君といると。
屋根からぽたぽたと、絶えず地面に水が滴っている。
昨日まで降っていた屋根に積もった雪が、日光に照らされ水に変わっている。それが屋敷の周囲に水たまりを作っていく。
こう寒いというのに、この部屋の主は障子を開けて外を見ている。毎年降るのに雪が名残惜しいのかと、福地は思った。
着るものにはこだわらない福地もここ数日厚着をしているというのに。
「昨晩は行かなかったのですね」
火鉢の傍に縮こまっていた福地は、急にかけられた声に顔を上げる。
雪を見ていたはずの天海がこちらを見ている。慌てて俯いた。
福地は昨日の雪見に誘われていたが、乗り気がしないので早々に断っていた。
ここに来ると顔を合わせたことのある者たちが宴会をすると言っていた。
それをどこから聞いたのか、天海にまで顔を出したらどうかと言われてしまっていた。天海はからかっていると福地は思っていた。
「その…私はああいう場は苦手で」
会食といっても、他人の噂であったり、腹の探り合いであったり、いろいろな思惑が渦巻いているものだ。
福地には苦痛でしかない。
「人脈も大切ですよ」
天海は人付き合いの苦手な自分を気にして言ってくれていたのか。窺うように目を上げると、整った横顔が目に入る。
寒い風に気付いた。そういえば天海は寒くないのか。
人脈などと言いながら、そもそも人との間に壁を作っているのは福地だけではない。天海自身も、人と親しくしているなどと聞いたことがない。
「…それは、すみません」
気を遣われたのに無視したことには反射的に謝る。
「あの…こちらに…。暖かいよ、宰相殿」
福地はおずおずと上司を呼びながら笑って見せる。天海はそれを見てから、福地の手元に目をやる。立派な火鉢に炭が入っている。
気温が低いことに今ようやく気付いたように、天海は障子を閉めると立ち上がり音もなく福地の向かいに進む。
間に合うよう、福地は部屋の隅に避けられていた座布団を差し出す。当然とばかりに礼も言わず天海はそれに座った。
「そなたに、紹介したい娘がいると言われていたので」
福地ははっと目を丸くした。いつの間にか天海に目を奪われていた。こんなに間近に向き合うのは初めてだったから。
「あまり浮いた話がないと言うのも、周囲がそなたを遠ざける理由になっているのですよ」
先ほどのお小言は続いていた。
もっとも苦手とする系統の話だ。福地は首をすくめる。
よく考えてみれば天海も妻帯せず、女っ気がない。人並みでなく皆に遠巻きにされているのは福地と同じだ。
けれど怒られていると思っている福地は気付かないし、気付いても指摘するような性格ではない。
「申し訳ない。…けれど、人はなぜ愛や恋を語るのだろう」
思わず本音が口をついて出る。いつも人より小さな声だが、それにしても小さな声だった。
それでも、息がかかりそうに近い距離では聞き逃されるはずがない。
「…ふふ」
天海は楽しそうに笑った。口元を袖で隠して、ころころと笑った。
目を奪われてしまう。
「何も知らぬ、乙女のようなことを言いますね」
「では、宰相殿は恋を知ってる?」
再び笑われた。いい年をしてする質問ではなかったのか。
しかし天海の表情を見ていると、きっと知っているのだろうと思った。恋や愛を。
恋焦がれるだけの感情とは少し違う気がした。それは信仰に似ていると思った。
「そなたが女がいらぬと言うならそれもいいでしょう」
天海は問いには答えなかった。はぐらかされた。
福地は急に、想いが湧きあがってきて、そのままに口を開く。
「わ、私も! 宰相殿と話している方が楽しいよ」
言い切った後で、福地はほほを染めている。
天海は目を見開いて、それから怪訝そうに福地を目を眇めて見た。
「私、も…?」
天海がいぶかしんでいることには、なぜか浮足立っている福地には伝わらなかった。
20110616
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