穏やかな時間
昼下がりの日差しは暖かく、縁に出た少年は両手をうんと天に伸ばした。
背中が痛い。
まだ町中では泥まみれになって走り回っているのと同様の年齢ながら、大人と同じ格好をして同じ仕事をしなければならない。
それは生まれながらに定められたことで、それを苦痛とは思わないが、長時間の会議は肩を凝らせた。
目一杯伸びをして、手を下ろしたとき人の気配に気付く。
誰も見ていないだろうとそうしたのだが、恥ずかしいことだ。
どきりとしてそちらを見ると、目にも眩しい白い衣が見えた。
それを纏っていた長身の美丈夫は、少年を馬鹿にすることはなく、目を合わせて微笑む。
「こんにちは」
この人物を見たことがあった。
将軍の傍にいるのを見る。
見た目のたおやかさに比べて、核心をつくような物言いをする。幕府にとってはなくてはならない存在だ。
少年は直に話したことはない。
目礼をすると彼は笑みを深くした。
宰相である自分に将軍家の人間は横柄なふるまいをするものも少なくはない。
少年が素直に頭を下げたのが宰相には嬉しかった。
すっと、手が上げられる。不思議な雰囲気を纏う宰相の動作から目が離せない。
宰相は手で少年を自分の執務室に招いた。長い白い指にまとわりついた、細い鎖がきらきらと光る。
その人物が執務に使っている部屋は将軍の寵愛の示す通り豪華な設えであったが、あまり物はなく整然としていた。
掃除が行き届いているというより、あまり使っていない部屋のように見えた。
少年が落ち着かずきょろきょろしているのを宰相は楽しそうに見ている。
文机の前、定位置なのであろう座布団に座った男は、また白い手で指し示す。
「その壺」
違い棚の傍に、まるで美術品のような小さな壺が置いてある。少年は両手で抱えて、宰相の前に来て座り、壺を開けた。
男を見ても何も言わないので、中身を手のひらに開ける。さまざまな色の粒が手のひらに落ちてきた。
「きれいですね」
少年は感嘆の声を漏らす。少しだけ、子供の表情に戻る。
「食べて御覧なさい」
まるで夜空に浮かぶ星のようだ。初めて見るものだが好奇心から、少年は恐れることなく口に含んだ。
「甘い」
どんなものなのか不思議に思っていたが、口に広がる甘味に頬を緩める。
「貴方のお爺さまもお好きだったのですよ」
夢中になって、けれど大切そうにまた一粒頬張る少年を見て宰相は喉を鳴らして笑った。
青年の見た目から年齢を考えると、その言葉はどこかおかしい気がしたが少年は気にしないことにした。
この宰相はどこか人の持つ雰囲気とは違ったから、たとえ人ではないと言われてもおかしくない気がした。
「金平糖という砂糖菓子です。気に入られたならどうぞお持ちになってください」
「いいのですか?」
「そなたに差し上げます。菊千代様」
手のひらの金平糖を壺に戻すと、蓋をして大事そうに壺を抱えた。
「ありがとうございます」
元服して久しく、懐かしい名前で呼ばれて少年は嬉しかった。
20110510
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