が生物であることを認識した気がする。
そこで、ひたひたと胸に湧いて出てくるものを感じた。
けれどするとどうにも、顔の上半分を覆い隠すヴェールが気に掛かる。死に顔――否、自分が生きたままに全てを止めさせた、生きた彼女の顔は、一体どんなものなのだろう。
そういえば自分は、彼女の顔を知らなかった。好奇心から何度かヴェールをめくろうとしたことはあるが、そのたびやんわり温度のない手袋が遮った。
口許は何時も通りだが、もしかすれば眉根が寄っているかもしれない。それとも穏やかに垂れているのだろうか。目は開いているのか閉じているのか。開いているのだとすれば、彼女の瞳は何色だろう。
横から頬を包むように支えていた両手の、右をそろりと動かす。するり肌をすべって、そのまま、ヴェールを――――


「――恥ずかしいわ」


 血色の口が小さくほころび、美しい音色がふわりただよう。
 深まる笑みと、発せられた端からほろほろ崩れる笑い声。

――生きている。

 胸を占めるこれは、圧倒的な充足なのだと、その時気付いた。






「オネーサン」
「――、あら…坊や」
 ふつりと辺りに響いていた鎮魂歌が途切れる。
 イヴァンが墓地を歩いて回っていると、果たして女は墓地の中心で朗々と声を震わせていた。ゆるゆると振り返った女は、ほんの僅かばかり笑みを深める。うふふと一つ、密やかに笑った。
「奇遇…なのかしら?」
「んーん、オネーサンを探してたんだよ」
「あらあら…如何したの?」
「用事があるんだ」
「用事…、葬礼かしら。私は誰かに贈って、送ればいいの?」
 女が首をかしげ聞き返すのを、イヴァンはただ首を横に振ることで答えた。そしてゆっくりと歩みだす。そうはなかった距離は、イヴァンの歩幅だとすぐに埋まった。小さな塔の前にたたずむ女と、あと数歩で触れあえるほどの距離で立ち止まる。女はそれを黙って見ていた。
 刻一刻とその身を隠す斜陽は、周囲の木々や墓石、女の背後の鐘が吊る下がった小さな塔などに黒々とした暗がりを生み出す。空はいっそ美しい夕焼けで、燃え盛るようだった。次第に、互いの顔の認識も出来なくなってくるのだろう。――誰彼時だ。
 しばらく、イヴァンと女は互いの顔を見ていた。どちらともそれぞれに布で、髪で目が隠れてしまっているけれど、目が合っているのだと確信していた。
 沈黙が二人の間を埋め、時折そこを風がさらっていく。穏やかな均衡が続き、時が止まったような錯覚さえ起こしそうなそれを、先に破ったのはイヴァンだった。
 一つ二つと歩を進め、イヴァンは軽く手を伸ばせば女に触れられるまでに近付いた。逆行気味だったせいで暗く沈んでいた顔も、此処まで近付けばよく見える。そうはいえども、結局のところイヴァンが視認できるのは女の顔の下半分だけだったけれど。
 着々と陰っていく陽が、確実に光を失っていく。風に鳴る木々の音と風そのものの音が混ざり、どこか鳴き声にも聞こえる。それか悲痛な泣き声だろうか。辺りの暗がりから、何か魔物でも這い出てきそうなほどに闇が我が物顔ではびこり始めている墓地で、それでもなお存在を示す黒い二人はむしろ、魔物の側のように見えた。
 すっと持ち上げられたイヴァンの右手は、迷うことなく女の頬に添えられた。撫でるでもなくただ触れるだけのそれを、女は特に動じることもなく受け止める。
 人としてはあまりに低い、けれど確かに存在する体温に、ぽつりと一つ。
「あったかいね」
「そう…かしら?そんなこと、初めて言われたわ」
「あったかいよ」
「嫌い?」
「ううん、別に」
「そう…。なら、いいわ」
「うん。…ねえ」
「なあに?」
「生きてるんだね」
「…ええ。死にたくないもの」
 坊や、一体どうしたのと女は問う。それにイヴァンは答えず、触れただけの右手をゆるり動かして頬を撫でた。そして、何事もないかのように手をずらして、僅か傾げられた顔を追って、薄くも光を通さないヴェールの端に触れた。
 そのままヴェールめくり上げようとした手を、女の両手がやんわり掴んで止める。誰の目にも女の表情は変わらないと映るだろうが、その笑顔の中からイヴァンは確かに女が困っていることを拾い上げた。
 何時もであれば、緩い、けれど引くつもりのない手に掴まれたこの時点で、イヴァンは自身の手を引くが、今はそうしなかった。
 髪で隠れた目で女を見据えて、自分でも驚くほど欲の絡んだ言葉を吐き出す。

「ねえ、顔見せてよ。――ダリヤ」

 ほんのわずか、それこそ刹那の間、沈み切りそうな陽にイヴァンの瞳が綺羅とするのを女は見た。
 その己が焦がれてやまない宝石に反射的に見惚れて、同時に少しばかりきょとんとして、


「――恥ずかしいわ」


 血色の口が小さくほころび、美しい音色がふわりただよう。
 深まる笑みと、発せられた端からほろほろ崩れる笑い声。
 女――ダリヤ・テトラーゼはただ一言そう言った。



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