はなせない掌

 子供はよく、マティアスの寝室に忍び込んできた。
 悪夢を見て怖いと言うので自分のベッドで寝かせてやったら習慣になったようだ。

 いつも通りの時間にマティアスが眠ろうとすると、見計らったように自分の部屋に小さな顔を覗かせた。
 ルネの瞳が恐る恐る自分を見ている。
 マティアスは仕方ないと少し眉を下げて笑った。ルネは嬉しそうに顔を明るくして、椅子に座る自分のところまで駆けてくる。

「今まで起きていたのですか? 早く寝なければいけませんよ」
「マティアスは今まで起きてたんでしょ?」
「私と違って貴方は子供でしょう」

 膝に抱きつくルネの髪を撫でる。つやつやとした髪はとても手触りがいい。
 マティアスの言葉はルネには気に食わなかったらしい。子供らしく口を尖らせている。

「早く寝ましょう」

 ルネがぐずる前にマティアスは彼の手を引いてベッドに入る。
 ふんわりとした上掛けをかけて、その上から小さな肩を撫でる。ルネはすぐにまどろむ。
 まだ幼児と呼べる年齢の彼には、こんな夜遅くまで起きていることは辛かったのだろう。それでもマティアスに甘えたがった。
 そんな彼をかわいらしいと思う。弟がいたらこういうものなのだろうと思う。

「おやすみ、マティアス」
「おやすみなさい」

 ただの弟であれば愛しいだろう。それが、自分の地位を、居場所を奪おうとしている子供でなければ。
 ルネの瞳が閉じられ、吐息がゆっくりと落ち着いてくる。柔らかい頬を指先で撫でる。

「…ママ…」

 しばらく寝顔を眺めていると、ルネの唇から言葉が漏れる。

 それを聞いて、途端に心が冷える。
 自分は母親を恋しがったりしなかった。自分が望んでここに来たのだ。選ばれて、誇りを持ってここに来た。
 この、子供は生まれてきた宿命のために、本人の望まないまま母親から引き離されここに来たのだ。
 そうだ、ルネはかわいそうな子供。
 哀れだ。志のある自分とは違う。

 自分のすべてを奪おうとしている子供を、愛しいなどと思うはずがない。
 情けをかけてやっているだけだ。

 マティアスは、薄暗い笑みを浮かべた。自分を無理やり納得させただけだったが、満足だった。
 ルネを抱き寄せると目を閉じる。子供の体温に温められて穏やかに眠りにつく。

 そこにはただ、寂しい子供が二人、お互いの孤独を慰めあっているだけだった。

20100830

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