新しいいたずら
幸鷹が自宅に戻ると客人がいるという。それが誰だか、なんとなく察した幸鷹は呆れつつ客間に向かったのだが、それよりもその客人が持っている物に目を瞠った。
「なんだ、それは。ここでは役に立たないもののように見受けられるが」
客人は思ったとおり、同じ八葉である翡翠だった。
彼が手に持っているのは不思議なことに釣竿だった。屋敷の中で使うものではない。
「私を今から釣りに誘おうというわけではないのだろうな」
柱にもたれて、まるで自宅のようにくつろいでいる男の前を通り、奥にある脇息のそばに座った。
「まさか。むしろ君を釣ろうかと思ってね」
くい、と竿を持ち上げる動作をする翡翠を、幸鷹は依然としてあまり関心のない素振りで見やる。
「ほら、普段はつれない君でもこういうものを持って いたら君から話しかけてくれたじゃないか」
「私はお前を無視したつもりはない」
冷静に努めるが、釣竿に興味を持ってしまったことは確かだ。
八葉となってしばらくしてから、彼は自分の屋敷に時折訪れるようになった。以前に伊予にいたときも一時期このようなことがあったが、京に異動してからは会うことも少なかったというのに。
本当に翡翠は自分の心の赴くままに生きているのであろう、気まぐれなものだと思っている。今は自分に少なからず興味を持ってこうして館を訪ねてきてはいるが友人というわけでもない。
幸鷹とは性格が違いすぎて、翡翠を苦手だと思う部分も多いが、それなりにはやっているつもりである。
「どうかねえ。君は余り私といても楽しそうにはないけど」
「当然だ。今は別としてもお前には何かと悩まされているからな」
わずかに怒気を含めて言っても気にしてはいないようだった。むしろ何が楽しいのかくつくつと笑っている。
子ども扱いされているような気がしてならない。翡翠と話していると、何か心の奥底まで見透かされているようだ。
「それで、そのこの場にそぐわないそれが、なんだと? お前のことだから酔狂で持ってきたわけではないのだろう」
翡翠は何を思ったのか少し違う顔で微笑む。満足したというような笑い方だ。
「相手を操れる釣竿とのことだ。相手に竿を向けて、自分の思い通りになるように願う」
幸鷹に向けて竿の先を振って見せると、幸鷹は眉間に皺を寄せた。
「そうすると相手を思い通りに操れるのだと、和仁様が悪戯をしようとしていたのでね、申し訳ないが取り上げさせていただいた」
「宮様が…ではその珍妙なものの出所は鬼か」
だろうね、と翡翠は答えた。
「さて、どうする?」
「お前はどう思う?」
「さてね、これ自体に大した邪気は感じられない。神子殿に伝えるほどのことでもないとは思うがね」
幸鷹は肩の力を抜いた。いつの間にか緊張していたらしい。
「魚でも釣ってみようか」
「お前が悪用することはないだろうから、任せる」
「あれ?意外と信頼されているんだねえ」
幸鷹がちらりと翡翠を見やると、また笑みを浮かべていた。つくづく本心の読めない男だと思う。
「お前はそんなものを使わなくとも、女性の一人や二人操ってしまうのは得手だろう」
「おやおや、私はそんなに軟派な男ではないよ」
「お前が色男だということは理解している」
「光栄だね」
暖簾に腕押し、嫌味も簡単に受け流してしまう。
何を言われても気にしたふうではなく、ただ悠然とした笑みを浮かべているだけだ。
「ならば、君も私に釣られてみるかい?」
この男に、口で勝った人間を見たことがない。
やはりこの男との会話は面倒だと再認識する。
「その釣竿で何とかしてみたらどうだ?」
幸鷹がわずかな非難をこめて相手を見ても、翡翠は目を細めただけだった。
「君は本当に面白い男だな」
20100220
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